奈良県葛城市 當麻寺
※西塔は修理中です。
①野見宿祢vs當麻蹴速
相撲のルーツは神代のタケミカヅチvsタケミナカタの戦いだと言われています。
人間同士の相撲でもっとも古いのは、垂仁天皇7年(紀元前23年)の野見宿祢vs當麻蹴速の戦いですね。
この當麻蹴速は當麻寺の近くに住んでいたとされ、當麻寺の近くには蹴速塚もあります。
この勝負、勝ったのは野見宿祢で、當麻蹴速は骨を折られて死亡の上、土地も没収されています。
古代の相撲って残酷だったんですね~。
②神事相撲・勧進相撲・大相撲その後、相撲は実践的な武術から、神事的な意味合いを持つようになったようです。
平安時代には宮中行事として相撲節会が行われるようになりました。
また、神社においても神事としての相撲が行われるようになりました。
相撲節会は1174年を最後に廃絶しましたが、神事相撲は現在でも行われていますね。
また武家や大名が相撲を保護するというようなこともあって、相撲の伝統は続き、
1925年には江戸・京都・大阪などで行われていた勧進相撲を一本化して大相撲となりました。
(勧進とは寺社が建立資金などをを集めることで、相撲を興行として金銭を得ていました。しかししだいに勧進の意味は廃れ、単なる興行となっていったようです。)
③土俵は宇宙になぞらえられている?相撲は神事であるといわれますね。
たとえば、行司さんが「はっけよい」と言いますが、「はっけよい」とは「八卦よい」からくるともいわれます。
また土俵式の祝詞では「陰陽がどうのこうの~」みたいなことを言っています。
どうも相撲は八卦とか陰陽道と関係がありそうです。
中国では「天円地方(天は丸く、地は四角)」などと言われていました。
丸い土俵は天(宇宙)を表しているのではないでしょうか。
そして陰陽道の宇宙観では東は太陽の定位置、西は月の定位置、中央は星と考えます。
記紀神話ではイザナギの左目から天照大神が、右目から月読命が、鼻からスサノオが生まれたとあります。
イザナギの顔は宇宙に喩えられているのだと思います。
で、地図は右が東で左が西ですが、それは正しくは向かって右が東で、向かって左が西なんです。
地図の側に立てば、左(向かって右)が東、右(向かって左)が西となります。
すると、天照大神は宇宙(イザナミの顔)の東、月読命は宇宙の西に位置することになり、陰陽道の宇宙観と一致します。
イザナギの鼻から生まれたスサノオは星の神ということになりますが、
船場俊昭さんは「スサノオを漢字で書くと素戔鳴尊となりますが、これは輝ける(素)ものを失って(戔)ああ(鳴)と嘆き悲しむ神(尊)という意味で、スサノオはもともとは星の神だったのが、のちに星の神という神格を奪われたのてはないか」とおっしゃっています。
イザナミ(宇宙)の左目・・・東・・・天照大神(太陽)
イザナミ(宇宙)の右目・・・西・・・月読命(月)
イザナミ(宇宙)の鼻・・・中央・・・素戔鳴尊(星)
土俵が宇宙とすると、東の力士は太陽、西の力士は月を表しているのではないでしょうか?
また、陰陽道の宇宙観では、宇宙の中心は星なので、東西の力士が組み合う土俵の中心部は星となります。
それで相撲の勝敗を白星・黒星というのではないかと思ったりします。
④陽と陽が重なると不老長寿になる。土俵に女性があがってはいけないとされているのはなぜなのでしょうか?
