愛知県半田市 矢勝川堤
2016年9月24日 撮影歩いても、歩いても彼岸花が続く矢勝川堤の散歩道。
地元の方にお話しを伺ったら、「今年はあんまり咲いてない」ということでした。
あるいはまだ蕾がいっぱいあったので、今頃満開になっているかも。
パンフレットの写真などを見ると、彼岸花がぎっしり咲いて真っ赤なカーペットのようです。
そういうときに再び訪れることができるといいなあ~。
●ゴン狐愛知県半田市は童話作家・新見南吉さん生誕の地です。
矢勝川堤防は南吉さんがよく散歩された道で、川の向こうには権現山(愛知県知多郡阿久比町)が見えます。
南吉さんの作品に登場する「ごん狐」はこの権現山から名前をとったという説もあります。
キツネのゴンがいたずらをしにきたと思い、兵十はゴンを銃で撃ってしまいます。
そして兵十は土間に栗が置いてあるのを見つけ、毎日兵十に栗を届けてくれていたのがゴンだったことを知ります。
やるせない物語ですね~。
「ごん狐」は青空文庫で読むことができますよ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html
向かって左の山が権現山 ●改変された「ごん狐」ところが、どうも青空文庫の「ごん狐」は新見南吉さんのオリジナルではないようで、あちこち改変されているようです。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~kimura/papers/gon.htm↑ 上記サイトに詳しく説明されています。
オリジナルの文章を読んでみたいです。
●猟師に伝わる権現山に住む狐の物語?
南吉さんのオリジナルではタイトルは「権狐」となっており、引退した猟師の茂助爺に聞いた話としています。
ここから考えて、権狐は「権現山に住む狐」であり、猟師のあいだに伝わる伝説だったのではないかと想像します。
日没後、彼岸花がライトアップされました。●本地垂迹説権現山の権現とは、本地垂迹説に基づく言葉です。
本地垂迹説とは「日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うために仮にこの世に姿を現したものである」とする考え方のことです。
そして仮にこの世に姿を現した日本の神々のことを「権現」、神のもともとの正体である仏教の神々のことを「本地仏」といいます。
菅原道真を祀る北野天満宮の西に東向天満宮があり、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑がありますが
これは、天満宮(菅原道真のこと)の本地仏である十一面観音をお祀りしていますというような意味です。
逆に言えば、菅原道真は十一面観音の権現だということです。
で、今回は参拝することができなかったのですが、権現山には五郷社、明神社というふたつの神社があるようです。
明神社の御祭神は調べたけれどわかりませんでした。
五郷社の御祭神はスサノオです。
スサノオはインドの神・牛頭天皇と習合され、その本地仏は薬師如来とされることが多いです。
逆にいえば、スサノオは薬師如来の権現とされることが多いということになります。
明治の神仏分離令まで、さきほどご説明した本地垂迹説にもとづき神仏は習合して信仰されていました。
五郷社は薬師如来を祀る寺院と関係の深い神社だったのかも、と思って近所のお寺を調べてみましたが、御本尊まではわかりませんでした~。
●神使
また神使(しんし)というものがあります。
読んで字のごとく「神の使い」という意味で、伊勢神宮の神使は鶏、大神神社の神使は蛇などとされています。
狐は稲荷神の神使とされることが多いですが、ガイドブックをみても矢勝川周辺に稲荷神社は見当たりません。
物語に登場する狐の名前が権というところから考えると、権は権現山の神の神使じゃないかと思うんですが。
●狐は権現山の神の使いだった?美味しいのは猪や鹿など草食動物の肉で、狐や狸など雑食動物の肉はまずいそうです。
ただ、毛皮をとることができます。
そういうことで、このあたりの猟師さんは狐をとらえていたのかも?
南吉が猟師から聞いた話だということは、狐の権は猟師たちが信仰していたの神の使いなのかもしれませんね。
そして山でとれる栗などの恵みは権現山の神使である狐がもたらしてくれるものであると考えられていたのではないかなあ、と思いました。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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