2016年 5月の風景 祭 まとめ 

備中国分寺 蓮華草 鯉のぼり 『梅雨時にあげていた昔の鯉のぼり』 

備中国分寺 蓮華草2

備中国分寺 鯉のぼり

浅草寺 スカイツリー 鯉のぼり 『皆既日食と推古天皇崩御』 

浅草寺 五重塔 と スカイツリー

浅草寺 鯉のぼり

普門寺 藤 躑躅 「藤と『ジャックと豆の木』」 

普門寺 藤

普門寺 躑躅

二荒山神社 弥生祭 『アヂスキタカヒコネとヒトコトヌシは同一神だった?』 ※追記 訂正あり 

弥生祭 並ぶ花家体

弥生祭 少女たち

三室戸寺 躑躅 石楠花 『地獄に堕ちたビーナス』 

三室戸寺 本堂 躑躅

三室戸寺 本堂 石楠花

璉珹寺(紀寺跡) 茉莉花 『女人裸形の阿弥陀如来』 

璉珹寺 門 茉莉花

葵祭 『天地を和合させる祭?』 

葵祭 斎王代列 斎王代

葵祭 斎王代列 牛車

長尾 芝桜 『角のない鬼たち』 

長尾の芝桜 民家

日光東照宮 例大祭 流鏑馬 神輿渡御 『星の神を祀っているのになぜ日光東照宮?』 

日光東照宮 流鏑馬

日光東照宮 神輿2

日光東照宮 例大祭 百物揃千人武者行列 『変わっていく神の定義?』※追記 訂正 

日光東照宮 百物揃千人武者行列 稚児2

日光東照宮 百物揃千人武者行列 武者

霜降高原  つつじ 『つつじは星の花?』 

霜降高原 チロリン村 躑躅2

霜降高原 滝

二荒山神社 コバノミツバツツジ 桜  『大黒田道間守は不老長寿の神?』 

二荒山神社 中宮祠 狛犬 阿形 コバノミツバツツジ



足利フラワーパーク 『大河ドラマ・義経に描かれた茨木童子のイメージ』 

足利フラワーパーク 薔薇


織姫神社 夜景 『織物の神は性の神だった?』 

織姫神社 ライトアップ

鑁阿寺 栗の花 『栗のいがを手に持つ蛭子女尊』 

鑁阿寺-多宝塔 栗の花 

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[2017/04/30 00:00] まとめ | トラックバック(-) | コメント(-)

大野寺 しだれ桜 『弥勒菩薩と布袋・大黒天の共通点』 

奈良県宇陀市 大野寺
2009年4月5日 撮影

大野寺 山門 しだれ桜

①巨大な弥勒磨崖仏


室生寺に行く道中の宇陀川沿いに、大野寺はしだれ桜にうもれるようにしてありました。
対岸には巨大な線刻の弥勒菩薩が。
大野寺の御本尊は弥勒菩薩なので、それにちなんでこの弥勒磨崖仏は刻まれたのでしょう。

大野寺 弥勒磨崖仏 しだれ桜

興福寺の僧・雅緑が発願して1207年に制作が始まりました。
開眼供養が行われたのは1210年で、このとき後鳥羽上皇がおいでになられたそうです。

大野寺 弥勒磨崖仏 しだれ桜2

②大黒天磨崖仏

弥勒磨崖仏の近くには大黒天磨崖仏もありました。
大正時代、奈良市法蓮町の長慶寺を建立した吉村長慶が発願して刻まれたもののようです。

吉村長慶はなぜ大野寺の弥勒磨崖仏の近くに大黒天磨崖仏を刻んだのでしょうか。

大黒天磨崖仏

③弥勒菩薩と大黒天に共通する「復活」のイメージ


弥勒菩薩は釈迦入滅後、56億7000万年後にあらわれるとされる菩薩です。
弥勒菩薩が釈迦入滅後56億7000万年後にあらわれるというのは、お釈迦様が56億7000万年後に弥勒菩薩として復活するということではないかと思います。

七福神の一、布袋は弥勒菩薩の化身だとされています。
一般には、布袋が死ぬ間際に「弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり 時時に時人に示すも時人は自ら識らず」という文を残したためだと言われています。

でも私はそれよりも、「布袋が死んだ後、布袋の姿を見かけた」とういう伝説のほうが気になります。
死んだはずの布袋が生きていた、ということですよね。
つまり布袋は生き返った(復活)のです。
弥勒菩薩も復活する菩薩なので、それで布袋は弥勒菩薩の化身だとされているのではないでしょうか?

そしてやはり七福神の一である大黒天は、もともとはインドの神でマハーカーラ(大いなる闇)という名の神でした。
平安時代、遣唐使として唐に留学していた最澄が日本に大黒天の信仰を伝えたとされます。
最澄が開いた延暦寺の国宝館にはたくさん大黒天が展示されていました。

大黒天は記紀神話に登場する大国主命と習合されて信仰されました。
記紀を読むと、大国主は兄たちにいじめられて何度も殺されますが、そのたびに生き返っています。
なんか『リングにかけろ』みたいですね~。

吉村長慶は弥勒菩薩に復活のイメージがあるので、やはり復活のイメージのある大黒天を弥勒磨崖仏の近くに刻んだのではないでしょうか?

大野寺 しだれ桜2 

④大黒天と布袋の袋の中身


弥勒菩薩の化身とされる布袋、そして大黒天はどちらも大きな袋を持っています。

萬福寺 布袋  

萬福寺 布袋像

さて、この袋の中には何が入っているのでしょうか?

私は袋の中身はドクロではないかと考えています。
大黒天の前身であるマハーカーラは不老長寿の薬や、生首を持つとされます。
これは生首(ドクロ)が不老長寿の薬であるとも考えられます。

そして真言立川流ではドクロに漆や和合水を塗り重ねて髑髏(ドクロ)本尊を作ったそうです。
その髑髏本尊を袋に入れ、7年間抱いて寝ると8年目に髑髏本尊は命を持って語りだすのだとか。
これはまさしくドクロの復活ですね。

どうやらドクロは復活にかかせない呪術のアイテムであったようです。

大野寺 山門 しだれ桜2 

⑤釈迦と袋

でも弥勒菩薩は袋は持ってへんやんって?

弥勒菩薩は釈迦が56億7000万年後に復活した姿であると私は思いますが
釈迦涅槃図図(釈迦が入滅した際、人々が嘆き悲しむ様子を描いたもの)には、袋が描かれています。

http://www.gyokusenzi.com/sanbukki/nehanz/nehanz.htm
釈迦のお母さまの摩耶夫人が、釈迦のために投じたもので、中には薬が入っているとされます。
薬とはドクロであり、この薬によって釈迦は56億7000万年後に弥勒菩薩として復活するということなのではないかと思ったりします。

大野寺 しだれ桜 

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[2017/04/29 00:12] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)

安倍文殊院 桜 『美しい国づくり内閣とは?』  

奈良県桜井市 安倍文殊院
2009年4月5日 撮影


安倍文殊院 金閣浮御 桜4 
安倍文殊院 金閣浮御堂

①安倍晋三さん、安倍文殊院に石塔を寄進。

安倍文殊院は飛鳥時代に安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が氏寺として建立したと伝わります。
1985年、金閣浮御堂(仲麻呂堂)が建立され、安倍仲麻呂像、安倍晴明像などが祀られています。

私が安倍文殊院を参拝したのは2009年で、そのときはなかったのですが
2010年には安倍晋三さんが石塔を寄進されたそうです。

安倍晋三さんは90代(2006年9月26日~2007年9月26日)、96-97代(2012年12月26日~)内閣総理大臣ですね。
なぜ安倍晋三さんが安倍文殊院に石塔を寄進したのかというと、それはもちろん安倍文殊院が安倍氏の氏寺だからでしょう。

安倍宗任(あべのむねとう/1032年~1108年)という人物がいます。
陸奥国の俘囚の長・安倍氏の人物で、1051年 -1062年におきた前九年の役で父・頼時、兄・貞任とともに源頼義と戦った人物です。
この安倍宗任は安倍晋三氏のご先祖なのだそうです。

安倍文殊院 金閣浮御 桜3

安倍文殊院 金閣浮御堂

②美しい国づくり内閣


安倍晋三さんは90代内閣総理大臣のとき、『美しい国づくり内閣』をスローガンとしていました。
カタカナ語を多用したこともあって、議員から『抽象的でわかりにくい』などの批判を浴びました。
安倍晋三さんはなぜスローガンを『美しい国づくり内閣』としたのでしょうか。

③安倍晋三さんはアビヒコの子孫?


