奈良県葛城市 當麻寺
2018年4月18日 撮影
①もののな拾遺集にこんな歌がありますよ。
紫の 色には咲くな むさしのの 草のゆかりと 人もこそ見れ/如覚法師
(紫色に咲かないでくれ。武蔵野の草と縁のある草だと人に間違えられてしまうから) この歌は拾遺集の「もののな」に分類される歌で「さくなむさ」という題がついています。
「もののな」とは!
先生「
みるみるうちに、という語を使って文章をつくりなさい。」
生徒「ヤクルト
ミルミル、うちにある。」
この文章は国語のテストとしては✖かもしれませんが、「もののな」としては〇になります。
そう、もののなとは隠し題ともいい、和歌などの中に、こっそりある言葉をひそませるテクニックのことです。
ですから子供がこういう回答をした場合には怒ったりせずに「センスがあるね」とほめてあげてほしいです。
すごい例ではこういうのがありますよ。
茎も葉も みな緑なる 深芹は 洗ふ根のみや 白く見ゆらむ/藤原輔相
(茎も葉もみな緑の深芹は、洗う根だけが白く見えている。)洗ふ根のみや白→あらふねのみやしろ→荒船の御社
座布団2枚っっ!
②「さくなむさ」は石楠花冒頭の歌にもどりましょう。
紫の 色には咲くな むさしのの 草のゆかりと 人もこそ見れ/如覚法師
(紫色に咲かないでくれ。武蔵野の草と縁のある草だと人に間違えられてしまうから)歌の中に「さくなむさ(咲くな むさ)」と言う言葉が読み取れますが、「さくなむさ」とは「しゃくなげ」のことだと考えられています。
しゃくなげという言葉の語源は漢語の石南花を「しゃくなんげ」と読み、それが「しゃくなげ」に転じたとする説が有力です。
そして石南花の花の部分を草にかえて石南草とし、「しゃくなんくさ」→「さくなむさ」に転じたのではないかと考えられています。
如覚が「紫の色には咲くな」と呼びかけた花は石楠花だったのですね。
③古今集の歌をふまえた歌紫の 色には咲くな むさしのの 草のゆかりと 人もこそ見れ/如覚法師
(紫色に咲かないでくれ。武蔵野の草と縁のある草だと人に間違えられてしまうから)この歌は、古今和歌集の次の歌をうけたものだとされます。
紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る/詠み人しらず
紫草が一本があるために、武蔵野の草も皆全ていとしいと思って見る。短い歌の中に、もののなとして「さくなむさ」を隠し、さらに別の歌もイメージさせるという高度なテクニックですね。
④詠み人は業平?古今和歌集にあるこの歌は、詠み人しらずとなっていますが、もしかしたら在原業平かも?
というのは、在原業平にはこんな伝説があるのです。
東国に下った在原業平は田面長者長勝(たのものちょうじゃおさかつ)の館に滞在し、長勝の娘・皐月の前と恋に落ちました。
そして業平と皐月の前は駆け落ちするため館から逃げ出しました。
長勝は家来に捜索させましたが武蔵野は広大すぎて、手がかりも得られませんでした。
そこで、樋の橋(新座市片山)あたりから野火をつけました。
燃え広がった火は二人の目の前まで迫りました。
そのとき皐月の前が歌を詠みました。
むさしのは 今日はなやきそ 若草の、つまもこもれり 我もこもれり
(むさしのは 今日は焼かないでください。若草のような夫も籠っています。私も籠っています。)
この歌が聞こえたため、ふたりは長勝の家来にみつかり、館へ連れもどされてしまいました。
2人が隠れていた場所は平林寺境内の業平塚で、地名の野火止も、この逸話からくるものです。
紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る/詠み人しらず
(紫草が一本があるために、武蔵野の草も皆全ていとしいと思って見る。)
(むさしのは 今日はなやきそ 若草の、つまもこもれり 我もこもれり
(むさしのは 今日は焼かないでください。若草のような夫も籠っています。私も籠っています。)
このふたつの歌はペアになっているように思えないでしょうか?
如覚は武蔵野に好きな人でもいたのかな?
お稚児さんは平野神社・桜祭神幸祭に登場された方です。(合成)
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

にほんブログ村
[2018/04/20 15:36]
奈良県 |
トラックバック(-) |
コメント(-)