私の考えを書きます。
9月9日は重陽の節句といい、京都の上賀茂神社では烏相撲が行われます。
どうやら重陽の節句と相撲は関係がありそうです。
上賀茂神社 烏相撲同じ重陽の日、京都法輪寺では重陽神事が行われ、菊滋童の舞が奉納されます。
法輪寺 重陽神事
菊滋童の舞は次のような中国の伝説に基づくものです。
周の穆王が寵愛していた少年菊滋童は、あるとき誤って帝の枕の上を超えてしまい、レッケン山に流刑となりました。
穆王は菊滋童に観世音菩薩 普門品というお経にある「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を毎日唱えるようにと言いいました。
菊慈童がこれを菊の下葉に書きつけたところ、菊の下葉の露が不老長寿の薬となりました。
そしてそれを飲んだ菊滋童は700歳の長寿を得ました。
穆王の枕を超えた、という点に注意してください。
穆王は菊滋童を寵愛していたとありますが、これは単に「かわいがっていた」という意味ではなく、「BLの関係にあった」ということでしょう!(きゃーーーっ❤)
陰陽道では男性は陽、女性は陰となります。
BLや男同士がぶつかりあう相撲は、どちらも重陽となります。
岡山県西大寺で行われている会陽という行事も、「男(陽)たちが出会う、集まる(会)」という意味で会陽というのではないかと思います。
動画、お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。そして重陽は9月9日のことであり、菊(ククとも読むようです。)の節句です。
菊とは男色の隠語でもありますね。
そしてBLや相撲など男と男が重なりあうと、不老長寿になると考えられたのではないかと思います。
⑤女相撲は卑しいものだった?江戸時代には女相撲が行われていたようですし、古くは日本書紀に女相撲についての記述もあります。
日本書紀の雄略天皇13年(469年)9月、猪名部真根(いなべのまね)という石の細工人は「石を細工する際に斧の刃を傷つけたことがない」と言いました。
雄略天皇はその言葉が信じられず、采女にフンドシを締めさせ女相撲を行わせた。
真根は石を細工していましたが、女相撲が気になり、斧の刃先を台座の石にぶつけ、刃が欠けてしまいました。 ④で述べたように陽の存在である男と男が重なる(重陽)と不老長寿になると考えられていたのではないかと思います。
一方、女性は陰陽では陰の存在であり、女と女が重なる(重陰)と、天才的石細工人でも誤って刃をかけさせてしまうように、よくないことがおこると考えられたのではないでしょうか?
⑥陰陽道禁止このように相撲は陰陽道とか八卦と関係がありそうです。
そして、八卦は陰陽思想と関係が深いです。
詳しくは、ウィキペディアのこちらの記事を参照なさってください。→
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%A6ですが陰陽道は迷信であるとして、1872年(明治5年)に明治政府によって廃止されています。
国がはっきりと「陰陽道は迷信である」と表明したわけです。
また国が表明するまでもなく、男が陽で重陽は縁起がよく、女が陰で重陰が縁起が悪いというのが迷信であることは多くの人が認めるところでしょう。
⑦「女性は土俵から降りてください」は犯罪では?最近、大相撲舞鶴場所で挨拶をしていた多々見良三市長が土俵上でいきなり倒れるという事件がありましたね。
そこで看護師の女性らが土俵上にかけのぼって心臓マッサージを行ったところ、「女性は土俵から降りてください」とのアナウンスが流れました。
これが女性差別にあたるのではないかと騒がれています。
実行委員会は、会場に待機していた消防署員が自動体外式除細動器(AED)を持って処置を交代したため、このようなアナウンスをしたというのですが
人命救助を行う場には知識がある人がひとりだけではなく、数人いたほうがいいと思います。
幸い、市長は一命をとりとめたのでよかったのですが、もしも亡くなっていたら?
市長の人命救助を妨害したとして、アナウンスした人は刑事罰に問われかねなかったと思います。
⑧伝統は変わっていく。伝統を守っていくというのは大切ですが、伝統は時代に合わせて変化してきたという事実もあります。
相撲も最初は殺し合いであったものが(①に書いたように、野見宿祢vs當麻蹴速の戦いでは當麻蹴速は死亡しています。)
宮中行事になった際には単に勝ち負けを競うものになっていたはずです。
あるお寺に地獄絵を見に行ったことがあるんですよ。
地獄絵には竹藪にすわりこんで何かを探している女の絵がありました。
昔、子供を産まなかった女性は筍を探し続ける地獄に落ちると言われていたんですね。
お寺の住職さんがその地獄絵の絵解きをしてくださるんですが、筍を探し続ける地獄については何もおっしゃいませんでした。
それはもちろん、女性が子供を産まなかったとしても罪ではなく、極楽へ行く権利があると、現在の仏教が考えているからでしょう。
富士山・立山・白山・比叡山・御岳山・高野山などはかつて女人禁制でしたが、
江戸後期から明治にかけての期間に女人禁制をといているので、女性でも足を踏み入れることができるようになりました。
これらの山に行って仏像を参拝したり、写真を撮ったりできることは本当に幸せなことです。
それに地理的なことや、気候のことなど、行ってみないとわからないこともあるんですよ。フィールドワークっていうんですか。
大峯山や沖ノ島など、今でも女人禁制の場所もあることはあります。
また将来、女性総理大臣が誕生したとして、表彰の際に土俵にあがれなくても、それは単に伝統であって、差別とはちがうという意見もあるかもしれません。
ですが、最低限、今回のように人の命にかかわる際には、女性でも土俵にあがってもよいとしておくべきだということは
言うまでもないことです。
松尾大社 赤ちゃん土俵入り
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[2018/04/22 01:05]
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