さきほど、安倍晋三さんは安倍宗任の子孫だといいましたが、さらにこの安倍宗任はアビヒコの子孫とされます。

アビヒコはナガスネヒコの兄です。

ナガスネヒコは初代神武天皇が日向より東征して畿内入りする以前より畿内に住んでいました。
しかし、神武と戦って敗れ、畿内は神武に奪われました。
ナガスネヒコと兄のアビヒコはともに青森県弘前に逃れたとか、ナガスネヒコが神武との戦いで戦死したのち、アビヒコは津軽地方に流されたなどと伝わっています。
アビヒコとナガスネヒコは同一人物だとする説もあります。

 安倍文殊院 金閣浮御 桜2

安倍文殊院 金閣浮御堂

④ナガスネヒコ・アビヒコは物部氏?

ナガスネヒコはニギハヤヒという神を奉じていました。
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされます。
するとナガスネヒコやアビヒコも物部氏であるか、物部氏に近い人物ではないかと思われますね。

⑤ニギハヤヒは天照大神?

ニギハヤヒは先代旧事本記では、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)と記されています。
そして天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊という名前から、ニギハヤヒが本当の天照大神ではないかとする説もあります。

ニギハヤヒは男神です。
一般に天照大神は女神とされますが、天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップに興味を持って天岩戸から出てきます。
女神のストリップに興味を持つのは男だ、よって天照大神は男神だとする説もあります。

安倍文殊院 金閣浮御 桜 
安倍文殊院 金閣浮御堂

⑥天照大神はなぜ女神とされているのか?


でも天照大神の子孫は物部氏ではなく、天皇家とされていますね。
天皇家の先祖が天照大神というのはウソではないと思いますが、初代神武天皇が天照大神の子孫というのは嘘だと思います。

もともと畿内には物部王朝があり、天照大神とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊のことで、物部氏の神だと私は思います。
物部王朝の男子が天照大神となって国を治めていたところに、
日向からやってきた男(神武)が婿入りすることで政権を奪ったのだと思います。

初代神武天皇は大物主の娘のヒメタタライスズヒメを皇后としています。
大物主は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)ともいい
ニギハヤヒの別名・天照国照彦火明櫛玉饒速日命と櫛と魂(玉)が同じなので、大物主命とニギハヤヒは同一神とする説もあります。

すると神武は物部王朝の娘と結婚したということになります。

そして神武は物部王朝の血はひいていないので、物部王朝の祖神・天照大神の子孫だとはいえません。
そこで妻のヒメタタライスズヒメを天照大神としたのだと思います。
こうすれば、神武の子孫が天照大神(=ヒメタタライスズヒメ)の子孫を名乗っても嘘にはなりません。

しかし、天皇家は神武の血が後世に確実に残るように、天皇を男系に限っています。
女性の天皇もいますが、推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)・明正・後桜町天皇はすべて中継ぎの天皇です。
独身で即位した元正・孝謙(称徳)は結婚もしていません。

⑦神風の伊勢の国は可怜国(うましくに)なり。

10代崇神天皇の代まで天照大神は倭大国魂神とともに宮中において祀られていました。
ところが疫病が流行り、人民の中には朝廷に背くものも現れました。
そのため天皇は2柱の神とともに生活するのが恐ろしくなり、倭大国魂神は渟名川入姫命、天照大神は豊鍬入姫命に託して宮中の外で祀らせました。

豊鍬入姫命が年老いると、かわりに倭姫命が天照大神を祀りました。
倭姫命は天照大神が鎮座するのにふさわしい土地を探して諸国をまわりました。
倭姫命は各地を転々としたが、伊勢にやってきたとき、天照大神が
『この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)の帰する国なり、 傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。この国に居らむとおもう』
と託宣し、天照大神は伊勢神宮に鎮座することになりました。

天照大神は『この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)の帰する国なり、 傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。この国に居らむとおもう』と託宣していますね。
うまし国とはどのような国なのでしょうか。

ニギハヤヒとナガスネヒコの妹・トミヤスヒメの間に生まれたウマシマジノミコトもまた物部氏の祖神だとされています。
『うまし国』とは『物部氏の国』という意味なのかも?

⑧『美しい国』とは『美し(うまし)国』?

安倍家には自分たちはアビヒコの子孫であり、本当の天照大神(男神)の子孫は天皇家ではなく、物部氏や安部氏であると言い伝えられているのではないかと想像します。

安部普三さんのいう『美しい国』とは『美し(うまし)国』という意味ではないでしょうか。

かつて物部氏や安部氏の先祖であるニギハヤヒやナガスネヒコが日本という国を統治していたが、日向からやってきた神武に政権を奪われました。
安部晋三さんは総理大臣となったとき、ニギハヤヒ、ナガスネヒコ以来、およそ2000年ぶりにアビヒコの血をひく自分が日本を統治するのだという感慨にふけったかも~。

安倍晋三さんが90代総理大臣となった翌年の初詣に伊勢神宮を訪れているニュースを見ました。
また安倍晋三さんは第42回先進国首脳会議の開催地にも伊勢志摩を選んでいます。
天照大神が鎮座するうまし国伊勢は安倍晋三さんにとって思い入れのある土地のようです。
それは伊勢に祀られている天照大神が天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)であり、安倍晋三さんの遠い先祖にあたるためではないかと思ったりします。

安倍文殊院 本堂 桜 

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[2017/04/27 09:23] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)

勝尾寺 桜 『勝尾寺は鰹寺?』 

大阪府箕面市 勝尾寺
撮影 2017年4月24日

勝尾寺 多宝塔 しだれ桜

①王に勝った寺

727年、双子の兄弟、善仲と善算(年藤原致房の子)がここに草庵を築き、765年開成(光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄)が善仲、善算に弟子入りしました。 
777年、開成は大般若経600巻の書写をやり遂げ、この場所に弥勒寺を創建しました。
780年、妙観が十一面千手観世音菩薩立像を刻み、本尊として安置しました。
880年、行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があったため、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」 の寺号を帝より賜りました。
しかし、「王に勝った寺」とはあまりに畏れ多いとして、「王」を「尾」として勝尾寺と号したそうです。

勝尾寺 多宝塔 石楠花

②勝尾寺での祈祷もむなしく、清和天皇は881年に崩御されていた!

いやー、この話はおかしいですね!
というのは、「880年、行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があった」というのですが、翌年の881年、清和天皇は崩御されているんですよね~。

清和天皇は858年、9歳で即位しました。
平家物語には惟仁親王(清和天皇)と惟喬親王のどちらを皇太子にするかでもめたことが記されています。
876年、第一皇子の陽成天皇に譲位し、879年に出家して畿内巡幸の旅をしました。
880年、丹波国水尾の地で絶食を行うなど厳しい苦行を行っています。
その後左大臣源融の別邸棲霞観で発病し、881年、粟田の円覚寺で崩御されました。

880年、清和天皇は苦行を行ったせいで病となり、そのため行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行ったのでしょう。
ですが清和天皇は崩御されてしまったので、行巡の祈祷は効験があったとはいえなくはないですか?

