大阪府高槻市 神峰山寺
2017年11月4日 撮影

①開成皇子→謀反人→死体に塩を振る→鹿の白斑を思わせる→ハンセン病患者を思わせる。
神峰山寺は役小角によって開かれ、774年、光仁天皇が開成皇子に命じて中興させたお寺です。
開成皇子、キターーーーーーーー!
私がいまもっとも心ときめかせているお方、それが開成皇子なのですね~。
開成皇子は箕面の勝尾寺の開基でもあります。

以前の記事、勝尾寺 桜 『勝尾寺は鰹寺?』 に私はこんなことを書きました。
a.727年、双子の兄弟、善仲と善算(年藤原致房の子)が箕面に草庵を築き、765年開成(光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄)が善仲、善算に弟子入りした。777年、開成が弥勒寺(勝尾寺の前身)を創建した。
b.清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があったため、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」になったというが、「王に勝った寺」というのは日本語としておかしい。
「王の病に勝った寺」と言うべきである。
勝尾寺という寺名の由来を「勝王寺からくる」とするのは、こじつけっぽい。
c.清和天皇は天皇であって王ではない。
王とは天皇の子の男子ではあっても親王宣下をうけていない者のことである。
d.開成は「かいじょう」と読み、静岡県磐田市の白山神社の創建説話に登場する海上皇子(戒成皇子/桓武天皇の第四皇子)と関係があるのではないか。(前田速男氏の 指摘)
e.愛知県新城市の白山神社の創建説話には後醍醐天皇の第3皇子・開成皇子が登場する。
f.海上皇子と開成皇子はどちらも「裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、病になった」と伝えられている。
開成皇子は何の病になったのかわからないが、海上皇子はハンセン病になったとされている。
gハンセン病にかかった伝説のある皇子のことを、開成・海上・戒成と呼んでいるのではないか。
神峯山寺 | 大阪府高槻市 | 開成皇子 | 光仁天皇に命じられ神峯山寺を開く |
勝尾寺 | 大阪府箕面市 | 開成 | 光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄 |
白山神社 | 静岡県磐田市 | 海上皇子(戒成皇子) | 桓武天皇の第四皇子 |
白山神社 | 愛知県新城市 | 開成皇子 | 後醍醐天皇の第3皇子 |
gに追記させていただきます。
志貴皇子または志貴皇子の子の春日王がハンセン病になったという伝説がありますが、志貴皇子の子として、海上王(本朝皇胤紹運録)または海上女王(続日本紀)という名前が記録されています。
h.斑点のある鹿は謀反人の比喩ではないか?
雄鹿が「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて全身に塩を振られているのです。」と答えました。
翌朝、雌鹿の占いのとおり雄島は漁師に撃たれて死にました。(日本書紀・トガノの鹿)
鹿の夏毛には白い斑点がある。その白い斑点が霜や塩に喩えられたのだろう。
そして謀反の罪で殺された人には塩が振られることがあり、鹿とは謀反人の比喩だとする説があります。
i.斑点のある動物はハンセン病の比喩ではないか?
612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。(日本書紀)
ハンセン病患者の症状はさまざまですが、白い斑点ができるものがあります。
鹿はこの百済から渡来した者がいうように、白斑があります。
つまり、次のような発想で謀反人と鹿やハンセン病患者は結び付けられたのではないか。
謀反人→死体に塩を振る→鹿の白斑を思わせる→ハンセン病患者を思わせる。
j.ハンセン病は古にはらい病、ナリンボ、ドス、カタヰ(カタイ)などとも言った。
海上皇子という名前は海の魚を想起させ、魚偏に堅いと書けば鰹となる。
鰹寺から勝尾寺になったのではないか?
勝尾寺
②普通の度合いをはるかに超えた奴、ジンベエザメ。
①を念頭に置いて、続きを読んでくださいね。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ARequin_baleine.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/88/Requin_baleine.JPG よりお借りしました。
作者 zclemz (投稿者自身による作品) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
ジンベエザメの体にもまた斑点がありますね。
着物の甚兵衛に似ているのでジンベエザメの名前がついたのではないかといわれていますが、私は逆じゃないかと思います。
甚兵衛の甚を調べてみると次のようにあります。
甚という漢字を調べてみたところ、次のようにありました。
①「はなはだしい(普通の度合いをはるかに超えている、ひどい)」
②「はなはだ(普通の度合いをはるかに超えているさま、非常に、ひどく、大変)」
③「「何」の意味を表す疑問詞。なに。なんの。いかなる。なんぞ。」
④「非常に楽しい」
https://okjiten.jp/kanji1607.html より引用
つまり甚兵衛とは「普通の度合いをはるかに超えた奴」「ウルトラマン」というような意味になりますが、ジンベエザメは体調10mにもなることのある巨大な魚です。
まさしく「普通の度合いをはるかに超えた奴」ではありませんか。
着物の甚兵衛はジンベエザメに似ているところからその名前が付けられたのではないでしょうか。
③ジンベエザメはえびすざめだった。
ジンベエザメは茨木県では「いびすさが」「じんべ」、千葉県、神奈川県、静岡県では「えびすざめ」、福井県では「じんべい」、高知県では「さめ」、鹿児島県では「くじらぶか」、沖縄県では「みずさば」などと呼ばれていました。
ジンベエザメは古来より日本各地の海で観測されていたのでしょう。
栃木県ではアブラツノサメのことを「さがんぼう」というそうです。
茨木県の「いびすさが」の「いびす」は「えびす」、「さが」は「さめ」という意味で、千葉・神奈川・静岡の「えびすざめ」と同じ意味ではないでしょうか。
ジンベエザメの周囲には同じプランクトンを食べるイワシやカツオが常に群れているそうです。
そのため、ジンベエザメの姿を見かけると大漁になると考えられ、「えびすざめ」と呼ばれたのではないかと考えられています。
④鰹を連れてくる開成皇子
『ジンベエザメの周囲には同じプランクトンを食べるイワシやカツオが常に群れている』という点に注目してください。
やはり勝尾寺は鰹寺からくるのではないでしょうか?
開成(開成皇子・海上皇子)は謀反人であり、その死体にふられた塩がハンセン病を思わせるところから、ハンセン病をもたらす怨霊であると考えられたのだと思います。
ジンベエザメは体に斑点があるところからハンセン病を患った(実際には死体に塩がふられれているのですが)開成皇子の化身であると考えられていたのではなでしょうか。
そして、陰陽道では災いをもたらす荒魂は慰霊することでご利益をもたらす和霊に転じると考えられていました。
開成の化身であるジンベエザメは鰹をつれて姿をあらわし、大漁をもたらしてくれる。
そういうわけで、鰹寺となり、勝尾寺になったのではないかと思ったりします。
うーん、やっぱりトンデモ説?

