奈良市西紀寺町 璉珹寺
2018年5月中旬 撮影
①喜撰法師=紀有常?璉珹寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が創建し、平安時代に紀有常が再興したと伝わります。
おお、紀有常!
このブログの中で何度も登場していただいた人物です。
百人一首に喜撰法師という歌人の歌がありますが、この喜撰法師とは紀仙法師で、紀名虎(有常の父)または紀有常のことではないかといわれています。
②紀氏と藤原氏の世継ぎ争い紀名虎には紀静子という娘がありました。
紀有常は紀名虎の息子で紀静子の兄です。
紀静子は文徳天皇に入内し第一皇子の惟喬親王を御産みになりました。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えていました。
ところが、文徳天皇と藤原良房の娘・藤原明子との間に惟仁親王が生まれると
生まれたばかりの惟仁親王が皇太子となってしまいました。
文徳天皇は「惟喬親王を皇太子にしたい」と源信に相談しましたが、源信は当時の権力者・藤原良房を憚って天皇を諫めたそうです。(源信の日記による)
③惟喬親王のクーデター計画?世継ぎ争いに敗れた惟喬親王はたびたび歌会を開いていますが、その歌会のメンバーに遍照・在原業平・紀有常らの名前があります。
紀有常=喜撰法師とすると、六歌仙(遍照・喜撰法師・在原業平・文屋康秀・小野小町・大友黒主)のうち3人までが惟喬親王の歌会メンバーだったことになりますね。
彼らは歌会と称して惟喬親王を担ぎ上げてクーデターを企てていたのではないかという説があります。
惟喬親王像 木地師の里④六歌仙は怨霊だった?六歌仙は全員藤原氏と確執があった人物です。
六歌仙とは歌のうまい6人の歌人であるとされていますが、それは現代人の勘違いで、六歌仙とは怨霊ではないかと高田祟史さんはおっしゃっています。
遍照 | 藤原良房にすすめられて出家したが、生涯出家した理由を他人に語らなかった。 |
喜撰法師(紀有常) | 世継ぎ争いにで藤原良房の孫・惟仁親王に敗れた惟喬親王の叔父 |
在原業平 | 紀有常の娘を妻としており、惟喬親王の寵臣でもあり、紀氏と関係が深かった。 |
文屋康秀 | 文屋は分室ともかき、文室宮田麻呂と血縁関係があるのではないかと思われる。 文室宮田麻呂は謀反の罪で流罪となったが、没後無罪であるとされ863年、神泉苑の御霊会で慰霊された。 |
大友黒主 | 大伴黒主とも書き、大友家持とほとんど同じ歌を詠んでいることなどから同一人物だと考えられる。 大伴家持は藤種継暗殺事件の首謀者とされ、すでに死亡していたが死体が掘り出されて流罪となった。 参照/小野小町は男だった③ 草子洗い『大友黒主と大伴家持は同一人物?』 |
小野小町 | ? |
⑤小野小町とは小野宮とよばれた惟喬親王のことだった?
残る小野小町とはどのような人物なのでしょうか?
私は小野小町とは惟喬親王のことではないかと私は考えています。
その理由は・・・・
a.惟喬親王は小野宮という広大な屋敷に住み、自身も小野宮と呼ばれていた。
b.惟喬親王は男で女ではないが、古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌というのがたくさんある。
c.小野小町は穴のない体だという伝承がある。穴のない体とは男だということではないのか。
d.小野小町が詠んだ「花の色は 移りにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」は「わが御代に下(ふ)る長雨(天)せしまに」で「私の御代(治世)に長い雨(天)が下(ふ)り、長い天下となるだろう」という意味である。
参照/小野小町は男だった⑭ 『男神を女神に変える呪術』
小野小町は男だった⑯(最終回) 『わがみよにふるながめせしまに』
ちょっとわかりにくいかもですが、庭に渦巻きが描かれていました。
⑥女人裸形の阿弥陀如来は小野小町のイメージ?
本堂には紀有常尊像や女人裸形の阿弥陀如来立像が安置されています。
女人裸形の阿弥陀如来立像は裸の阿弥陀如来さまで、布で作った袴をはかせてあります。
50年に1度、独身の女性によって袴が取り換えられるとのこと。
このように裸形のみほとけを作って布の着物を着せるというのか鎌倉時代に流行りました。
画像はこちら→http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/renjoji/event/tecryor42l/
お胸がないけど、女人なの?という人はこちらの記事をどうぞ! → 璉珹寺(紀寺跡) 茉莉花 『女人裸形の阿弥陀如来』

なぜ女人の阿弥陀如来なのでしょうか?
光明皇后をモデルにしたともいわれているようですが、
私はこの像は紀氏の血をひく小野小町(惟喬親王)をモデルにしたみほとけではないかと思います。
⑦白=九十九=小野小町?
もういちど女人裸形の阿弥陀如来立像の写真を見てください。
お肌が白いですね。
肌の白さも小野小町の像であることを示す暗号のように思えます。
伊勢物語にこんな話があります。
在五中将(在原業平)が色気づいた老婆をかわいそうに思って一緒に寝たが、それっきり老婆のもとにやってこなくなりました。
そこで老婆は在五中将の家にいって中をのぞき見しました。
在五中将は次のように歌をよみました。
ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪 我を恋ふらし おもかげに見ゆ
(百歳に一年足りない九十九歳の白髪の女が 私を恋い慕っているらしい面影が見える)
この歌は謎々になっています。
100-1=99で、九十九のことを「つくも」といいますが
百引く一は白となるので、九十九髪(つくもがみ)とは白髪というわけです。
そして伊勢物語の注釈書・『知顕集』はこの九十九歳の色気づいた女は小野小町であるとしているのです。

小野小町像 髄心院
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[2018/05/28 18:00]
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