勝尾寺 多宝塔 桜

③「王に勝った寺」は日本語的におかしい。


また清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があったため、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」 の寺号を帝より賜ったというのもおかしいですね。

もしも本当に行巡の祈祷の効験があったのなら、「王に勝った寺」というのは日本語的におかしいです。
「王の病に勝った寺」と言うべきで、勝尾寺という寺名の由来を「勝王寺からくる」とするのは、ちょっとこじつけっぽく思えてしまう~。

また、実際には清和天皇はそのまま崩御されたので、行巡の祈祷の効験はなかったといいうことになります。

行巡が「清和天皇、死ね!」と祈祷していたと考えると「王(天皇)に勝った寺」というのは筋が通りそうに思えますが~(笑)

正確に言うと清和天皇は天皇であって王でもありませんしね。

王とはもともとは君主を意味する言葉でしたが、日本では国の君主には天皇と言う称号が使われていますね。
天皇の子の男子で、親王宣下を受けた者は親王と呼ばれました。
王とは天皇の子の男子ではあっても親王宣下をうけていない者のことを言いました。

勝尾寺-二階堂 しだれ桜

④勝尾寺は鰹寺?

勝尾寺という寺名は勝王寺からくるのではなく、もともとは鰹寺でそれが転じて勝尾寺になったのではないかと想ったりもします。

えーーっ、勝尾寺があるのは山の中やん、それなのになんで鰹なのって?

⑤ハンセン病にかかった皇子

①で765年開成(光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄)が善仲、善算に弟子入りしたと書きましたね。
開成は「かいじょう」と読み、静岡県磐田市の白山神社の創建説話に登場する海上皇子(戒成皇子/桓武天皇の第四皇子)と関係があるのではないかと前田速男さんが指摘されています。

また愛知県新城市の白山神社の創建説話には後醍醐天皇の第3皇子・開成皇子が登場します。
こちらの開成皇子は勝尾寺の開成と同じ字ですね。
勝尾寺大阪府箕面市開成光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄
白山神社静岡県磐田市海上皇子(戒成皇子)桓武天皇の第四皇子
白山神社愛知県新城市開成皇子後醍醐天皇の第3皇子
で、海人皇子と開成皇子はどちらも「裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、病になった」と伝えられています。
開成皇子は何の病になったのかわかりませんが海人皇子についてはハンセン病になったとされています。

3人の父親は異なりますが、ハンセン病にかかった伝説のある皇子のことを、開成・海上・戒成と呼んでいるのではないでしょうか。

勝尾寺 山門  

⑥実際にハンセン病にかかったわけではない、と思う。


日本書紀にトガノの鹿という話が記されています。

雄鹿が「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて全身に塩を振られているのです。」と答えました。
翌朝、雌鹿の占いのとおり雄島は漁師に撃たれて死にました。(トガノの鹿)

鹿の夏毛には白い斑点があります。
その白い斑点が霜や塩に喩えられたのでしょう。

そして謀反の罪で殺された人には塩が振られることがあり、鹿とは謀反人の比喩だとする説があります。

また日本書紀は次のような話もあります。


612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。

ハンセン病患者の症状はさまざまですが、白い斑点ができるものがあります。
鹿はこの百済から渡来した者がいうように、白斑があります。

つまり、次のような発想で謀反人と鹿やハンセン病患者は結び付けられたのではないかと思います。

謀反人→死体に塩を振る→鹿の白斑を思わせる→ハンセン病患者を思わせる。

⑦ハンセン病の古名のひとつ、カタヰ。


ハンセン病は古にはらい病、ナリンボ、ドス、カタヰ(カタイ)などとも言ったそうです。
海上皇子という名前は海の魚を想起させますし、魚偏に堅いと書けば鰹となりますね。

そういうわけで、鰹寺から勝尾寺になったのではないかと思ったりするんですが、あまりにトンデモですかね?

 勝尾寺 鐘楼 桜


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[2017/04/25 16:36] 大阪 | トラックバック(-) | コメント(-)

上賀茂神社 斎王桜 風流桜 『なぜ賀茂神社には斎王がおかれたの?』 

京都市北区 上賀茂神社
2017年㋃中旬 撮影


上賀茂神社 斎王桜 
上賀茂神社 斎王桜 向かって左手に小さく見えているのは風流桜

①斎王

上賀茂神社と下鴨神社をあわせて賀茂神社といいますが、賀茂神社には斎王が仕えていました。
上賀茂神社の斎王桜はその斎王から名前をとったのですね。

現在、賀茂神社に斎王はおらず、そのかわりに資産家の令嬢が斎王代に選ばれています。
葵祭など、賀茂神社の祭礼の際に登場しますね。

葵祭 斎王代列 斎王代 
葵祭 斎王代

斎王とは巫女のようなものですが、一般の神社の巫女を斎王とは言いません。
斎王というのは、賀茂神社と伊勢神宮に仕える巫女に限られ、未婚の内親王がこれを勤めました。
(伊勢神宮の斎王は斎宮、賀茂神社の斎王は斎院と呼んで区別することもありました。)

伊勢神宮に仕えた初代斎宮は10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命です。
豊鍬入姫命は父・崇神天皇に命じられ、それまで宮中で祀っていた天照大神を宮中の外の笠縫邑で祀りました。
笠縫邑の比定地はいくつか候補がありますが、奈良県桜井市の檜原神社(大神神社の摂社)が有力です。

大神神社 繞道祭 檜原神社にて 
檜原神社 繞道祭(にょうどうさい

その後、倭姫が2代目斎王となり、倭姫は天照大神を祀るのに適した場所を求めて各地を転々とし、最終的に伊勢の地におちつきました。

②賀茂氏の氏神になぜ天皇家の皇女が仕えるの?

なぜ、伊勢神宮と賀茂神社にのみ斎王(斎宮・斎院)がいるのでしょうか?
天皇家は天照大神の子孫とされているので、天照大神を祀る伊勢神宮が特別視されるのは当然といえば当然です。
でも、賀茂神社は賀茂氏の氏神を祀る神社やん?
その賀茂氏の神社になんで天皇家の皇女が仕えるんでしょう?

上賀茂神社 斎王桜2 

上賀茂神社 斎王桜

③賀茂建角身命=大物主命?

賀茂神社には次のような伝説が伝えられています。

ある日川から丹塗りの矢が流れてきました。
玉依姫がこれを持ち帰り、枕元に置いて寝るとやがて妊娠し、別雷命が生まれました。

丹塗りの矢に化けていたのが賀茂建角身命で、依姫命と賀茂建角身命は下鴨神社に、別雷命は上賀茂神社に祀られています。

下鴨神社 蹴鞠始め2 
下鴨神社 蹴鞠始め

これと全く同じ伝説が奈良の大神神社にも伝わっています。

大神神社の御祭神のる大物主命は丹塗りの矢に姿を変え、用を足しに川へやってきたセヤダタラヒメのほとを突きました。
セヤダタラヒメが矢を持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれ、ヒメタタライスズヒメ(イスケヨリヒメ)が生まれました。
ヒメタタライスズヒメは後に神武天皇の后となりました。

女性の名前はセヤダタタラヒメですが、大物主命の妻に活玉依比売(イクタマヨリヒメ)がいます。
セヤダタタラヒメ=活玉依比売=玉依姫で、賀茂神社の伝説に登場する賀茂建角身命とは大物主命のことではないかと思えます。

大神神社  

大神神社

④八咫烏は復活した太陽神?

