2017年8月6日 撮影
①茨田堤川は大雨が降ると水があふれ出るものでございまして、昔から治水工事は国家の一大事業でございました。
大阪の淀川も例外ではなく、古くは第16代・仁徳天皇が茨田堤(まむたのつつみ)を築いたという記録がございます~。
大阪府門真市の堤根神社境内には茨田堤跡が残されていますよ。
②人柱茨田堤は難工事でして、どうしても決壊してしまう場所が2か所ありました。
そんなとき仁徳天皇の夢の中に神様があらわれ「武蔵のコワクビ(強頸)と河内の人の茨田連衫子(まむたのむらじころもこ)を人柱にすれば工事は成功するだろう」と告げました。
そこでこの二人が人柱にされることになったのです。
昔の人は残酷だったんだなって?
ですが大正3年に開通した常紋トンネルでは、昭和43年の十勝沖地震で損傷した壁の中から大量の人骨が発見されています。
人柱の風習はつい最近まであったんですね~。
③沈まなかったヒョウタンさて、茨田堤の工事で人柱に選ばれたコワクビとコロモコの話に戻りましょう。
かわいそうにコワクビは泣きながら川の中に入って没しました。
工事は成功しコワクビの断間(こわくびのたえま)と呼ばれました。
しかし、コロモコはコワクビのように従順な性格ではありませんでした。
ヒョウタンを川に投げ入れ、「神よ、このヒョウタンを沈めてみよ。沈めることができなければ偽りの神だ。」と言いました。
ヒョウタンは沈まず、コロモコは人柱にならずに済みました。
コロモコは人柱になりませんでしたが工事は成功し、コロモコの断間(ころもこのたえま)と呼ばれました。
④なぜ川にヒョウタンを投げ入れたのか?コロモコはなぜ川にヒョウタンを投げ入れたのでしょうか?
それは、次の中国の伝説に基づくものだと思います。
あるとき大洪水がおこって多くの人間が死んでしまいましたが、伏羲と女媧という兄妹は巨大なヒョウタンの中に隠れていたので無事でした。
兄妹は結婚して子供を産み、人類の祖となりました。 中国版ノアの方舟ですね。
ヒョウタンの中に隠れていた伏羲と女媧は大洪水を免れたので、ヒョウタンは水に沈まないという信仰があったのでしょう。
実際には、ヒョウタンの中に水が入れば沈んでしまうと思いますが。
⑤コロモコは秦氏だった?コロモコは「ヒョウタンを沈めることができなければ偽りの神だ」といい、ヒョウタンは沈まなかったので人柱を欲していたのは偽りの神だったということになります。
そのため、コロモコは人柱になりませんでしたが、それでも工事は成功しています。
なぜ工事は成功したのでしょうか?
それはもちろん神の力によるものではなく、治水工事の技術力の成果でしょうね。
で、治水工事といえば思い出すのが秦氏です。
京都桂川に残る葛野大堰は6世紀ごろに渡来人の秦氏によって築かれたとされます。
コロモコは秦氏だったのではないかと思うのです。
⑥コロモコを祀る友呂岐神社と秦河勝の墓コロモコは治水工事技術に優れた秦氏だったのではないか、と唐突に言っても「ふーん、そうかもね~」と思われるだけですよね。
でも、私がコロモコが秦氏だったと考えるのは、他にも理由があるんです。
大阪府寝屋川市に仁徳天皇とコロモコ、菅原道真を祀る友呂岐神社があります。
友呂岐神社友呂岐神社は、仁徳天皇が茨田の屯倉を置き、皇室の別荘が営まれた所とされます。
コロモコも祀られているところをみると、コロモコはこのあたりに住んでいた人なのではないでしょうか。
そしてこの友呂岐神社の近くには太秦という地名もあります。
太秦といえば京都の太秦が有名ですが、太秦にある広隆寺は秦氏の氏寺ですね。
さらに友呂岐神社の近くには川勝町という地名もあり、秦河勝の墓もあります。
秦河勝の墓そういった所から、このあたりは秦氏が住んでいたところだと考えられます。
⑦コロモコが信仰していた本当の神とは秦氏はクリスチャンだという説がありますね。
秦氏の氏寺・広隆寺は別名を太秦寺といいますが、中国ではネストリウス派キリスト教寺院のことを大秦寺といいました。
太秦寺と大秦寺は点があるかないかの違いしかありません。
また広隆寺(太秦寺)に隣接する大酒神社はかつては大闢神社といったそうですが、大闢とはダビデの漢語訳なのです。
大酒神社コロモコが信仰していた本当の神とはキリストであり、キリストのおかげでコロモコの断間は完成したと、そういう話なのではないでしょうか。
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[2017/08/08 08:12]
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