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アンティークホテル ら・みらどーる 『市は付喪神を祓い浄める神事だった?』 


アンティークホテル 

千葉県鴨川市太見 「アンティークホテル ら・みらどーる」さん 
http://www.ptihotel.com/rooms.html

「アンティークホテル ら・みらどーる」さんに宿泊しました。
美しいアンティークの家具や雑貨がいっぱい!
あまりに素敵なので許可を得て写真を撮らせていただきました。
快くブログ掲載許可も下さり、本当にありがとうございました。

今日は素敵な「ら・みらどーる」さんのインテリアをご紹介しつつ、付喪神についてのお話しをしたいと思います。

アンティークホテル8 

●アンティークの定義


一般的に古いもののことをアンティークと言ったりしますが
厳密には製造後100年を経たもののことをアンティークと言うのですね。

アンティークホテル9  

これはストーブかな?

●付喪神と煤払い

古の日本では、100年を経た道具には精霊がつき、付喪神(九十九神/つくもがみ)になると考えられていました。
そこで付喪神に祟られないよう、古い道具は年末の煤払いで路地に捨てる習慣があったといいます。

もったいない~。
私なんかは新しいものは捨てたりすることもありますが、じいちゃん・ばあちゃんが使ってた道具なんか絶対捨てないです。
高価なものなどはありませんが、古い道具には現代の道具にはない暖かさがあります。

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●終い弘法・終い天神


12月21日は京都・東寺の終い弘法、12月25日は北野天満宮の終い天神で、境内で骨董市が行われます。
もうずいぶん前に終い弘法に行ったことがありますが、ものすごい数の露店が駅から東寺までずらっと並んでいたのを思い出します。
「ら・みらどーる」さんに置かれているような西洋アンティークを売る露店もたくさんありました。

終い弘法や終い天神は、年末の煤払いで付喪神がついていそうな古い道具を人々が捨てていたのを、市を開いて売るようになったのが始まりであると聞いたことがあります。

アンティークホテル6 

●付喪神の憑いた道具はなぜ売れたのか?


人々が煤払いで古い道具を路地に捨てていたのは、その道具に憑いた付喪神に祟られないようにするためですよね。
それらを市で売ったということは、付喪神がついた道具を買う人がいたということ?
小道具を買う人は付喪神が恐ろしいとは思わなかったんでしょうか?

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とても小さいけどオルガン?

●市は斎(いつき)だった?


平安時代だったか、虹はまがまがしいものとされていたそうで
虹がでると虹がでたところに市をたてるときいたことがあります。

市は斎(いつき)であると聞いた記憶もあります。斎とは潔斎して神につかえることを言います。

「市は斎」ではなく「一は斎」だったかもしれません。(記憶があいまいですいません~。)
ですが市と一は音が同じですし、日本ではどちらかというと漢字の意味よりも音を重視していたふしがあります。
たとえば、奈良東大寺に転害門がありますが、手貝門・手掻門・手蓋門などとも書 かれます。

なので、「市=一=斎」と考えてもいいのかなと。

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●市は神事だった?

現代人は市とは単に物品を売買することだと考えていますが
古には市とは斎で、神事であったのではないでしょうか。

つまり市を開いて物品を交換したり金銭を支払うということは、道具に憑いた付喪神を祓い浄める効果があると信じられていたのではないかと思うわけです。

そう考えると、まがまがしいものだと考えられていた虹が出ると市を開いたということの意味や
煤払いで捨てたものを売買する市が開かれたことの意味がわかります。

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だけど、もしも付喪神というものが本当にいるのなら、それはとても美しい精霊なのではないかなあ~。
そうでなきゃ、古い道具がこんなに美しいはずがありません。

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毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/12/15 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)