八咫烏は賀茂建角身命の化身とされています。

八咫烏とは熊野で初代神武天皇を道案内したとされる3本脚の烏です。

初代神武天皇は日向に住んでいましたが、あまりに国の端であるということで東征し、畿内入りをめざしました。
しかし畿内にはすでにニギハヤヒという神が天下っており、ナガスネヒコという者がニギハヤヒを神と奉じていました。
神武天皇は河内国へ上陸し、ナガスネヒコの軍と戦いますが、敗れます。
そこで神武天皇はいったん南に迂回して紀州から上陸することにしました。
神武は熊野を北上しますが、この際、鴨建角身命が八咫烏となって現れ、神武天皇を道案内しました。
再び畿内入りした神武天皇はナガスネヒコと再決戦を迎えます。
このときナガスネヒコが神と奉じていたニギハヤヒは神武に服し、ニギハヤヒによってナガスネヒコは殺されたと記紀には記されています。


咫は大きさを示す単位で、八は一般には大きな数字を表すと考えられています。
八咫烏とは大きな烏という意味だとされています。

しかし梅原武さんは「八は復活する数字」だとし、「八角墳は死者の復活を願って作った古墳、八角堂は死者の復活を祈って作ったお堂のことではないか」とおっしゃっています。

朝鮮半島や中国では八咫烏は太陽の中に描かれることが多いです。
八咫烏とは復活した太陽神なのではないでしょうか?

三輪山 日の出 
大神神社の御神体 三輪山の日の出

⑤猿田彦と八咫烏は同一神?

神武天皇を道案内したのは八咫烏ですが、神武の先祖にあたるニニギという神が高天原から葦原中国へ天下る際、猿田彦という神が道案内しています。

猿田彦は天狗の姿をしています。
そしてニニギを道案内した神なので、祭りの行列では先導役とされることが多いです。

杭全神社 夏祭 猿田彦 

杭全神社(大阪市平野区)平野夏祭 猿田彦神

猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」だと記述があります。
これにぴったりな神名を持つ神がいます。
天照国照彦火明櫛玉饒速日命です。
天は高天原、国は葦原中國のことなので、「天照国照彦」とはまさしく「高天原から葦原中国までを照らす神」という意味になります。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命という神名は先代旧事本紀の記述で、古事記や日本書紀では単に饒速日命(ニギハヤヒ)となっています。
この天照国照彦火明櫛玉饒速日命は男神で、本当の天照大神ではないかという説があります。
天岩戸にこもった天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味をもって天岩戸から出てきますが、女神のストリップダンスに興味を持つのは男神だ、というのです。

さらに天照国照彦火明櫛玉饒速日命は物部氏の祖神とされているので、初代神武以前に物部王朝があったとする説もあります。

猿田彦と八咫烏はどちらも天孫の道案内をしているところから、同一神ではないかと私は考えます。

⑥賀茂氏とニギハヤヒ

賀茂氏はスサノオの11世の孫・大賀茂積命を祖とする氏族で、もともとは出雲国に住んでいました。
また、ニギハヤヒの後裔で、物部氏・穂積氏と同祖とされます。

賀茂氏がニギハヤヒの後裔ということは、ますます賀茂建角身命とニギハヤヒの関係の深さがうかがえますね。
賀茂建角身命は復活した太陽神・天照国照彦火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)であり、八咫烏であるということではないでしょうか。

それで天照大神を祀る伊勢神宮と同様、賀茂神社にも斎王をおいているのではないかと思います。

⑦天皇家の祖神・天照大神はなぜ女神なのか。

そして天皇家は女神である天照大神の子孫とされます。
ですが、④で述べたように天照大神は物部王朝の神だと考えられます。

天照大神は物部王朝の神である。
そこに日本の太陽神(天照大神)が世界的に見ても珍しく女神であることの理由があると私は考えています。

④で述べたように初代神武天皇は日向から畿内へやってきますが、このときすでに物部王朝があったようです。
おそらく神武は物部王朝に婿入りし、そうすることで政権を物部氏から奪ったのではないでしょうか。

神武の先祖のニニギは葦原中国に天下って葦原中国のオオヤマツミの娘と結婚しています。
やはりニニギの先祖である山幸彦も竜宮へ行って海神の娘と結婚しています。
神武の先祖に婿入りした話が多いのは、神武が婿入りしたという史実を神話の世界に投影したためではないでしょうか。

また③で述べたように神武の皇后は大物主命の娘ヒメタタライスズヒメです。
ヒメタタライスズヒメの父親・大物主命は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)ともいい
ニギハヤヒの別名・天照国照彦火明櫛玉饒速日命と櫛と魂(玉)が同じなので、大物主命とニギハヤヒは同一神とする説もあります。

天照大神は物部氏の神であり、大和の人々は天照大神を厚く信仰していたのでしょう。
また天照大神の子孫が国をおさめるべきだと考えられていたのだと思います。
そこで神武は物部王朝に婿入りし、天照大神を女神とすることで、自分の子孫を天照大神の子孫と名乗らせたのではないでしょうか。

上賀茂神社 風流桜 
上賀茂神社 風流桜



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[2017/04/23 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

地蔵院 五色散椿 千本釈迦堂 おかめ桜 『布団を被ったお地蔵さま』 

京都市北区 地蔵院 (椿寺)
京都市上京区 千本釈迦堂(大報恩寺)
2017年4月上旬(地蔵院)2016年4月上旬(千本釈迦堂)撮影

地蔵院 五色八重散椿2 
地蔵院 五色八重散椿

①鍬で傷つけられたお地蔵さま

地蔵院のお地蔵さまにはこんな伝説があります。

あるとき干ばつがあり、納屋の庄兵衛は紙谷川の水を独り占めして自分の田に入れ、他の人の田には水を入れさせませんでした。
そこへお坊様があらわれ、庄兵衛に「他の人の田にも水をあげなさい。」とおっしゃいました。
庄兵衛は「このクソ坊主めが!」といって鍬でお坊様の顔を殴りました。
お坊様の顔からは血が流れましたが、黙って立ち去りました。
庄兵衛が後をつけるとお坊さまは椿寺に入っていきました。
椿寺の地蔵堂の扉があいていたので庄兵衛は中に入ってみるとお地蔵さまが血を流しておられました。
このことがあって以来、庄兵衛は水を独り占めすることをしなくなりました。


この伝説からこのお地蔵さまは鍬形地蔵と呼ばれているそうです。
また木納屋地蔵とも呼ばれています。

地蔵院 五色八重散椿3 
地蔵院 五色八重散椿

②鍬で傷つけられたから鍬形地蔵っておかしくない?


つまり鍬で傷つけられたから鍬形地蔵だというんでしょうか。
でもこれ、一般的な日本語の使い方としてはおかしくないですか?

たとえば円盤型UFOというのがありますね。
なぜ円盤型というのかというと、そのUFOが円盤の形をしているからです。
アダムスキー型UFOはジョージ・アダムスキー氏が撮影したため、この名前があります。

形と型はほぼ同じ意味だと考えていいと思いますが
〇〇形、または〇〇型というとき、〇〇にはそのものの特徴や発見者の名前をつけるのが一般的です。
傷つけられた他者の名前をつけることはまずありません。

もしも私がUFOを攻撃してUFOを傷づけたとしましょう。
そのUFOは佳音型UFOと呼ぶでしょうか?
私が発見者であった場合は佳音型UFOと呼ばれるかもしれませんが、私が傷つけたUFOに私の名前がつけられることはないはずです。

③鍬形地蔵には角が生えている?


鍬形地蔵の鍬形とはこのお地蔵さまの特徴が「鍬形」ということなのではないでしょうか。

兜につけられている一対の角状の金属の立物のこともを鍬形といいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C#/media/File:Kabuto-p1000670.jpg

もしかして、このお地蔵さまの頭部には鍬形のような角が生えている?

地蔵院 鍬形地蔵

↑ 地蔵堂の柱に飾られていた鍬形地蔵の写真です。
なんと、頭から布団を被っているではありませんか!
これは怪しい~。
やっぱり頭に角が生えているのかも?

