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安倍文殊院 桜 『美しい国づくり内閣とは?』  

奈良県桜井市 安倍文殊院
2009年4月5日 撮影


安倍文殊院 金閣浮御 桜4 
安倍文殊院 金閣浮御堂

①安倍晋三さん、安倍文殊院に石塔を寄進。

安倍文殊院は飛鳥時代に安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が氏寺として建立したと伝わります。
1985年、金閣浮御堂(仲麻呂堂)が建立され、安倍仲麻呂像、安倍晴明像などが祀られています。

私が安倍文殊院を参拝したのは2009年で、そのときはなかったのですが
2010年には安倍晋三さんが石塔を寄進されたそうです。

安倍晋三さんは90代(2006年9月26日~2007年9月26日)、96-97代(2012年12月26日~)内閣総理大臣ですね。
なぜ安倍晋三さんが安倍文殊院に石塔を寄進したのかというと、それはもちろん安倍文殊院が安倍氏の氏寺だからでしょう。

安倍宗任(あべのむねとう/1032年~1108年)という人物がいます。
陸奥国の俘囚の長・安倍氏の人物で、1051年 -1062年におきた前九年の役で父・頼時、兄・貞任とともに源頼義と戦った人物です。
この安倍宗任は安倍晋三氏のご先祖なのだそうです。

安倍文殊院 金閣浮御 桜3

安倍文殊院 金閣浮御堂

②美しい国づくり内閣


安倍晋三さんは90代内閣総理大臣のとき、『美しい国づくり内閣』をスローガンとしていました。
カタカナ語を多用したこともあって、議員から『抽象的でわかりにくい』などの批判を浴びました。
安倍晋三さんはなぜスローガンを『美しい国づくり内閣』としたのでしょうか。

③安倍晋三さんはアビヒコの子孫?


さきほど、安倍晋三さんは安倍宗任の子孫だといいましたが、さらにこの安倍宗任はアビヒコの子孫とされます。

アビヒコはナガスネヒコの兄です。

ナガスネヒコは初代神武天皇が日向より東征して畿内入りする以前より畿内に住んでいました。
しかし、神武と戦って敗れ、畿内は神武に奪われました。
ナガスネヒコと兄のアビヒコはともに青森県弘前に逃れたとか、ナガスネヒコが神武との戦いで戦死したのち、アビヒコは津軽地方に流されたなどと伝わっています。
アビヒコとナガスネヒコは同一人物だとする説もあります。

 安倍文殊院 金閣浮御 桜2

安倍文殊院 金閣浮御堂

④ナガスネヒコ・アビヒコは物部氏?

ナガスネヒコはニギハヤヒという神を奉じていました。
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされます。
するとナガスネヒコやアビヒコも物部氏であるか、物部氏に近い人物ではないかと思われますね。

⑤ニギハヤヒは天照大神?

ニギハヤヒは先代旧事本記では、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)と記されています。
そして天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊という名前から、ニギハヤヒが本当の天照大神ではないかとする説もあります。

ニギハヤヒは男神です。
一般に天照大神は女神とされますが、天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップに興味を持って天岩戸から出てきます。
女神のストリップに興味を持つのは男だ、よって天照大神は男神だとする説もあります。

安倍文殊院 金閣浮御 桜 
安倍文殊院 金閣浮御堂

⑥天照大神はなぜ女神とされているのか?


でも天照大神の子孫は物部氏ではなく、天皇家とされていますね。
天皇家の先祖が天照大神というのはウソではないと思いますが、初代神武天皇が天照大神の子孫というのは嘘だと思います。

もともと畿内には物部王朝があり、天照大神とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊のことで、物部氏の神だと私は思います。
物部王朝の男子が天照大神となって国を治めていたところに、
日向からやってきた男(神武)が婿入りすることで政権を奪ったのだと思います。

初代神武天皇は大物主の娘のヒメタタライスズヒメを皇后としています。
大物主は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)ともいい
ニギハヤヒの別名・天照国照彦火明櫛玉饒速日命と櫛と魂(玉)が同じなので、大物主命とニギハヤヒは同一神とする説もあります。

すると神武は物部王朝の娘と結婚したということになります。

そして神武は物部王朝の血はひいていないので、物部王朝の祖神・天照大神の子孫だとはいえません。
そこで妻のヒメタタライスズヒメを天照大神としたのだと思います。
こうすれば、神武の子孫が天照大神(=ヒメタタライスズヒメ)の子孫を名乗っても嘘にはなりません。

しかし、天皇家は神武の血が後世に確実に残るように、天皇を男系に限っています。
女性の天皇もいますが、推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)・明正・後桜町天皇はすべて中継ぎの天皇です。
独身で即位した元正・孝謙(称徳)は結婚もしていません。

⑦神風の伊勢の国は可怜国(うましくに)なり。

10代崇神天皇の代まで天照大神は倭大国魂神とともに宮中において祀られていました。
ところが疫病が流行り、人民の中には朝廷に背くものも現れました。
そのため天皇は2柱の神とともに生活するのが恐ろしくなり、倭大国魂神は渟名川入姫命、天照大神は豊鍬入姫命に託して宮中の外で祀らせました。

豊鍬入姫命が年老いると、かわりに倭姫命が天照大神を祀りました。
倭姫命は天照大神が鎮座するのにふさわしい土地を探して諸国をまわりました。
倭姫命は各地を転々としたが、伊勢にやってきたとき、天照大神が
『この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)の帰する国なり、 傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。この国に居らむとおもう』
と託宣し、天照大神は伊勢神宮に鎮座することになりました。

天照大神は『この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)の帰する国なり、 傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。この国に居らむとおもう』と託宣していますね。
うまし国とはどのような国なのでしょうか。

ニギハヤヒとナガスネヒコの妹・トミヤスヒメの間に生まれたウマシマジノミコトもまた物部氏の祖神だとされています。
『うまし国』とは『物部氏の国』という意味なのかも?

⑧『美しい国』とは『美し(うまし)国』?

安倍家には自分たちはアビヒコの子孫であり、本当の天照大神(男神)の子孫は天皇家ではなく、物部氏や安部氏であると言い伝えられているのではないかと想像します。

安部普三さんのいう『美しい国』とは『美し(うまし)国』という意味ではないでしょうか。

かつて物部氏や安部氏の先祖であるニギハヤヒやナガスネヒコが日本という国を統治していたが、日向からやってきた神武に政権を奪われました。
安部晋三さんは総理大臣となったとき、ニギハヤヒ、ナガスネヒコ以来、およそ2000年ぶりにアビヒコの血をひく自分が日本を統治するのだという感慨にふけったかも~。

安倍晋三さんが90代総理大臣となった翌年の初詣に伊勢神宮を訪れているニュースを見ました。
村山総理以外の歴代総理大臣は新年に伊勢神宮を参拝しているそうで、安倍晋三さんが伊勢神宮を参拝したのは慣習に従っただけかもしれません。
しかし安倍晋三さんは第42回先進国首脳会議の開催地にも伊勢志摩を選んでいます。
天照大神が鎮座するうまし国伊勢は安倍晋三さんにとって思い入れのある土地のようです。
それは伊勢に祀られている天照大神が天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)であり、安倍晋三さんの遠い先祖にあたるためではないかと思ったりします。

安倍文殊院 本堂 桜 
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[2017/04/27 09:23] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)