①神武天皇が創建した神社
前回の記事で、生國魂神社の主祭神の一柱、足島(たるしま)大神について考えました。
そのつづきです~。
生國魂神社は初代・ 神武天皇が上町台地の難波碕(現在の大阪城一帯)に、生島・足島大神をお祀りされたのが創祀と伝えられています。
生島神・足島神は、生國魂大神・咲國魂大神とも呼ばれていますよ。
神武天皇が即位したのは記紀によれば紀元前660年ですが、これは極めて信ぴょう性が低いです。
そもそも神武天皇が実在したかどうかもわからないです。
ですが、事実でなくとも、「なぜ神武天皇が創祀したと伝えられているのか」と考えてみることは意味のあることだと思います。
②神武、東征して浪速の渡を超えて河内湖に入る。初代神武天皇はもともとは日向に住んでいたのですが、あまりに国の端であるため東征し、浪速の渡を超えて湾に入り、日下の楯津(東大阪市日下) 上陸しています。
上陸した神武は待ち構えていた長髄彦と戦いますが破れ、南に迂回して熊野を越え大和にいたる作戦をとります。
浪速とは現在の大阪市あたりの古名ですが、現在とはかなり地形が違っており、内陸にまで湾が入り組み河内湖と呼ばれていました。
北限は現在の枚方市付近、東限は現在の東大阪市付近だったとされます。
それじゃあ、現在の大阪市はほとんど湖だったと思われますが、上町台地あたりは陸であったようです。
そしてこの生國玉神社はかつては現在の大阪城のあたりにあり、その付近が上町台地だったのです。
③足島大神は長いスネ(下腿)を持った神?長髄彦という名前に注目してください。
長髄彦とは長いスネ(下腿)足をもった男子という意味ではないでしょうか?
すると、足島大神とは長髄彦のことではないのかと思えます。
④即位することができたのは生島神・足島神のおかげ生國魂神社の主祭神・生島神・足島神は、平安時代に宮中でも奉斎されていますし
新天皇の即位儀礼の1つ、八十島祭においても主神として祀られました。
「八十島」とは日本の国土(大八洲)を指すとされます。
しかし、古代の河内湖には淀川、大和川、武庫川などによって運ばれた土砂が堆積してできたたくさんの島があり、難波八十島と呼ばれていました。
八十島祭の八十島はこの浪速八十島の神を祀る祭であったとも考えられます。
八十島を祀る八十島祭の主神・生島神・足島神は浪速八十島の神ではないかと考えると、やはり神武天皇以前よりこの地を支配していた長髄彦は生島神・足島神にぴったりな存在のように思えます。
「日下の楯津(東大阪市日下)から 上陸した神武は待ち構えていた長髄彦と戦ったんだろ。
神武と長髄彦は敵じゃん。で、神武の子孫が歴代天皇だよね。
八十島祭は浪速八十島の神・長髄彦を祀る祭だというけれど
神武の子孫である歴代天皇の即位儀礼に、なぜライバルである長髄彦を祀るんだ?」って?
長髄彦は王で河内付近に住んでいたのだと思います。
それをあとからやってきた神武が国を横取りしちゃったと考えればつじつまが合うと思います。
で神武は国を横取りしたものの、長髄彦の怨霊の祟りが怖くてしかたなく、神として祀ったのではないでしょうか。
また怨霊は十分に慰霊すれば、ご利益を与えてくれる和魂に転じると考えられていました。
つまり天皇に即位することができたのは、長髄彦のおかげ、ということで即位儀礼の八十島祭で長髄彦を生島神・足島神として祀ったのではないかと思います。
⑤大阪と長野の深い関係生島神・足島神は長野県の生島足島神社の御祭神でもあります。
生島足島神社の摂社に諏訪神社がありますが、諏訪大社本宮は拝殿後背の守屋山をご神体としています。
守屋山には物部守屋を祀る守屋神社がありますが、この物部守屋と長髄彦は関係がありそうなんですよね。
長髄彦はニギハヤヒという神を奉じており、妹をニギハヤヒの妻としていました。
このニギハヤヒは物部氏の祖神なのです。
また物部守屋は大阪市八尾市付近を本拠地としており、大阪市天王寺区にある四天王寺は守屋の土地と奴婢を用いて聖徳太子が建てたとされます。
大阪市中央区の森ノ宮という地名は守屋の宮がなまったものだという説もあり、大阪と長野は深い関係がありそうです。
⑥息長帯比売命は生長帯比売命?前回の記事で、足島大神はタラシ王朝の神ではないかと書きました。
國魂神社 生玉夏祭① 『足島大神はタラシ王朝の神?』 足は「たらし」とも読みますが、和風諡号に足(たらし)という字のつく天皇や皇后がおり、タラシ王朝と呼ばれています。
12代景行天皇・・・大足彦忍代別天皇(おお
たらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇・・・稚足彦尊(わか
たらしひこのみこと)
14代仲哀天皇・・・足仲彦天皇(
たらしなかつひこのすめらみこと)
神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・気長足姫尊(おきなが
たらしひめのみこと)
私はタラシ王朝の天皇は物部王朝の天皇ではないかと考えているのですが
それはさておき、神宮皇后の和風諡号にご注目!
和風諡号は、日本書紀では気長足姫尊ですが、古事記では息長帯比売命となっています。(読み方は同じです。)
息長帯比売命という諡号の中に「息」とありますが、「息(いき)」は「生(いき)」と同音ですね。
生島大神とはタラシ王朝の神宮皇后(息長帯比売命)、足島王朝とは景行天皇(大足彦忍代別天皇/おお
たらしひこおしろわけのすめらみこと)・成務天皇(稚足彦尊/わか
たらしひこのみこと)・仲哀天皇(足仲彦天皇(
たらしなかつひこのすめらみこと)
だったりして?
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[2018/07/12 21:23]
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