奈良県橿原市 藤原宮跡
2014年7月27日 撮影①藤原京と天香久山藤原京跡に立つと畝傍山や
天香久山が見えます。
藤原京は飛鳥時代に造られた都で大和三山(畝傍山・天香久山・耳成山)に囲まれていたのです。
藤原京には持統天皇の藤原宮がありました。
百人一首に持統天皇が詠んだこんな歌があります。
春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山
(春がすぎて夏がやってきたらしい。白い衣が天の香久山に干してあるそうなので。
持統天皇は藤原宮から天香久山を見てこの歌を詠んだのかもしれませんね。
旧暦では春は1月2月3月、夏は4月5月6月でした。
旧暦は新暦よりおよそ1か月遅れとなりますので、新暦に換算すると5月ごろに詠んだ歌だと考えられます。
②『土用の丑』から閃いたー!ところで蓮って土用の丑のころに咲くんですよね。
陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考えます。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていました。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまいますね。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られました。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのです。
ん?んむむむ?
持統天皇の「春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山」という歌には、もうひとつ裏の意味がかくされていることを発見しました!
ヒント・・・持統天皇は天皇としては初めて火葬された方です。
もうおわかりですね~。
③春の土用が過ぎて、火性の夏になってしまった。「春過ぎて」は「春の土用が過ぎて」という意味でしょう。
「夏」は五行説では「火」です。
そして「白妙の衣」とは「死に装束」のことだと思います。
↓ 下の写真は千本閻魔堂狂言に登場する鬼と幽霊ですが、幽霊は白い死に装束を着ています。
持統天皇の歌には表の意味のほかに、「春の土用が過ぎて、火性の夏になってしまったようです。私は天香久山に干されている衣をまとい、夏の火性と同じように火葬されてしまうのですね。」
という裏の意味が隠されているのではないでしょうか。
もちろん、死後に歌を詠むことはできません。
持統天皇の死後、誰かが持統天皇の身になって詠んだか
あるいは持統天皇が生前に軽い気持ちでこの歌を詠み
「この歌を詠んだため、言霊が作用して持統天皇は火葬されてしまった」のだと世の人々は考えたのか
どちらかだと思います。
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[2017/07/20 13:19]
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