③木納屋地蔵


このお地蔵さまは鍬形地蔵のほか、木納屋地蔵とも呼ばれているとのことです。

納屋とは母家とは別棟に建てられた物置小屋のことで、農家では農作物や 農機具などを、漁村では舟や網を収納するのに用いていました。
それでは木納屋とは何なのでしょうか?

http://gozai.sakura.ne.jp/details1029.html
上記ページに吉村宅の木納屋の写真があり「薪を乾燥、貯蔵するところ」と説明があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AA#/media/File:Stacks_of_firewood,Wood_wall_%E8%96%AA_%E3%82%84%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%AE%E6%A3%AE%E5%85%AC%E5%9C%92_DSCF8679.JPG 〈薪の写真)

http://gozai.sakura.ne.jp/img463.jpg(吉村宅の木納屋の写真)

吉村宅の木納屋に置かれている木材は薪にして長いような?
これを短く切って薪にするのでしょうか?
薪ではなく、建築資材としての木材ではないかと思ったりもするんですが、どうでしょう?

鍬とは農機具だと思っていましたが、
ウィキペディアによると
「鍬(くわ)とは、園芸や農作業、土木作業のため土壌を掘り起こす道具である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%ACより引用)
と書いてあります。

千本釈迦堂 おかめ桜 
千本釈迦堂 おかめ桜

④大工の神?


このあたりには釘抜地蔵と呼ばれる石像寺(しゃくぞうじ)や、大工の棟梁と阿亀の伝説が残る千本釈迦堂(大報恩寺.)などがあります。

釘抜地蔵 
石像寺

千本釈迦堂 おかめ桜とおかめ像 

千本釈迦堂 おかめ桜

また北野白梅町駅前に「北野廃寺跡」という石碑が建てられており、かつて広大な寺があったようですが
北野廃寺は太秦にある広隆寺の前身・蜂岡寺だとする説が有力です。

北野廃寺跡 

北野廃寺跡

広隆寺の御本尊は聖徳太子です。

 四天王寺 夕景 合成

四天王寺

大阪四天王寺の前にある金剛組は聖徳太子を創業者とする世界最古の企業です。(創業578年)
金剛組は多くの宮大工をかかえる建設会社なんですが、その朝礼の風景をテレビでみたことがあります。
社内に厨子があり、その中には聖徳太子像が安置されていました。
そして社員たちはその聖徳太子像に向かって合掌するのです。
まさしく、聖徳太子は建築の神といえるでしょう。

このあたりではかつて建築の神・聖徳太子が厚く信仰されていたのではないでしょうか。
地蔵堂の地蔵が木納屋地蔵と呼ばれるのはそのためではないでしょうか?
また鍬形地蔵と呼ばれるのは、土木工事で用いる鍬が木納屋に収納されることが多かったためではないかと思ったりもします。

千本釈迦堂 門 桜 
千本釈迦堂

⑥鍬形地蔵は手に鍬を持っている?

もう一度、③の鍬形地蔵(木納屋地蔵)の写真を見てください。。
よく見ると錫杖はお地蔵さまの前に置かれていて、お地蔵さま自身が持っておられないような?
布団を外すともしかして手には鍬を持っていたりして?

地蔵院 五色八重散椿 

地蔵院 五色八重散椿



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[2017/04/21 11:57] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

髄心院 桜 『わが御代に降るながめせしまに』 

京都府京都市山科区 髄心院
2017年4月初旬 撮影

髄心院 総門 桜

①花のいろは移りにけりないたづらに

数日前から続く雨が降りやまず、随心院の桜はしっとりと雨に濡れていました。
ここ随心院は小野小町邸宅跡と伝わり、随心院の桜を見ていると小野小町の有名な歌を思い出します。

花の色は 移りにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
(花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
私の容色も花の色と同じで、恋の物思いにふけっている間にすっかり衰えてしまいました。)


髄心院 歌碑 八重桜 
 

②小野小町は男だった?

古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が数多くあります。
古今和歌集仮名序を書いた紀貫之は『土佐日記』で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と女と偽って文章を書いています。

古今和歌集仮名序は小野小町について次のように記しています。
「小野小町は いにしへの衣通姫の流なり あはれなるやうにて強からず いはばよき女の悩めるところあるに似たり
強からぬは 女の歌なればなるべし」
やけに小町が女であることを強調しすぎてはいるように思えるんですよね~。

また小野小町は性的に不能で、穴がない体だったという伝説があります。
穴のない待ち針は小町針がなまったものであるというのです。
穴がない体とは男であるということなのでは?

小野小町は男なのではないでしょうか?
惟喬親王は小野宮という広大な邸宅に住み、自身も小野宮と呼ばれていました。
小野小町とは小野宮=惟喬親王のことではないでしょうか?

  髄心院 薬医門 桜

③3つの意味を持つ歌

花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに

『花』は古今集の排列からみて、桜だとされています。
そして『色』には『カラー』と『容色』のふたつの意味がかかります。
『世にふる』は『世にあって時を経る』という意味ですが、『世』には男女関係という意味もあります。
『ふる』は『降る』の掛詞、『ながめ』は『物思いにふける』という意味で、『長雨』と掛詞になっています。

このような技法を駆使しているため、この歌には二重の意味があるとされます。

①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。

でも私はこの歌にはもうひとつの意味が隠されており、3つの意味を持っているのではないかと考えています。

髄心院 薬医門 桜2

④色褪せたはねずの梅

小町の邸宅跡と伝わる,京都・,随心院の梅園にはたくさんの「はねずの梅」が植えられています。
遅咲きの梅で、桜と同時に満開になることもあるようです。
残念ながら今年は桜が咲くのが遅かったので、梅園の梅はほとんど散ってしまっていましたが。

下の写真は以前に撮影した随心院のはねずの梅です。

髄心院 梅

また鮮やかな赤やピンクのはねずの梅の色のこともはねずといい、色褪せやすいことから『はねず』は『移る』の枕詞になっています。
花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌に詠まれた花とははねずの梅のことだと考えたほうがぴったりきますね。

そうであるのに、なぜこの歌は桜の歌として古今集に取り入れられているのでしょうか。

惟喬親王との世継ぎ争いに勝利して即位した惟仁親王(清和天皇)の母親は藤原明子ですが、明子の父・藤原良房が次のような歌を詠んでいます。

染殿の后のおまへに花瓶(はながめ)に桜の花をささせたまへるを見てよめる
(染殿の后の前の花瓶に桜の花をいけてあるのを見て詠んだ。)

年ふれば 齢(よはひ)は老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし
(年を重ねたので齢は老いたが、美しい桜の花を見れば、悩みなどありはしない。)


染殿の后とは良房の娘の明子のことです。
桜の花のように美しい娘の明子は文徳天皇の后となって惟仁親王を産み、その惟仁親王は皇太子となりました。
惟仁親王が即位して清和天皇となると、良房は清和天皇の摂政となって政治の実権を握りました。
娘の明子が清和天皇を産んだので良房には悩みなどなかったのです。

この歌から当時桜は栄華の象徴だと考えられていたということがわかります。

はねずの梅は鮮やかなピンク色です。
その鮮やかなピンク色のはねずの梅の花の色が長雨のために色が落ち、淡いピンク色の桜になったということで桜の歌として取り上げられたのではないかと私は考えています。

髄心院 桜 

⑤ぎなた読み

『弁慶が なぎなたを もって』と読むべきところを『弁慶がな、ぎなたを持って』などのように、区切りを誤って読むことを『ぎなた読み』といいます。

『ぎなた』という言葉はありませんないが、小野小町はぎなた読みをしても意味が通じるように歌を詠んでいるのがスゴイ!

