奈良市 平城宮跡
2014年11月3日撮影
●聖武天皇、遷都を繰り返す。740年、九州で藤原広嗣の乱がおこり、これを平定したのち、聖武天皇は平城京から恭仁京(現在の京都府木津川市加茂)に遷都しました。
さらに743年には紫香楽宮に離宮を造営し、この地に盧舎那仏を造営することを発願されました。
そのためまだ工事中であった恭仁宮の造営が中止となり、紫香楽宮の造営が始まりました。
744年11月には甲賀寺に盧舎那仏像の体骨柱が建てられ、745年1月には甲賀宮が都とされました。
ところが、同年5月には再び平城京へ戻っています。
甲賀寺の盧舎那仏造営計画は、場所を東大寺に移されることになります。
こんなに頻繁に遷都を繰り返していたら財政難となることは必至で、人民も工事に駆り出されたり、多額の税金が徴収されたりして大変だったのではないでしょうか。
●聖武天皇は壬申の乱の大海人皇子ルートをたどった?なぜ聖武天皇はこんなにも頻繁に都遷を繰り返したのでしょうか。
諸説ありますが、壬申の乱の際に大海人皇子が進んだルートと同じルートを聖武天皇は進んだという説があります。
●斉明天皇、神功皇后と同じルートをたどる。斉明天皇が神宮皇后と同じルートをたどって九州へ向かい、新羅との戦いに備えたということもありました。
神宮皇后は三韓征伐して帰国したのに対し、斉明天皇は遠征軍が朝鮮へ向かう前に九州で崩御してしまったのですが。
●斉明天皇は神功皇后の生まれ変わり?
直木孝次郎さんは、神功皇后の三韓征伐の説話は斉明天皇をモデルに創作されたものではないかとしておられるそうです。
そういう可能性もあるとは思いますが、斉明天皇は神宮皇后の生まれ変わりであると、自分自身で考えていた可能性もあるのではないでしょうか。
●繰り返される神話記紀神話では異なる神が同じようなことをするという話がいくつもあります。
イザナミが「死んだ自分の姿を決してみないでください」と言ったのにイザナギ我慢できずに見てしまい、二神は決別してしまいます。
豊玉姫が「出産する自分の姿を決してみないでください」と言ったのにホヲリは我慢できずに見てしまい、やはり二神は決別しています。
豊玉姫はイザナミの生まれ変わり、ホヲリがイザナギの生まれ変わりだと考えられた結果、同じような話が創作されたのだと思います。
とすれば斉明天皇や聖武天皇が、「自分は神宮皇后の生まれ変わり」「大海人皇子の生まれ変わり」と考えていたとしてもおかしくはありません。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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[2016/11/04 00:00]
奈良県 |
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