奈良市五条町 唐招提寺
観月讃仏会 中秋の日
①毘盧遮那仏、薬師如来、千手観音は天下三戒壇を表す?毘盧遮那仏、薬師如来、千手観音の三尊を祀っているのはここ唐招提寺だけです。
三尊は東大寺(本尊は毘盧遮那仏)、下野薬師寺、筑紫観世音寺の「天下三戒壇」を表すといわれています。
②毘盧遮那仏は長屋王、薬師如来は道鏡、千手観音は玄昉のイメージ?私には、毘盧遮那仏は長屋王、薬師如来は道鏡、千手観音は玄昉のイメージと重なって見えてしまいます。
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唐招提寺 蓮 と 頭塔 長屋王、道鏡、玄昉はいずれも奈良時代に政治的に不幸な死を迎えた人物です。
長屋王は謀反を企てたとして長屋王邸(現在のイトーヨーカ堂奈良店)で自殺に追い込まれました。
道鏡は失脚して下野薬師寺に、玄昉は筑紫観世音寺に左遷となっています。
③怨霊を和魂に転じて仏にする?彼らは死後、怨霊になったと考えられたのではないかと思います。
そして唐招提寺の三尊は、長屋王、道鏡、玄昉の怨霊を和魂に転じて仏にしたものではないでしょうか?
日本では古より神仏は習合されて信仰されてきました。
そのベースになったのが本地垂迹説です。
本地垂迹説とは『日本古来の神々は仏教の神々(みほとけ)が衆上を救うために仮にこの世に姿を現したものである』とする考え方のことで
日本古来の神々のことを権現、日本古来の神々のもともとの正体である仏教の神々のことを本地仏といいます。
たとえば、日本古来の神である菅原道真の本地仏は十一面観音である、などとされています。
唐招提寺の場合は次のような関係になっているのではないかと思います。
毘盧遮那仏・・・長屋王の本地仏
薬師如来・・・・道教の本地仏
千手観音・・・・玄昉の本地仏
神は御霊・和魂・荒魂の三つに分けられ、女神は和魂を、男神は荒神を表すとする説があります。
御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神女神・男神と書きましたが、日本の神様って、性別が曖昧なんですよ。
古事記や日本書紀では三輪明神(大神神社の御祭神・大物主神)は男神として登場しますが、謡曲・三輪に登場する三輪明神は女神です。
一般に稲荷明神は女神とされていますが、亀岡祭曳山の御神体の稲荷明神は男神でした。
これに本地垂迹説をからめると、次のようになるのではないかと思います。
御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・みほとけ・・・・・・毘盧遮那仏/薬師如来/千手観音
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・日本古来の神・・・・長屋王/道鏡/玄昉

④太陽は陽、月は陰。陰陽道では太陽は陽、月は陰です。
すると、次のようになります。
御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・みほとけ・・・・・・毘盧遮那仏/薬師如来/千手観音・・・月
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・日本古来の神・・・・長屋王/道鏡/玄昉・・・・・・・・・太陽つまり、唐招提寺の毘盧遮那仏・薬師如来・千手観音は長屋王・道教・玄昉の和魂であり、
観月讃仏会は彼らの和魂が月となって闇夜を照らす光明になったということを表す行事であるように、私には思えるのです。
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