法蔵寺 しだれ桜 『まともな死に方をした人がいない!』 

栃木県日光市 法蔵寺
2016年4月中旬 撮影

法蔵寺 しだれ桜


①法蔵寺

法蔵寺は浄土宗のお寺で、1389年10月に創建された心光院が始まりとされています。
心光院は新田義貞の孫で新田義宗の子の良徳が一族の菩提を弔うために創建したと伝えられています。

法蔵寺 鐘楼 しだれ桜 


②まともな死に方をした人がいない。

新田家の人々はみな悲惨な最後をとげています。

まず新田義貞。

鎌倉幕府を攻撃して滅亡させた人で、その後、後醍醐天皇は建武親政を行います。
もうひとりの倒幕の貢献者・足利尊氏が離反した際には後醍醐天皇方について足利尊氏と闘っています。
しかし越前藤島で戦死しました。

法蔵寺 地蔵 しだれ桜 


次に新田義貞の子の新田義宗。
後醍醐天皇が南朝をおこすと南朝方につき足利氏と対立して敗北。
戦死しました。

法蔵寺 しだれ桜2


義宗の子の貞方は後南朝側についていましたが、潜伏しているところをとらえられて息子の貞邦と共に斬られました。

新田義宗の落胤といわれる岩松満純は、やはり足利氏と対立して敗戦し斬首されています。

得川 親季(世良田政義の子ともされる。)は足利将軍家方の一色氏・細川氏と闘って戦死。

脇屋義則(脇屋義治の嫡男。新田義宗の子で脇屋義治の養子となったとする説がある。)も子・義行とともに殺されたとされます。

まともな死を迎えた者がひとりもいません。

法蔵寺 しだれ桜 ライトアップ2


③十王絵図

法蔵寺には十王絵図があるそうです。(お盆の時期に公開しているとのこと)
十王とは亡者を裁く10人の判官のことで、地獄で鬼たちに苦しめられる亡者の姿が描かれているのだとか。

新田一族の人生は生きながらにしてこの地獄のようなものだったのかも。

法蔵寺を創建したのは新田義宗の子の良徳だといいますが、ウィキペディアには義宗の子として良徳の名前がありません。
義宗の子・貞方、岩松満純・横瀬貞氏・宗親・得川親季・脇屋義則いずれかの法名であるのかもしれませんが
もしかしたら良徳とは新田一族の亡霊の総称だったりして?

法蔵寺 しだれ桜 ライトアップ  



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[2017/04/03 12:35] 栃木県 | トラックバック(-) | コメント(-)