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毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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雄鹿が「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて全身に塩を振られているのです。」と答えました。
翌朝、雌鹿の占いのとおり雄島は漁師に撃たれて死にました。(日本書紀・トガノの鹿)
鹿の夏毛には白い斑点がある。その白い斑点が霜や塩に喩えられたのだろう。
そして謀反の罪で殺された人には塩が振られることがあり、鹿とは謀反人の比喩だとする説があります。
i.斑点のある動物はハンセン病の比喩ではないか?
612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。(日本書紀)

ハンセン病患者の症状はさまざまですが、白い斑点ができるものがあります。
鹿はこの百済から渡来した者がいうように、白斑があります。
つまり、次のような発想で謀反人と鹿やハンセン病患者は結び付けられたのではないか。
謀反人→死体に塩を振る→鹿の白斑を思わせる→ハンセン病患者を思わせる。
j.ハンセン病は古にはらい病、ナリンボ、ドス、カタヰ(カタイ)などとも言った。
海上皇子という名前は海の魚を想起させ、魚偏に堅いと書けば鰹となる。
鰹寺から勝尾寺になったのではないか?

勝尾寺
②普通の度合いをはるかに超えた奴、ジンベエザメ。
①を念頭に置いて、続きを読んでくださいね。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ARequin_baleine.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/88/Requin_baleine.JPG よりお借りしました。
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ジンベエザメの体にもまた斑点がありますね。
着物の甚兵衛に似ているのでジンベエザメの名前がついたのではないかといわれていますが、私は逆じゃないかと思います。
甚兵衛の甚を調べてみると次のようにあります。
甚という漢字を調べてみたところ、次のようにありました。
①「はなはだしい(普通の度合いをはるかに超えている、ひどい)」
②「はなはだ(普通の度合いをはるかに超えているさま、非常に、ひどく、大変)」
③「「何」の意味を表す疑問詞。なに。なんの。いかなる。なんぞ。」
④「非常に楽しい」
https://okjiten.jp/kanji1607.html より引用
つまり甚兵衛とは「普通の度合いをはるかに超えた奴」「ウルトラマン」というような意味になりますが、ジンベエザメは体調10mにもなることのある巨大な魚です。
まさしく「普通の度合いをはるかに超えた奴」ではありませんか。
着物の甚兵衛はジンベエザメに似ているところからその名前が付けられたのではないでしょうか。

③ジンベエザメはえびすざめだった。
ジンベエザメは茨木県では「いびすさが」「じんべ」、千葉県、神奈川県、静岡県では「えびすざめ」、福井県では「じんべい」、高知県では「さめ」、鹿児島県では「くじらぶか」、沖縄県では「みずさば」などと呼ばれていました。
ジンベエザメは古来より日本各地の海で観測されていたのでしょう。
栃木県ではアブラツノサメのことを「さがんぼう」というそうです。
茨木県の「いびすさが」の「いびす」は「えびす」、「さが」は「さめ」という意味で、千葉・神奈川・静岡の「えびすざめ」と同じ意味ではないでしょうか。
ジンベエザメの周囲には同じプランクトンを食べるイワシやカツオが常に群れているそうです。
そのため、ジンベエザメの姿を見かけると大漁になると考えられ、「えびすざめ」と呼ばれたのではないかと考えられています。

④鰹を連れてくる開成皇子
『ジンベエザメの周囲には同じプランクトンを食べるイワシやカツオが常に群れている』という点に注目してください。
やはり勝尾寺は鰹寺からくるのではないでしょうか?
開成(開成皇子・海上皇子)は謀反人であり、その死体にふられた塩がハンセン病を思わせるところから、ハンセン病をもたらす怨霊であると考えられたのだと思います。
ジンベエザメは体に斑点があるところからハンセン病を患った(実際には死体に塩がふられれているのですが)開成皇子の化身であると考えられていたのではなでしょうか。
そして、陰陽道では災いをもたらす荒魂は慰霊することでご利益をもたらす和霊に転じると考えられていました。
開成の化身であるジンベエザメは鰹をつれて姿をあらわし、大漁をもたらしてくれる。
そういうわけで、鰹寺となり、勝尾寺になったのではないかと思ったりします。
うーん、やっぱりトンデモ説?

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