兵庫県神河町 福本遺跡
2018年11月24日 撮影
①竪穴式住居は中世にも存在していた。
車の窓から景色を見ていると、丘の上に竪穴式住居を発見したので行ってみることに。
まるで丘の上だけ縄文弥生時代にタイムスリップしたかのようです。
と書いてみましたが、実際には平安時代ごろまで竪穴式住居が作られていたそうですねw。
東北地方では室町時代まで作られていたそうです。
岩手県盛岡市の柿ノ木平遺跡・堰根遺跡は縄文時代から中世にかけての遺跡ですが、中世のものと考えられる竪穴式住居跡が発見されています。
床面には伏甕(ふせがめ)が埋められているものが見つかっています。
長崎では1637年-1638年に島原の乱がおきましたが、原城石垣前の広場から、竪穴建物跡群が発見されています。
一辺が約2-3メートルの方形の竪穴建物跡が9区画ほど並んでいました。
これらは島原の乱で原城に籠城した半地下の小屋だとされています。
江戸時代にも、竪穴式住居があったのですね。
福本遺跡の竪穴式住居は弥生時代のもののようです。
②竪穴だと水はたまらなかったの?
福本遺跡に作られた竪穴式住居は発掘調査をもとに再現されたものなのでしょう。
でも中に入ってみると竪穴は掘られていませんでした。
これでは竪穴式住居とはいえないw。
復元の際、竪穴を掘ると雨がたまったりして大変なので、竪穴を掘らずに地面に直接建物を建てたのではないかと想像します。
本来なら、竪穴が掘られて、その穴を覆うように屋根が葺かれていたはずです。
んっ?
それじゃあ、なんで昔の人々はわざわざ竪穴を掘って家を建てていたんでしょうか?
竪穴の中に雨水がたまって大変、なんてことはなかったんでしょうか?
福本遺跡 竪穴式住居 天井部分③雨漏りしにくい屋根だった?
竪穴式住居の屋根は茅・草・土などで葺かれていたと考えられています。
現在でも茅葺の民家がありますが、何層にも重ねて厚くすることで雨漏りしにくくなるそうです。
またかまどで火を焚くことによって茅にヤニ(タール)がつき、防水効果を高めるのだとか。
竪穴式住居の屋根も茅などを何層にも重ね、かまどで火をたくことによって防水効果をもたせていたのかも?

白川郷 合掌造の家
福本遺跡の竪穴式住居内にはかまどが復元されていました。
④ドーナツ型の土手で地面からの水を防ぐ?
雨漏りしにくい屋根であったとしても、竪穴なので、地面から雨が流れこんできそうにも思えます。
中には、ドーナツ型の土手を作り、その上に屋根をかぶせた竪穴式住居もあったそうです。
なるほど、これなら雨が流れこんでくるということはありませんね。
土手の外側に水抜きの溝を掘った遺跡も見つかっているそうです。
福本遺跡 竪穴式住居 入口
下はすべて福本遺跡説明板より

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[2018/12/04 20:32]
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