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法金剛院 紫陽花 花菖蒲 くちなし 『即身仏とドライフラワー化した紫陽花』 


京都市右京区 法金剛院
2017年6月18日 撮影


法金剛院 本堂 紫陽花 

①紫陽花は死をイメージさせる花だった?


万葉集には紫陽花を詠んだ歌は2首しかなく、平安時代の和歌にも紫陽花を詠んだ歌はわずかしかありません。
平安時代の紫陽花を詠んだ歌は次のような歌です。


.あかねさす 昼はこちたし あぢさゐの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな
(明るい日中は噂がうるさくてうっとおしい。紫陽花の花は四ひらですが、宵にあいたいわ)

この歌を鑑賞すると、古の人の紫陽花のイメージが、その花びらの数「四」だったのではないかと思えます。

蝶々という言葉は漢語で、倭言葉では「かわひらこ」だが、古の人は死者の魂が蝶になると考えていたため、「かわひらこ」という言葉を忌んで使わなくなり、ついには「かわひらこ」という言葉を忘れてしまったと聞いたことがあります。

また「四」は音が「死」に通じます。
そのため、古の人々は積極的に紫陽花の歌を詠まなかったのではないでしょうか?


(参照/智積院 紫陽花 『紫陽花は死をイメージさせる花だった?』 

法金剛院 紫陽花と蓮

②家持を騙した諸兄の歌

.万葉集にある紫陽花を詠った歌2首を鑑賞してみましょう。

言問はぬ 木すら味狭藍 諸弟(もろと)らが 練の村戸(むらと)に あざむかえけり/大伴家持(718年?―785年)
(恋を語らない木ですら、紫陽花のように移ろいやすい。???らの巧みな言葉に私は騙されてしまいました。)


「練りの村戸」は「老練な心」という意味、三句目の「諸弟(もろと)」はどういう意味なのかわかっていません。

安治佐為の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ/橘諸兄(684年-757年)
(紫陽花が八重に咲くように、いつまでも健やかにいてください。この花を見るたび私はあなたを思い出します。)

私は万葉集の紫陽花の歌二首は対応しているのではないかと思います。

家持が詠んだ歌に「諸弟」とありますが、これは「橘諸兄」を蔑んで言ったものではなでしょうか?
今でもたとえば「何が良子やねん!やってることはまるで悪子やんか!」みたいに言ったりしますね。
また、大伴家持からみて橘諸兄は34歳年上です。
練りの村戸(老練な心)というにふさわしいようにも思えます。

.橘諸兄の歌にある「背子」とは親しみをこめて相手のことを呼ぶ語で、大伴家持のことをさしているのではないかと思います
.橘諸兄は「紫陽花は八重に咲くので縁起のいい歌」であるというふうに思わせて、実は「4ひらの花びらの紫陽花は死をイメージさせる花で縁起の悪い歌」だったと家持は文句を言っているのではないでしょうか?

(参照/観音寺 紫陽花  『万葉集 紫陽花の歌 諸兄と諸弟』

法金剛院 本堂 紫陽花2 

③紫陽花には不老不死のイメージもあったのでは?

紫陽花の花びらは4枚なので「死」のイメージがあったと思いますが
同時に「不老不死」のイメージもあったのではないかと思います。

ええーーっ、「死」と「不老不死」て真逆の意味やん~。
とか言われそうですが、まあ、聞いてください。

私が「紫陽花に不老不死のイメージがあったのではないか」と想ったのは、紫陽花はドライフラワーになりやすいという性質があるためです。

よく、冬場などでもドライフラワー化した紫陽花の花が散らずにそのままになっているのを見かけます。

法金剛院 花菖蒲 

④ドライフラワーと即身仏


ドライフラワーと即身仏って似ていると思いませんか。
どちらも、死んだあとも腐らず、形を保っています。

即身仏になるべく入定した人々の目的は、釈迦入滅後・56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるとき、復活して弥勒菩薩の聖業に参加するためだと聞いたことがあります。

誤って死神にあの世の連れていかれた娘が、閻魔大王に「元の世界に戻ってもいい」と言われたけれど
すでに死体が火葬されていたので、やむなく別の人の肉体に戻って生き返ったという話もあります。

復活するためには魂の容れ物である肉体が必要だと考えられていたのでしょう。

すると、昔の人は、即身仏を不老不死であると考えていたのではないかと思えるのです。

④銀河鉄道999の機械の体

「銀河鉄道999」では、鉄郎が機械の体をもらうために旅をします。
この機械の体と即身仏は、なんだか似ているなあ、と思います。
機械の体を手に入れれば長生きできるのですが、機械の体とは惑星を支える1本のネジになることだったのです。
こうなってしまうと、行きたいところへも行けず、やりたいこともできず、こんなのは生きているとはいえません。

即身仏も腐らず、長期間存在することはできるのですが、やはり行きたいところへも行けず、やりたいこともできません。

短く限られた命であっても、その中で行きたいところへ行き、やりたいことをやるのが現代人が考える「生きている」ということです。

しかし、古の人々はそうは考えなかったのではないかと思ったりします。
即身仏となり、人々に崇拝され続けることもまた、命であると考えていたのではないでしょうか?

橘諸兄は「いつまでも健やかでいてください」と詠んでいますが、それは「腐らない即身仏となってください」という意味だったのかも?

家持は藤原種継暗殺事件の首謀者であるとして、死後死体が掘り返されて流罪となっています。
たぶん、家持の死体は腐っていたと思いますが。

法金剛院 門 くちなし

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[2017/06/25 14:12] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)