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柴又帝釈天(題経寺) 葛飾納涼花火大会 『帝釈天と庚申信仰の関係は?』 

東京都葛飾区 柴又帝釈天
2017年7月25日 撮影

柴又帝釈天 門前町

①柴又帝釈天の庚申信仰


私、生まれも育ちも葛飾柴又ではございません。
柴又帝釈天で産湯も使っておりませんが、人情溢れる柴又の町に憧れてやってまいりました。
姓は車、名は寅子。(canonからとって佳音にしたけど、かわいすぎた~。寅子にすればよかった~)
人呼んでフーテンの寅子と発します~。

柴又帝釈天 三猿 
柴又帝釈天の駐車場には三猿の石像がたくさん~。

庚申信仰では猿が庚申の使いであると考えられていました。

柴又帝釈天には日蓮が刻んだ帝釈天の仮本尊があると伝わっていましたが、長年行方不明になっていました。
1779年日敬が本堂の修理を行った際、棟木の上から発見され、その日が庚申の日だったことから、庚申の日が縁日とされ、庚申まいりの習慣が生じたと言われます。

葛飾納涼花火大会3

②まずは干支のお勉強

古より暦・時間・方位などに干支を用いる習慣がありました。
干支とは十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞です。

十干・・・甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二支・・・・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

この干支で日にちを表す場合、初日が甲子、二日目が乙丑、3日目が丙寅、4日目が丁卯、5日目が戊申、6日目が己巳、7日目が庚午、8日目が辛未、9日目が壬申、10日目が癸酉となります。
11日目は甲戌、12日目は乙亥、13日目は丙子と続き、60日目が癸亥。
61日目には一巡して甲子に戻ります。

葛飾納涼花火大会

 
音読み訓読み意味本義
こうきのえ木の兄草木の芽生え、鱗芽のかいわれ
いつ、おつきのと木の弟陽気がまだ伸びない
へいひのえ火の兄陽気の発揚
ていひのと火の弟陽気の充溢
つちのえ土の兄“茂”に通じる。陽気による分化繁栄
つちのと土の弟“紀”に通じ、分散を防ぐ統制作用
こうかのえ金の兄結実、形成、陰化
しんかのと金の弟陰による統制の強化
じんみずのえ水の兄“妊”に通じる。陽気を下に姙む
みずのと水の弟揆”に同じ。生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を待つ。

十二支音読み訓読み本義
“孳” 陽気が発現
ちゅううし“紐” 生命エネルギーの結合
いんとら“演” 形をとっての発生
ぼう“冒”に通じる。開発
しんたつ“震”、“申” 生の活動
“已”に通じる。陽盛の極、陰に移ろうとする。
うま“忤(さからう)”に通じる、上昇する陰と下退する陽との抵触
ひつじ“昧” 陰気の支配
しんさる陰気の支配
ゆうとり酒熟して気が漏れる。陰気が熟する。
じゅついぬ恤”、“滅”である。統一退蔵。
がい“核” 生命の完全な収蔵含蓄

陰陽五行思想では万物は木火土金水の5つの要素からなると考えます。
十干の甲(きのえ/木の兄)乙(きのと/木の弟)などはこの陰陽五行からくるものです。

葛飾納涼花火大会4

③庚申信仰とは!

②で干支とは十干と十二支を組み合わせたもので、60通りの組み合わせがあることが理解できました。
庚申(かのえさる、こうしん)はこの干支の60通りある組み合わせのひとつなんですね~。

庚申の庚は「かのえ(金の兄)」、庚申の申は「陰気の支配」を表します。

金はゴールドなので、よいものだろうと思うかもしれませんが、音響五行思想では金属をあらわします。
金属は冷たく、また武器の原料となるところから、「冷酷」「危険」などの意味を持ちます。

そういえば方位神に金神がいますが、金神がいる方位はすべて凶とされていますね。

庚・・・かのえ(金の兄)・・・冷酷・危険
申・・・陰気の支配

とまあ、こんな感じで、庚申というのは凶の日だと考えられたんでしょうね。

葛飾納涼花火大会2

で、道教では人間の体内に三尸が住むと考えられていました。
この三尸は庚申の日、眠った人間の体内から抜け出し、天帝にその人の悪さを告げ口すると言われていました。
そのため、庚申の夜には人々が集まって徹夜をする習慣ができました。

葛飾納涼花火大会5

④帝釈天と庚申信仰の関係?

庚申信仰では青面金剛という神像を本尊としますが、柴又帝釈天で青面金剛をお祀りしているとは聞きません。
駐車場の三猿と一緒に石像があったのみです。
おそらく駐車場にあった三猿や青面金剛の像は柴又帝釈天で庚申詣が盛んになったのちに作られたものではないでしょうか。

寺伝では仮本尊の帝釈天が棟木の上で見つかったのが庚申の日だったため、庚申詣でが盛んになったとしていますが
庚申の日に仮本尊が見つかる確率は1/60と低いです。
寺伝は庚申の日を仮本尊・帝釈天の縁日とするために脚色した可能性が高いと思います。

また柴又帝釈天だけでなく、日本では帝釈天の縁日は庚申の日とされています。
日本ではもともと帝釈天と庚申信仰が関連付けられていたのではないでしょうか。

これが正しいと仮定すると、なぜ帝釈天と庚申信仰が関連づけられたのかという疑問が生じますね。

帝釈天は天主帝釈・天帝・天皇とも呼ばれます。
そして庚申信仰とは、庚申の日、三尸が眠った人間の体内から抜け出し、天帝にその人の悪さを告げ口するのを避けるため、徹夜をする習慣のことでしたね。
三尸が告げ口をする相手こそが天帝=帝釈天ということなのでしょう。

そういったところから、柴又帝釈天に庚申詣の習慣が生じたのではないでしょうか。

葛飾納涼花火大会6 
富士山があらわれた!

柴又駅 

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[2017/08/04 18:21] 東京都 | トラックバック(-) | コメント(-)