京都市中京区 空也堂
空也忌・・・11月第2日曜日
●空也踊躍念仏11月第2日曜日、空也堂では空也忌が行われ、空也踊躍念仏が行われます。
踊躍念仏とは鉦や太鼓をたたきつつ踊りながら念仏を唱えるというもので、空也が創始したといわれています。
●空也堂創建説話空也堂には次のような創建説話が伝わっています。
空也は鹿の鳴声を愛していましたが、あるとき平定盛がその鹿を殺してしまました。
空也は大変悲しんで、鹿の毛皮で衣を作り,角を杖の頭につけて念仏を唱えました。
定盛は鹿を殺したことを悔い、空也の弟子となって空也堂を立て、空也を開基としました。
●トガノの鹿同じような話が日本書紀にあります。
仁徳天皇は鹿の鳴声を愛していましたが、あるときから鹿の声がぱったりと聞こえなくなりました。
ほどなくして、佐伯部が天皇に鹿を献上しましたが、それは天皇が鳴き声を聴くのを楽しみにしていた鹿でした。
天皇はこれに心を痛められ、佐伯部を安芸の渟田に左遷しました。また日本書記はこの話のあとに、次のような話を続けています。
雄鹿が「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて全身に塩を振られているのです。」と答えました。
翌朝、雌鹿の占いのとおり雄島は漁師に撃たれて死にました。(トガノの鹿)
●雄鹿は謀反人の比喩謀反の罪で殺された人は塩が振られることがあり、雄鹿とは謀反人の比喩だとする説があります。
鹿の夏毛には白い斑点がありますが、これが塩や霜に喩えられたのでしょう。
すると平定盛が殺した空也が愛していた鹿とは謀反人だということになります。
●平定盛と平貞盛は同一人物創建説話に登場する平定盛とは平貞盛のことです。
平定盛と平貞盛は別人だと思っている人もいるようですが、空也堂に平貞盛焼き捨ての兜なるものが残っているので間違いありません。
●平将門の乱を平定した平貞盛平貞盛は平将門のいとこで、将門が東国で乱を起こしたとき、藤原秀郷とともに討伐に向かった人物です。
平将門は平貞盛・藤原秀郷らの軍との戦いの中で流れ矢にあたって死亡し、その首は京に持ち帰られて鴨川のほとりに晒されました。
つまり平定盛(平貞盛)が殺した鹿とは平将門のことだと思います。
千本六斎会による六斎念仏の奉納もありました。
空也は六斎念仏の祖ともされています。
●平将門鎮魂に情熱を注いだ空也そして空也は将門の祟りを鎮魂するために念仏道場をたてるなど、将門の鎮魂に熱心な僧侶でした。
(詳しくはこちらをお読みください→
迎稱寺 萩 『平将門の怨霊』 )
このように見てみると、空也堂は平将門を鎮魂するための寺ではないかと思えるのです。
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[2016/11/14 00:00]
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