花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
『わがみよにふる』は『我が身 世に ふる』と読みますが、ぎなた読みで『わが みよに ふる(我が御代にふる)』と読めるではありませんか~。

⑥わが御代にふるながめせしまに


『御代』とは『天皇の治世』、『我が御代に』とは『私の治世に』という意味です。

惟喬親王は文徳天皇の長子でしたが、異母弟・惟仁親王(後の清和天皇)との世継ぎ争いに敗れて小野の里に隠棲し、頻繁に歌会を開きました。
その歌会のメンバーの中に六歌仙の遍照、在原業平、紀有常(喜撰法師)らの名前があります。
彼らは歌会と称して惟喬親王をまつりあげてのクーデターを計画していたとする説があります。

クーデターに成功した暁には惟喬親王は即位して天皇になるつもりだったと考えれば、彼が『わが御代に』と歌を詠んだ意味が理解できます。
実際には彼らのクーデターは未遂に終わったようですが。

高田祟史さんが和歌とは呪術であるというような意味のことをおっしゃっていました。
惟喬親王の歌会とは清和天皇のバックで政権を牛耳る藤原良房や藤原基経らを呪う目的で行われていたのかもしれません。

●小野小町の歌に隠されていた男らしい歌

全文を現代語訳すると、次のような意味になるのではないかと思います。

はねずの梅は長雨が降って色が褪せ、栄華の象徴である桜となった。
私が天皇となって治世をおさめるときがきた。
そんな眺めを私は見るのである。

この一見女らしい小野小町の歌にはその裏に、大変男らしい堂々とした 意味が隠されていたのです。
そして、「我が御世」と堂々と歌い上げることができるのは、小野宮=惟喬親王しかいない!
そう私は思うのです。

髄心院 小野小町

ライトペインティングのジミー西村さんと織物会社が共同制作したタペストリー(髄心院)


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[2017/04/19 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

勧修寺 桜 『浅田真央さんは最後までミラクルだった!』 

京都市山科区 勧修寺
2017年4月初旬

勧修寺 門 桜2 
勧修寺と浅田真央さんには何の関係もありません。
でも勧修寺の清楚な桜の花が真央さんにぴったりだと思いませんか?(ほんとはネタ切れ・・・笑)

●浅田真央さん引退

京都に桜を見に行ったその日の夜、浅田真央さん引退のニュースを聞きました。
それから各局で特番が組まれるなど大変な騒ぎに。
「北朝鮮が爆弾を撃ってくるかもしれないのに、浅田真央ちゃんの引退ばかり騒いでマスコミはなんだ!」という意見はもっともです。
でも引退がこれほど騒がれたスポーツ選手は他にはいないと思います。
あらためて浅田真央さんのすごさを実感しました。

佐藤コーチによると、膝の具合が悪く十分に練習できないことが引退決断の原因とのこと。

勧修寺 門 桜

●トリプルアクセルを跳ぶ15歳の少女がグランプリファイナル優勝


2005年、可憐な『くるみ割り人形』とトリプルアクセルを見て、世界中の人が15歳の少女に恋をしてしまった♡
シニアデビューだったこの年、なんとあのスルツカヤを破ってグランプリファイナル優勝。
スゴイ!

●ダウングレードをとられても世界選手権優勝


その後、ルール変更がありましたね。
ジャンプの回転不足はダウングレードされ(3回転は2回転とみなす)さらにそこから減点されることになってしまいました。
これは痛いです。
まるで「高難度ジャンプを跳ぶな」と言っているかのようなルールです。

このルール変更のせいで、3-3のコンビネーションジャンプを跳ぶ女子選手はほとんどいなくなりました。
もう一人の天才・安藤美姫さんも四回転サルコウを跳ばなくなってしまいました。
そんな中で浅田真央さんはトリプルアクセルを跳び続けました。
ダウングレードをとられることも多かったですが、ダウングレードをとられても上位に食い込んでいたのがスゴイ!
仮にダウングレードをとられても上位に食い込めるという自信があったのでトリプルアクセルを跳び続けることができたのではないかと思います。

2010年バンクーバーオリンピックではショートの『仮面舞踏会』で1度、フリーの『鐘』で2度のトリプルアクセルに成功。
しかし失敗もあって銀メダルでした。

そのあとの世界選手権ではフリーでは2本跳んだトリプルアクセルのうち、コンビネーションにしたほうがダウングレードをとられています。
それでも優勝しちゃった!

勧修寺 桜

●ジャンプ見直し。

その後、浅田真央さんは佐藤信夫コーチについて1からジャンプを見直しています。
浅田真央さんのジャンプは飛び上がる前に失速するという指摘があり、それを修正しようと考えたのでしょう。
いやー、でも誰でもジャンプに多少の癖とか欠点があるんじゃないですかね?
あの高橋大輔さんでも着氷で詰まり気味になることが多かったと思うし、宇野昌磨さんは着氷の際こらえ気味ですよね。
当時よく言われていたことですが、長年の習慣で身についてるものを修正するのは右利きを左利きにかえるようなもので大変ですよ。
ジャンプの見直しなんてしなくていいよ~、浅田真央さんのジャンプはそのままで十分美しいよ~、と思っていました。
だけど浅田真央さんはこれに果敢にチャレンジ。
そのせいで成果がでなくても試合に出続けました。
これは並大抵の精神力ではない~。スゴイ!

●最後まで進化しつづけた浅田真央

2014年ソチオリンピックではショートの『ノクターン』で失敗して16位だったものの、フリの『ピアノ協奏曲第2番』で8つのトリプルジャンプに成功!
(ルッツはエッジエラー、トリプルフリップ+トリプルループ・ダブルアクセル+トリプルトゥループのセカンドジャンプはアンダーローテーションでしたが)
これは女子フィギュア史上最高難度の構成です。

ソチオリンピックの後、1年間休養し、2015年ジャパンオープンに出場。
このときのトリプルアクセルをみてびっくり!
失速することなく、完璧に流れの中で跳んでる~。

グランプリシリーズ中国大会の『素敵なあなた』ではトリプルアクセル、トリプルフリップ+トリプルループのコンビネーション、トリプルルッツという構成で、自身が持っているショートの最高得点78.66を塗り替えて80点出る!と思っちゃった。
78.66を出したのは2014年のソチオリンピック後の世界選手権で、トリプルアクセル、トリプルフリップ、トリプルループ+ダブルループという構成でした。
それに比べると中国大会『素敵なあなた』は3回転+3回転のコンビネーションジャンプも入っているし、2014年世界選手権よりも基礎点の高いジャンプ飛んでいるし、演技も完璧に見えた!

ところが残念ながらコンビネーションのセカンドのトリプルループがアンダーローテーション、トリプルルッツがエッジエラーで71・73でした。
ほんっとうに回転不足とかエッジエラーとか悩ましいです。
ジャッジが目測で判定するので見落としがあったり、特定の選手に厳しいように見えたり。

浅田真央さんのセカンドジャンプはトゥループじゃなくて難度の高いループなんですよね。
セカンドのループジャンプは回転不足がとられやすく、もうちょっと回転不足を甘めにしないとセカンドにループを跳ぶ選手がいなくなるという指摘もありました。

でもエッジエラーがとられることが多かったルッツも2016年の全日本選手権では認定され、加点もついた!
最後まで進化しつづけた浅田真央さん。スゴイ!

