粉河寺 桜 『770年に目撃された光の正体とは』 

和歌山県紀の川市 粉河寺
2012年4月初旬 撮影


①粉河寺縁起絵巻

粉河寺 桜3 
粉河寺に次のように記されています。

770年、紀伊国の猟師・大伴孔子古は山の中に不思議な光を見つけ、そこに庵を結びました。
あるとき、ひとりの童子に宿を貸しました。
童子は宿を貸してくれたお礼にと千手観音像を刻んで姿を消しました。
その後、大伴孔子古は殺生をやめるようになりました。

粉河寺 桜  
②770年に墜ちた星

うーん、確か京都の三室戸寺も770年の創建でしたね。

三室戸寺 躑躅 石楠花 『地獄に堕ちたビーナス』 

上の記事に次のようなことを書きました。

⑴藤原犬養が白壁王(光仁天皇)に命じられて金色の光の正体を確かめたところ、それは千手観音像だった。(三室戸寺の本尊)

⑵三室戸寺は山号を明星山という。

⑶明星とは金星のことである。

⑷日本の神話には星の神はたった一柱しか登場しない。日本にはかつて星の神を信仰する民がいたが、星の神は抹殺されたとする説もある。

⑸星の神は天津甕星(アマツミカボシ/またの名をカカセオ)といい、天照大神の葦原中国平定において、最後まで抵抗した荒々しく凄まじい神であるとされる。

⑹三室戸寺はは「まつろわぬ民」を祀る寺ではないか。

⑺三室戸寺が創建された770年は光仁天皇が即位した年。

⑻白壁王は天智天皇の孫だが、壬申の乱後は天武系の天皇が続き、皇位継承には遠い場所にいた。

⑼770年称徳天皇(女帝)が急死。

⑽称徳天皇は独身だった。(未婚の女性が皇位につく場合結婚が許されていなかったと思われる)

⑾769年、宇佐八幡宮で『道鏡を天皇にせよ』と託宣があり、称徳天皇は事の真偽を確かめるために、和気清麻呂を宇佐八幡宮へ派遣した。
清麻呂は『天の日継は必ず帝の氏を継が締めむ』と奏上し、称徳に怒りを買って大隅国へ配流された。(宇佐八幡宮神託事件)。

⑿宇佐八幡神託事件の翌年の770年、称徳天皇は天然痘を患って病床につき、数日後に亡くなった。暗殺説もあり。

⒀称徳天皇崩御後、藤原永手や藤原百川の推挙を受けて白壁王が即位して光仁天皇となった。
称徳天皇の死によって道鏡は失脚し、下野国へ左遷となり、772年死亡し庶民として葬られた。

⒁白壁王が目にした金色に輝く光、それは称徳天皇が地獄へ墜ちていくときに放った光ではないか。

②をふまえて考えると、粉河寺を創建した大伴孔子古が見つけた光もまた、称徳天皇が地獄へ墜ちていくときに放った光ではないかと考えられます。

粉河寺

③大伴孔子古と大伴家持


で、鷺池 浮見堂 百日紅となら燈花会  『大伴家持、藤原仲麻呂を批判する歌を詠む?』 
↑ こちらの記事には次のように書きました。
「770年、称徳天皇が崩御し、道鏡が失脚すると大伴家持は順調に昇進するようになります。
782年に氷上川継の乱への関与を疑われて都を追放されるも、翌年には許されて中納言となっています。 」

うーーん、もしかして大伴孔子古って大伴家持のことなんですかね?

粉河寺 桜2

大伴孔子古は猟師やん、大伴家持は官僚やろって?

でも、空也堂 空也忌 『空也が愛した鹿とは平将門のことだった?』 
↑ こちらの記事では平定盛(平貞盛)が空也が愛していた鹿を殺したとあります。
平貞森は平将門を討伐した人で、空也が愛していた鹿とは平将門のことだと考えられます。
平定盛は鹿(実は平将門の比喩)を殺したとあることから、猟師だといわれることもあります。

で大伴氏は武力で天皇家に仕える家柄だったので、比喩的に猟師といっているのではないかと思われます。

すると猟師の大伴孔子古が殺したのは称徳天皇?もしかしたら下野に左遷になった道鏡かも?


粉河寺 桜4 


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[2017/04/05 00:00] 和歌山 | トラックバック(-) | コメント(-)