奈良県宇陀市 大野寺
2009年4月5日 撮影
①巨大な弥勒磨崖仏室生寺に行く道中の宇陀川沿いに、大野寺はしだれ桜にうもれるようにしてありました。
対岸には巨大な線刻の弥勒菩薩が。
大野寺の御本尊は弥勒菩薩なので、それにちなんでこの弥勒磨崖仏は刻まれたのでしょう。
興福寺の僧・雅緑が発願して1207年に制作が始まりました。
開眼供養が行われたのは1210年で、このとき後鳥羽上皇がおいでになられたそうです。
②大黒天磨崖仏弥勒磨崖仏の近くには大黒天磨崖仏もありました。
大正時代、奈良市法蓮町の長慶寺を建立した吉村長慶が発願して刻まれたもののようです。
吉村長慶はなぜ大野寺の弥勒磨崖仏の近くに大黒天磨崖仏を刻んだのでしょうか。
③弥勒菩薩と大黒天に共通する「復活」のイメージ弥勒菩薩は釈迦入滅後、56億7000万年後にあらわれるとされる菩薩です。
弥勒菩薩が釈迦入滅後56億7000万年後にあらわれるというのは、お釈迦様が56億7000万年後に弥勒菩薩として復活するということではないかと思います。
七福神の一、布袋は弥勒菩薩の化身だとされています。
一般には、布袋が死ぬ間際に「弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり 時時に時人に示すも時人は自ら識らず」という文を残したためだと言われています。
でも私はそれよりも、「布袋が死んだ後、布袋の姿を見かけた」とういう伝説のほうが気になります。
死んだはずの布袋が生きていた、ということですよね。
つまり布袋は生き返った(復活)のです。
弥勒菩薩も復活する菩薩なので、それで布袋は弥勒菩薩の化身だとされているのではないでしょうか?
そしてやはり七福神の一である大黒天は、もともとはインドの神でマハーカーラ(大いなる闇)という名の神でした。
平安時代、遣唐使として唐に留学していた最澄が日本に大黒天の信仰を伝えたとされます。
最澄が開いた延暦寺の国宝館にはたくさん大黒天が展示されていました。
大黒天は記紀神話に登場する大国主命と習合されて信仰されました。
記紀を読むと、大国主は兄たちにいじめられて何度も殺されますが、そのたびに生き返っています。
なんか『リングにかけろ』みたいですね~。
吉村長慶は弥勒菩薩に復活のイメージがあるので、やはり復活のイメージのある大黒天を弥勒磨崖仏の近くに刻んだのではないでしょうか?
④大黒天と布袋の袋の中身弥勒菩薩の化身とされる布袋、そして大黒天はどちらも大きな袋を持っています。
萬福寺 布袋像さて、この袋の中には何が入っているのでしょうか?
私は袋の中身はドクロではないかと考えています。
大黒天の前身であるマハーカーラは不老長寿の薬や、生首を持つとされます。
これは生首(ドクロ)が不老長寿の薬であるとも考えられます。
そして真言立川流ではドクロに漆や和合水を塗り重ねて髑髏(ドクロ)本尊を作ったそうです。
その髑髏本尊を袋に入れ、7年間抱いて寝ると8年目に髑髏本尊は命を持って語りだすのだとか。
これはまさしくドクロの復活ですね。
どうやらドクロは復活にかかせない呪術のアイテムであったようです。
⑤釈迦と袋でも弥勒菩薩は袋は持ってへんやんって?
弥勒菩薩は釈迦が56億7000万年後に復活した姿であると私は思いますが
釈迦涅槃図図(釈迦が入滅した際、人々が嘆き悲しむ様子を描いたもの)には、袋が描かれています。
http://www.gyokusenzi.com/sanbukki/nehanz/nehanz.htm釈迦のお母さまの摩耶夫人が、釈迦のために投じたもので、中には薬が入っているとされます。
薬とはドクロであり、この薬によって釈迦は56億7000万年後に弥勒菩薩として復活するということなのではないかと思ったりします。
[2017/04/29 00:12]
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