東京都渋谷区 明治神宮 外苑
2016年11月下旬 撮影
恋人たちがそぞろ歩く明治神宮外苑
●イチョウを公孫樹と書くのは「孫の代になってようやく実がなる」という意味?イチョウは「銀杏」のほか、「公孫樹」の漢字があてられることもあります。
イチョウは生長が早く寿命も長いが、実がなるまでも 長く、植えてから孫の代になってようやく実がなるため公孫樹と書くのだと言われたりします。
明治神宮 外苑●公孫氏私が公孫樹と聞いて思い浮かべるのは中国・三国時代の公孫氏です。
三国時代とは魏・呉・蜀漢が対立していた時代のことですね。
●卑弥呼は公孫氏だった?中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻に烏丸鮮卑 東夷伝倭人条があります。
略して魏志倭人伝と呼ばれています。
この魏志倭人伝の中に倭国に邪馬台国があり、女王卑弥呼が君臨していると記されていることは皆さんご存知の通りです。
卑弥呼の名が記されているのは魏志倭人伝だけではありません。
後漢書・晋書・
三国史記なども卑弥呼について記しています。
この中の『晋書』巻九十七 「四夷伝(よんいでん)」 に次のように記されているそうです。
争乱に明け暮れる倭に一人の女王が擁立され王となって 乱が収まった。
その女王の名を卑弥呼と云う。
彼女は、かつて西晋(せいしん)の始祖・宣帝(せんてい)に滅ぼされた公孫氏であった。
本当に卑弥呼が公孫氏であったのかどうかはわかりませんが。
もし仮に卑弥呼が公孫氏であるというのが事実でなくても、古の日本人が晋書を読んで『卑弥呼は公孫氏である』と信じていた可能性は大です。
卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳
●卑弥呼=日女命=天照大神卑弥呼は日女命(ひめのみこと)のことだとする説があります。
日女命という名前は太陽の女神・天照大神を思わせる名前です。
日女命とは籠神社で発見された海部氏系図に登場する人物で、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫です。
そしてその脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』と記されていたのです。
籠神社●
卑弥呼=日女命=天照大神は物部氏の神だった?彦火明命は海部氏の祖神で、ニギハヤヒと同一神であると伝えられているそうです。
ニギハヤヒとは物部氏の祖神です。
海部氏は物部氏の一派だということでしょう。
そし彦火明命の9代目の孫・日女命=倭迹迹日百襲姫命=天照大神も物部氏の神だということになりますね。
●初代神武以前、畿内には物部王朝があった?初代神武天皇は日向にすんでいたのですが、東征して機内入りしました。
そしてそれ以前に畿内にはニギハヤヒが天の磐船を操って天下っていたとされます。
さきほど述べたようにニギハヤヒは物部氏の祖神です。
そのため神武以前畿内には物部王朝があったとする説があります。
磐船神社御神体 天の磐船(ニギハヤヒがこれに乗って天下ったとされます。)
●初代神武天皇と10代崇神天皇は同一人物だった?初代神武天皇と10代崇神天皇はどちらも和風諡号を「ハツクニシラス」といいます。
ここから二人は同一人物とする説があります。
●神武=崇神は物部王朝に婿入りした?10代崇神天皇には「ハツクニシラス」のほか、「ミマキ
イリヒコイニエ」という和風諡号もあります。
11代垂仁天皇の和風諡号は「イクメ
イリビコイサチ」といい、どちらも諡号に「イリ」とあるので「イリ王朝」と呼ばれています。
そしてこの「イリ」とは「入り婿」を意味するとする説があります。
天孫ニニギ(神武天皇の曾祖父)は葦原中国に天下って、葦原中国のオオヤマツミの娘・コノハナサクヤヒメと結婚していますし
ホオリ(神武天皇の祖父)は竜宮へ行って海神の娘トヨタマヒメと結婚しています。
これらの神話は神武=崇神が物部王朝に婿入りしたことを反映して創作されたのではないでしょうか。
●本当の天照大神は男神だった?物部氏の祖神・ニギハヤヒは別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、
ニギハヤヒが本当の天照大神だとする説があります。
天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味を持って岩戸から出てきますが、
女神のストリップに興味を持つのは男だ、よって天照大神は男神だとする説もあります。
●日本の太陽神・天照大神はなぜ女神とされているの?太陽神を女神とするのは世界的に見ても大変珍しいそうです。
なぜ日本の太陽神は女神なのでしょうか。
そして、天照大神の子孫を称する天皇家は、代々男系で皇位を継承しています。
女性天皇もいましたが、持統・斉明(皇極)・元明は既婚で中継ぎの天皇としての即位でした。
独身で即位した元正・孝謙(称徳)天皇は結婚が許されなかったようで生涯独身でした。
次のように考えると、なぜ天照大神が女神で、天皇家は代々男系なのかの筋が通ると思います。
畿内にはもともと物部王朝があり、畿内の人々は物部氏の男神・天照大神を信仰していた。
そして国を治めるのは天照大神の血筋の者以外認められないとする風潮があった。
日向からやってきた神武=崇神は物部王朝に婿入りすることで政権を乗っ取った。
しかし婿入りした神武=崇神は天照大神の血をひいていない。
そこで、神武=崇神は天照大神を女神にすることを思いついた。
天照大神を女神にすれば、天照大神の婿となった自分の子孫は天照大神の子孫と称することができるではないか。
●物部氏は公孫氏だった?晋書に卑弥呼は公孫氏だと記されていることは、すでに述べたとおりです。
卑弥呼とは日女命のことで、日女命は彦火明命=ニギハヤヒの9代目の孫です。
そしてニギハヤヒは物部氏の祖神なので、卑弥呼=日女命もまた物部氏の女性です。
ということは、物部氏は公孫氏?
●イチョウは一陽の木
葛城一言主神社 イチョウ 黄葉 『イチョウと一陽来復』 ↑ こちらの記事で、私はイチョウは一陽の木で、冬至に向かって衰え行く太陽になぞらえた木であると書きました。
太陽は日本では赤で描かれることが多いですが、本来の色は黄色です。
黄色いイチョウの葉は太陽の光をあらわしており、イチョウの葉が散っていくことは冬に向かって衰えていく太陽を表しているのではないかと考えたのです。
冬に向かって衰えていく太陽は、天皇家に政権を乗っ取られた物部氏を喩えるのにぴったりです。
そういうわけで、冬に向かって黄色い葉を散らしていく一陽の木・イチョウは物部氏に喩えられ、物部氏=公孫氏ということで公孫樹の字があてられているのだったりして?
一言主神社 公孫樹毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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