勧修寺 観音堂-桜2

●年々進化する表現力

浅田真央さんのすごさはジャンプだけではありません。
表現の面でも年々進化してきましたね。
『くるみ割り人形』のころのトリプルアクセルは高さと切れがあって素晴らしかったです。
でも個人的にはキャリアを積んでからの表現力のほうがトリプルアクセルよりも素晴らしいと思います。

『鐘』
怒りを表現したスケートってそれまであったでしょうか。スパイラルのときの表情はまるで阿修羅のようでした。

『アイ・ガット・リズム』『メリーポピンズ』
2005-2006年の「くるみ割り人形」はかわいかったです。
2012-2013年の「アイ・ガット・リズム」「メリーポピンズ」はかわいいだけでなく、エレガントさも加わって妖精っぽさがさらにアップ~。

『愛の夢』『蝶々夫人』
美しさ・優しさの中にはかなさが感じられて、胸がじーんと熱くなりました。
天女というか、菩薩というか、ちょっと日本的なイメージがあるのもいい~。

『Ritual Dance』
いちばん好きなプログラムは2016-2017年の『Ritual Dance』です。
ショート・フリーともこの曲でしたね。
同じ曲をショートではミステリアスな魔術師、フリーでは情熱的菜恋をする未亡人を演じ分けていますね。
現役最後のシーズン、膝の調子がよくなくてジャンプが決まらないことが多かったですが
ジャンプ以外の表現に対し、佐藤コーチは「やあ、うまいなあと思って見せてもらっています。そういうところがはっきりと成長していると思う」とおっしゃっていましたね。
全くそのとおりでジャンプを失敗しても惹きつけられる演技でした。

勧修寺 観音堂 桜


●順位を気にして構成をさげたりしない侍真央。

現役最後の試合となった全日本選手権、ファンからは「ショートはトリプルアクセルやめてダブルにして。そうすれば世界選手権に行ける」との声があがっていました。
ジャンプの構成を下げると基礎点は下がりますが、加点(出来栄え点)がつきます。
今季、浅田真央さんはトリプルアクセルを失敗することが多かったので、そういう戦略で行くべきだと言う意見ですね。

全日本選手権ショートで12位だった村上佳菜子さんはフリーでは構成を落として総合8位まで順位をあげてきました。
村上佳菜子さんは構成をさげはしたものの、すばらしい演技でした。

でも浅田真央さんは構成をさげませんでした。
ショートではトリプルアクセルを跳ぼうとしてシングルアクセルとなってしまい8位。
フリーではトリプルアクセルを跳ぶも転倒。
しかし彼女の表現力に惹きつけられた観客はスタンディングオベーションで彼女を称えました。
結果は総合で12位。
元コーチの山田真知子さんは笑顔で「真央らしい」と言いました。

桜が散るように潔い浅田真央さんの現役最後の演技でした。
まるで侍のよう。
ルッツは認定で加点までついたし、最後まで浅田真央さんはミラクルでした。

一時期、ネバーエンディングストーリーのテーマが浅田真央さんのテーマソングのように流されていましたね。
先日の特番でも流れていました。
物語は終わりではなく、これからも真央さんはミラクルで光り輝いていることでしょう。

これからもずっと応援しています。

勧修寺 観音堂 桜2 

 



動画お借りしました。動画主さんありがとうございます。



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[2017/04/17 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

帯解寺 桜 『惟喬親王の怨霊封じ込めの地蔵と小町之宮』 

 
奈良市今市町 帯解寺
2017年4月9日 撮影


帯解寺 本堂 桜

①腹帯地蔵

帯解寺の堂内に入ると安産祈願の祈祷が行われている最中で、複数のカップルが地蔵菩薩に手を合わせていました。
ここ帯解寺は安産祈願のお寺として有名なのです。

やがて祈祷が終わると、カップルたちは地蔵菩薩が安置された内陣へと入っていきました。
私と友人も僧侶の方に手招きされて内陣に入りました。
他の参拝者の方々に「随分高齢の妊婦さんだな」と思われたかも?
いや・・・お腹が出てるのは中年太りだからで、安産祈願ではなく単なる参拝でやってきたんですが~(汗)。

帯解寺 桜


帯解寺には次のような伝説がつたえられています。

文徳天皇の御妃・染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様にめぐまれず、大変悩んでおられました。
あるとき、春日明神のお告げがあり、勅使をたてて帯解子安地蔵菩薩にお祈りなさいましたところ、まもなく御懐妊なされました。
こうしてお生まれになったのが惟仁(これひと)親王(清和天皇)でした。
文徳天皇はたいへん、お喜びになって858年春、更に伽藍を建立になりました。

帯解地蔵の像高は182.6cm。
左手に宝珠、右手に錫杖を執り、左足を踏み下げて岩座上に坐しておられました。
腹前に裳の上端の布や結び紐が表されているところから『腹帯地蔵』と呼ばれています。

②同様の伝説が十臨寺・清和院・染殿院にも。

これと同様の話は京都の十輪寺・清和院・染殿院にも伝えられています。
いずれも染殿皇后に安産をもたらしたとされる地蔵菩薩をお祀りしています。

十輪寺 しだれ桜

十輪寺

清和院 

清和院

染殿院  

染殿院

③文徳天皇は惟仁親王(清和天皇)を皇太子にしたくなかった。

藤原明子が惟仁親王(清和天皇)を産んだことを、文徳天皇が喜んだかどうかは微妙です。
というのは、文徳天皇は惟仁親王ではなく、紀静子が産んだ長子の惟喬(これたか)親王を皇太子にしたいと考え、源信に相談しているのです。
源信は藤原明子の父・藤原良房を憚って「それはやめたほうがいい」と諌めたそうです。

平家物語には紀名虎(紀静子の父)と藤原良房(藤原明子の父)が、どちらの孫を立太子させるかでバトルを繰り広げたようすが記されています。
高僧の祈祷合戦や相撲の勝敗などを繰り返した末に藤原良房が勝利したとあります。

実際には紀名虎は惟仁親王が生まれる前に亡くなっているので、平家物語の記述は事実ではありません。
でも紀氏と藤原氏が権力争いをしていたことは事実だと思います。

帯解寺 門 桜


④惟喬親王は怨霊だった。

政治的に不幸だった惟喬親王は惟喬神社や玄武神社・大皇器地祖神社などに御霊として祀られています。
御霊とは怨霊が祟らないように慰霊されたもののことです。
つまり惟喬親王は怨霊だったということですね。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた者のことで、疫病の流行や天災などは怨霊のしわざでひきおこされると考えられていました。

玄武神社 やすらい祭2

玄武神社


十輪寺・清和院・染殿院・帯解寺の地蔵菩薩は惟喬親王の怨霊封じ込めの像?

梅原猛さんは「聖徳太子は怨霊であり、聖徳太子等身大の像と伝わる救世観音は聖徳太子の怨霊封じ込めの像である」とおっしゃっています。
聖徳太子が怨霊になったのは、彼の子孫は全員斑鳩寺(法隆寺)で首をくくって自害したためであると、梅原さんは説明されてされています。

これと同様、十輪寺・清和院・染殿院・帯解寺の地蔵菩薩は惟喬親王の怨霊封じ込めの像ではないでしょうか?

⑥怨霊は祀り上げれば和魂に転じる

陰陽道では荒ぶる怨霊は十分に祀ればご利益を与えてくださる和魂に転じると考えるそうです。
すなわち怨霊である惟喬親王を慰霊して、和霊に転じさせたのが、帯解寺や清和院、染殿院などにある地蔵菩薩ではないかと思うのです。

帯解寺 門 桜 
⑦喜撰法師は紀名虎または紀有常。

六歌仙(遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大友黒主)の一人の喜撰法師は紀名虎または紀有常のことだとわれています。

紀名虎は惟喬親王の外祖父でしたね。
紀有常は紀名虎の息子で惟喬親王の母・紀静子の兄、つまり惟喬親王の叔父にあたる人です。

世継ぎ争いに敗れた惟喬親王は頻繁に歌会を開いていますが、その中に遍照在原業平紀有常らの名前があります。
彼らは歌会と称し、惟喬親王をまつりあげてクーデターを計画していたのではないかという説もあります。

