京都市左京区 鞍馬寺
①鞍馬七福神鞍馬寺には双福苑(恵比寿天・大黒天)・福寿星神 社(福禄寿・寿老人)・巽の弁才天社(弁才天)・弥勒堂(布袋尊/布袋尊は弥勒菩薩の化身とされています。)開運毘沙門天社(毘沙門天)があり、鞍馬七福神と呼ばれています。
鞍馬七福神 双福苑〈蛭子神・大黒天)②鞍馬七福神は北斗七星の神?鞍馬寺 八重桜 『鞍馬七福神は北斗七星の神?』 ↑ こちらの記事に、鞍馬七福神は北斗七星の神ではないかと書きました。
その理由は下記a~cに述べるように、鞍馬寺は星の神を祀る寺だと考えられるからです。
a.鞍馬寺の御本尊の一、護法魔王尊は650万年前に金星からやってきた神とされており、鞍馬寺は星の神を祀る寺だと考えられる。
b.日本書紀に次のような記述があり、鞍馬天狗は流星を神格化した神だと考えられる。
大きな星が東から西に流れ、雷に似た音がしました。
僧旻は 「あれは流星ではなく天狗(アマツキツネ)だ」 と言いました。
天狗は翼があって空を駆け回るとされるのは、流星だからではないか。
c.鞍馬の火祭で行われるチョッペンの儀は二人の青年が逆さになって脚を開脚するというもので、カシオペア座の形を作っているように思える。
動画はお借りしたものです。動画主さんありがとうございます。
③北斗七星の形に配置された津軽の神社
坂上田村麻呂が津軽に創建した七つの神社、大星神社・浪岡八幡宮・猿賀神社・熊野奥照神社・岩木山神社・鹿島神社・乳井神社が北斗七星の形に配置されているといわれます。
http://madamada888.blog.fc2.com/blog-entry-193.html↑ こちらの方が、地図を掲載してくださっています。
まあ、よく見ると北斗七星とは少し形は違います。
しかし、現在のような正確な地図を作ったのは江戸時代の伊能忠敬で、それまでは行基図と呼ばれるかなりいい加減な地図を用いていました。
坂上田村麻呂は江戸時代よりも以前の平安時代の人物です。
そういう点を考慮すると、北斗七星の形になっているといえるかもしれません。
鞍馬七福神 福寿星神祠 (福禄寿 寿老人)
④鞍馬北斗七星の配置は北斗七星の形になっていない。一方、鞍馬七福神の配置は北斗七星の形にはなっていません。
ぐるっと輪を描くような形に配置されていると思います。
(図を書こうと思ったけど、うまく書けませんでした。すいません。)
⑤星田妙見宮の北斗七星の神の像も北斗七星の形に配置されていない。大阪府交野市の星田妙見宮にはみほとけのお姿をした 貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が境内の七か所に置かれていました。
星田妙見宮 禄在星の像この貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星は北斗七星を形成する星々です。
こちらも北斗七星の形にはなっていません。
星田妙見宮 境内図 (案内板より)⑥形を変えられた北斗七星?
星田妙見宮 旗のデザイン 上の写真は星田妙見宮にあった旗に描かれていたイラストを撮影したものです。
亀に蛇が巻き付いていますね。
これは北方守護の聖獣・玄武ですね。(南は朱雀・東は青龍・西は白虎)

新日吉神社 神幸祭の際、撮影した玄武。矛の飾り布についていたものです。で、その玄武の上に渦を巻く七つの星が描かれています。
妙見信仰にはしばしば北極星だけでなく、北斗七星に対する信仰も含まれます。
それは星田妙見宮に北斗七星の神・貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が置かれていることからも明らかです。
すると上の写真に描かれた渦を巻く七つの星は、形は違いますが北斗七星だと考えられるんじゃないかと思いますが、どう思われますか?
玄武(亀+蛇)の亀の部分は北極星を、玄武(亀+蛇)の蛇の部分は、北斗七星を表しているのではないでしょうか?
とすれば北斗七星は変形させた形で描かれたということになります。
これはなぜでしょうか?
北斗七星は北極星の周囲をまわります。そのため、亀になぞらえた北極星の周囲を蛇がとりまくという形に変形されたのではないかと思ったりします。
鞍馬寺 巽の弁才天社
鞍馬七福神 弥勒堂
鞍馬七福神 開運毘沙門天祠毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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