京都市右京区 了徳寺
大根焚・・・12月9日 10日
①冬の仏教行事・大根焚おいしい大根焚をお腹いっぱい食べるという仏教行事。それが大根焚です。
了徳寺では報恩講(親鸞の命日の法要)の大根焚が12月9日~10日、千本釈迦堂の大根焚が12月7日~8日、三千院の初午大根焚が2月8日 ~ 11日に行われます。
嵯峨聖天の大根供養は毎年小雪を含む2日間です。(日にちは変更になってるかもしれないので確認してくださいね。)
紅葉もほとんど散ってしまって冷たい木枯らしが吹き、ああ、冬になったんだなあと感じます。
ですが、了徳寺で大勢の参拝者の方々、大根焚の奉仕をされている方々とおしゃべりをしながら、いっしょに温かい大根焚を食べると心も体も温まってきます。
(ちょうどお昼時に裏庭で大根焚をいただいたので、奉仕されている方々といっしょにいただくことができました。)
②大根焚由来1252年、親鸞は愛宕山の月輪寺より戻る途中、鳴滝の地で説法をしました。
里人たちは親鸞の説法に感銘し、親鸞に感謝の気持ちを伝えるおもてなしをしたいと考えましたが大根しかありませんでした。
しかたなく大根を塩で焚いて親鸞に食べていただきました。
親鸞は里人たちの心に打たれ、そのお礼にすすきの穂を筆替わりにして「歸命盡十方無礙光如來」の十字名号を書きました。
薄塚は本堂横の狭いスペースにありました。
十字の名号(向かって右の掛け軸)これにちなんで行われているのが了徳寺の大根焚です。
親鸞像には塩焚の大根がお供えされるそうですが、参拝者にふるまわれるのは醤油味の大根焚(1000円)です。
お昼どきでお腹がすいていたので、お斎(おとき)をいただきました。(1600円)
大根焚に炊き込みご飯、沢庵、大根葉のからしあえがついていました。
ボリューム満点でしたが、ペロリと食べてしまいました~。
https://www.ryoutokuji.or.jp/報恩講-大根焚-について/法要のご案内/
③月輪寺と親鸞大根焚由来に、「親鸞は愛宕山の月輪寺より戻る途中、鳴滝の地で説法をした」とありますね。
月輪寺は鎌倉時代に九条兼実が隠棲していたといわれ、1207年に法然と親鸞が月輪寺の兼実を訪ねたといわれます。
親鸞像法然や親鸞が解いた浄土教の教えは既存仏教教団より弾圧を受け、後鳥羽上皇は専修念仏の停止、法然の門弟4人を死罪としています。
また1208年には法然と親鸞を流罪としています。(承元の方難)
1207年の月輪寺訪問は兼実に別れの挨拶をつげるためのものだとされます。
その後、親鸞は62、3歳の頃に帰京したとされます。
親鸞の生没年は1173年~1263年なので、1235年ごろ京へ戻ってきたのでしょうか。
そして1252年、79歳ごろのときに再び月輪寺を訪れ、その帰りに鳴滝の地で説法を行ったということなのかな。
聖闘士 親鸞(笑)④大根の歴史また大根は古事記にも記載があり、仁徳天皇陵からも大根の種子が発見されていて、縄文弥生時代に日本に伝わったとされる歴史の古い野菜です。
⑤大根焚は聖天さんの信仰からくる?月輪寺と親鸞には関係が深く、当時から大根はありふれた食材であったと考えられます。
でも、里人が塩焚の大根で親鸞をもてなしたというのは事実ではないような気がします。
その理由は、大根焚とは聖天さんの大根供養の影響を受けたものではないかと思えるからです。
東京の待乳山聖天では毎年1月7日に大根まつりを行っており、参拝者にはふろふき大根が授与されています。
待乳山聖天 大根まつり
聖天さんとは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身・ビナヤキャ女神の男女双体の神で、象頭の男女の神がい抱き合うお姿をされています。
そして、こんな伝説があります。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物でした。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになりました。 群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまいました。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延しました。そこで十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われました。女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓いました。
京都の嵯峨聖天でも大根供養の行事をおこなっています。
千本釈迦堂には阿亀と大工の棟梁の夫婦の伝説があり、この夫婦が聖天さんのイメージと重ねられたのではないでしょうか。
千本釈迦堂(大報恩寺) 大根焚 『大根焚と聖天さん』
⑥聖天さんの好物が大根とされているのは、大根が二股になりやすいから?
聖天さんは大根が好物だとされ、待乳山聖天では二股大根のモチーフがいたるところにあります。
なぜ聖天さんの好物が大根だとされているのでしょうか?
大根は直根の先端にある生長点が石ころなどにあたると、側根が肥大して二股になってしまうことがよくあるそうです。
古の人々は二股の大根を、二本の大根がくっついていると考えたのではないでしょうか。
それで大根は好物というよりも、男女双体の聖天さんにふさわしいシンボルであると考えられたのではないかなあ、などと思ったりします。
待乳山聖天 二股大根⑦肉食妻帯した親鸞は聖天さんのイメージと重ねられた?浄土真宗の宗祖・親鸞は青蓮院で出家して比叡山延暦寺で修行しました。
そして29歳のときに比叡山を下山して六角堂に籠るのですが、このとき親鸞の夢の中に聖徳太子が出てきて「私が女に生まれ変わってあなたの妻になろう」と言ったというのです。
それまで僧侶は妻帯が認められていなかったのですが、親鸞の影響で浄土真宗の僧侶は妻帯するようになりました。
それだけでなく、親鸞は禁じられていた肉食もしています。
肉食妻帯した親鸞は聖天さんのイメージと重ねられ、その結果、聖天産の行事である大根供養を取り入れて大根焚が行われるようになったのではないでしょうか。
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にほんブログ
[2018/12/11 13:51]
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