⑧六歌仙は怨霊だった。

六歌仙とは古今和歌集仮名序で名前があげられた6人の歌人のことをいい、一般的には歌のうまい6人の歌人のことだと考えられています。

しかし高田祟史さんは「六歌仙は怨霊である」とおっしゃっています。
かつて神と怨霊は同義語だったといわれますが、これと同様、歌仙も怨霊と同義語だったのではないかというのです。

六歌仙のうち遍照・在原業平・紀有常(喜撰法師)らが惟喬親王をまつりあげてクーデターを計画していたのであれば、それは失敗したと考えられるので(惟喬親王は皇位につくことができず、遍照・在原業平・紀有常らが政権を掌握することもできていないので)、確かに彼らは怨霊だといえるでしょう。

六歌仙の文屋康秀についてですが、文屋は分室とも記され、文屋康秀は分室宮田麻呂と血のつながりがあると思われます。
分室宮田麻呂は謀反を企てたとして流罪となりましたが、死後冤罪であったことがわかりました。
分室宮田麻呂は藤原北家に暗殺されたのではないかとする説もあります。

大友黒主は大伴黒主とも記され、大伴家持とほとんど同じ内容の歌が残されています。
大友黒主とは大伴家持のことだと思います。
大伴家持は藤原種継暗殺事件に関与したとしてすでに死亡していたのですが、死体が掘り起こされて流罪とされました。

参照/ 祇園祭 後祭 山鉾巡行 『大友黒主の正体は大伴家持だった?』 

帯解寺 雪柳


⑨小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王のことではないか?

残る.小野小町について、井沢元彦さんは惟喬親王が「小野宮」と呼ばれていたことから、惟喬親王の乳母ではないかと説かれました。
しかし私は小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王自身のことではないかと考えています。

古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌がたくさんあります。
また、古今和歌集仮名序を書いたとされる紀貫之は「土佐日記」で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と自らを女と偽って日記を書いています。

『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいます。
『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣=紀静子としています。
また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことです。

「町」とは紀氏の女性をさしているように思えます。

⑩小町宮

帯解寺には小町宮があります。

日本では神仏は習合して信仰されていました。
帯解寺の腹帯地蔵と小野小町は同体であるので、ここに小町宮が祀られているのではないでしょうか。

帯解寺 小町之宮



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[2017/04/15 00:36] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)

東大寺 桜 『母観音と息子観音?』 

奈良市雑司町 東大寺
2017年4月9日 撮影

二月堂 桜 
二月堂

①大観音と小観音

東大寺二月堂の御本尊は大観音と小観音の2体あります。

どちらも絶対秘仏なのでよくわからないのですが、
小観音は7寸ということなので、1寸=約3cmとすると21cmくらいじゃないかと思います。

小観音は扉のない厨子に納められているそうです。
つまり小観音は厨子を壊さない限り厨子の中から出すことはできないということですね。
小観音は扉のない厨子の中に閉じ込められているといってもいいでしょう。

二月堂 桜2  
二月堂

②三室戸寺の「大観音と小観音」

京都の三室戸寺に「二丈の観音と一尺二寸の観音の伝説」が伝えられています。

天智天皇の孫である白壁王(後の光仁天皇)は、右少弁・藤原犬養に毎夜輝いて見える金色の光の正体を確かめるように命じました。
犬養が光を求めて宇治川の支流志津川の上流へやってくると、滝壺の中に身の丈二丈(約6m)ばかりの千手観音像がありました。
犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁が流れてきて、それが一尺二寸(約36㎝)の二臂の観音像に変じました。
その観音像を安置するために寺が創建されました。
その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めました。

三室戸寺 蓮 雨 

三室戸寺

まるで二丈の観音像は母親で、その胎内に収められた一尺二寸の観音は胎児のようです。

③大己貴命&少彦名神

日本では古来より神仏は習合して信仰されてきました。
二月堂の『大観音&小観音』や、三室戸寺の『二丈の観音&一尺二寸の観音』は、日本神話の『大己貴命&少彦名神』と習合されているのではないでしょうか。

東大寺 俊乗堂 桜 
俊乗堂

④似ている『大己貴命&少彦名神』と『イザナギ&イザナミ』


私は『大己貴命と少彦名神』は『イザナギとイザナミ』に似ていると思います。

大己貴命とは大国主の別名で、少彦名神ときょうだいの契りをかわしてともに国造りをしました。

イザナギとイザナミはきょうだいで契り、国産み・神産みを行いました。
ところがイザナミが死んで黄泉の国へ行ってしまい、イザナギはイザナミを迎えに黄泉の国へ行きます。
そしてイザナミにこう言いました。
「愛しい妻よ、戻ってきておくれ。国造りはまだ終わっていない。」

イザナギ・イザナミはきょうだいで契って国づくりをしていますが、おなじように
大己貴命・少彦名神はきょうだいの契りをかわして国づくりをしていますね。

東大寺 お湯屋 桜 
お湯屋

⑤大己貴命は女神だった?

イザナギは男神、イザナミは女神です。
一方、大己貴命と少彦名神はどちらも男神やんって?

私は「大己貴命は女神ではないか」と思うのです。

大己貴命は「おほなむち」と読み、また「大穴持命(おおあなもち)」という別名もあります。
大穴持命って「大きな穴を持つ神」という意味で女神じゃないかと思うんですよ。
大きな穴を持っているのって女性ですよね。

大国主命はヌナカワヒメに妻問いをしており、男神だとも考えられます。
でも、日本の神は性別にルーズで、聖徳太子が女に生まれ変わって親鸞の妻になろうと言ったとか
記紀では男神とされている三輪明神が謡曲三輪では女神として登場したりしています。

ヌナカワヒメに妻問いをした大国主命(大己貴命)は男神ですが
少彦名神ときょうだいの契りをかわした大国主命(大己貴命)は女神ではないでしょうか?

東大寺 大仏殿 桜 

大仏殿(向かって左)


⑤神功皇后と少彦名神


和歌山県加太の淡嶋神社の御祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)です。
そして、男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神の少彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であるといわれます。

淡嶋神社 雛人形

淡嶋神社


ですが、普通のお雛様とお内裏様とは異なり、神功皇后は男装をし、少彦名神は赤ん坊の姿をしています。
http://www.geocities.jp/seijiishizawa/NewFiles/hina-okuri.html
↑ こちらのページの一番したに淡嶋神社の御守雛の写真があります。

淡嶋神社の御祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命なので、大己貴命があまってしまいますね?

私は淡嶋神社の大己貴命は大穴持命で女神であり、息長足姫命と習合されているのではないかと思います。

そして三室戸寺の二丈の観音は母神(女神)で、その胎内に治めらられている一尺二寸の観音は息子神(男神)なのではないでしょうか。

また、二月堂の大観音は母神(女神)、小観音は息子神(男神)ではないかと思います。

二月堂 夜桜 
二月堂

⑥御霊・和霊・荒霊


神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊に分けられるといいます。
 
御魂・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面


そして和霊は女神、荒霊は男神だとする説があります。
とすれば御霊は男女双体ということになると思います。

御霊・・・神の本質・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神


聖天さんという像頭・男女双体のみほとけがいます。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます!

聖天さんには次のような伝説があります。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物でした。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになりました。 
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまいました。
の後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延しました。
そこで十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われました。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓いました。 

この聖天さんの伝説は、この御霊・和魂・荒魂をあらわしたもののように思えます。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体(聖天)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神(ビナヤキャ女神)
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神(ビナヤキャ)

ビナヤキャとビナヤキャ女神は夫婦ですが、三室戸寺や二月堂の観音様は母と息子のように思えます。
三室戸寺や二月堂は和魂が大きく、荒魂が小さくなっているということではないでしょうか。

三室戸寺や二月堂の小観音は祟りのきつい荒魂であり、そのため小さな姿となり、大きな女神〈母/和魂)とペアにされているのではないでしょうか。


二月堂 裏参道 夜桜 
二月堂裏参道



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[2017/04/12 19:30] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)