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村屋坐弥冨都比売神社 御田祭 『弥富都比売神は物部氏の女神?』 

奈良県磯城郡田原本町 村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)
御田祭 2月11日


村屋坐弥冨都比売神社-御田祭 牛

御田祭のはじまり、はじまり~♪


①三穂津姫命(みほつひめ)の別名は弥富都比売神(みふつひめ)?

村屋坐弥冨都比売神社の主祭神は三穂津姫命です。
三穂津姫命と聞いてもピンときませんでしたが、別名が 弥富都比売神と聞いて閃くものがありました。

三穂津姫命は「みほつひめ」と読みます。
しかし村屋坐弥冨都比売神社は「むらやにます みふつひめじんじゃ」と読むので、
三穂津姫命の別名・弥富都比売神は「みふつひめ」と読むのではないでしょうか?

村屋坐弥冨都比売神社-御田祭 牛をひく

②弥富都比売神は御布都姫?

日本では漢字の意味よりも、音を重要視するケースがありました。
例えば、奈良の東大寺に転害門がありますが、転害門(てがいもん)の近くに手貝町(てがいちょう)という地名があったりします。
手貝町という地名は、転害門の「転害」と同音の漢字をあてたのでしょう。
しかし、意味は転害が「害を転じる」手貝が「手の貝」で全く異なります。

そうすると、村屋坐弥冨都比売神社の御祭神・弥富都比売神の「弥」は「御」、「富都」は「布都」で、「御布都姫」と記されたりすることはなかったのかなあ?

そういえば山岸凉子先生の漫画『日出処の天子』に「布都姫(ふつひめ)」が出てきたなあ~。なんか関係あるのかなあ~、と思ったのです。

村屋坐弥冨都比売神社-御田祭 田を耕す


③漫画『日出処の天子』に登場する蘇我蝦夷の妻・布都姫は実際には蘇我蝦夷の母親だった。

漫画では布都姫は物部御狩の末娘で石上神宮の斎宮となっていました。
物部御狩は実在の人物で、物部尾輿の子で物部守屋の兄です。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%AA%C9%F4%C2%E7%BB%D4%B8%E6%BC%ED

漫画ではこの布都姫と蘇我蝦夷が恋に落ち、生まれたのが蘇我入鹿となっていました。
ウィキペディアを見てみると、蘇我入鹿の父親は蘇我蝦夷となっていますが、母親については記されていません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF

しかし実際には布都姫は太媛ともいい、物部御狩の娘ではなく、物部御狩・物部守屋の妹みたいですね。
蘇我馬子と結婚して蝦夷を産んでいます。つまり、蝦夷の母親が布都姫なんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AA%9B
(ただし、先代旧事本紀では、布都姫は小異母兄弟の物部石上贄子と結婚して鎌足姫大刀自を産み、崇峻天皇の御代に神宮を斎き奉ったとあります。)

村屋坐弥冨都比売神社-御田祭

④漫画『日出処の天子』に登場する蘇我蝦夷の母・十市郎女は実在していなかった。

漫画では蝦夷の母親は十市郎女でした。

ですが十市郎女でググってみても全くヒットしません。
十市皇女なら天武天皇の第一皇女がいるのですが。

どうやら十一郎女という人物は実在の人物ではなく、創作された人物のようですね。

山岸凉子先生は、先代旧事本紀に『布都姫は神宮を斎き祀った』とある神秘性から、本当は蝦夷の母親である布都姫を蝦夷の恋人という設定にしたのではないでしょうか?

もしも、布都姫・十一郎女について、異なった記述の史料などがあったら教えてくださいね♪

名前正史先代旧事本紀漫画の設定
布都姫物部御狩・物部守屋の妹
蘇我馬子の妻
蘇我蝦夷の母
物部石上贄子の妻
鎌足姫大刀自の母
物部御狩(守屋の兄)の末娘
蘇我蝦夷の妻 蘇我入鹿の母
石上神宮の斎宮
十市郎女記述なし物部御狩の娘
蘇我馬子の妻
蘇我蝦夷の母


村屋坐弥冨都比売神社-御田祭 種撒き

⑤弥富都比売神は物部氏の神?

そんなことを考えながら、ふと境内をみるとなんと物部神社が~!
やっぱり弥富都比売神は「御布都姫」で物部御狩・物部守屋の妹・布都姫と関係あるのかも?
弥富都比売神って物部氏の神じゃないの?

村屋坐弥冨都比売神社-物部神社

村屋坐弥冨都比売神社-御田祭 巫女 

布都姫?

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[2018/02/26 15:10] 奈良の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)