飛鳥板葺宮跡・・・奈良県明日香村岡
飛鳥寺・・・奈良県高市郡明日香村飛鳥682●乙巳の変の舞台となった飛鳥板葺宮
飛鳥光の回廊・飛鳥板葺宮跡642年、舒明天皇が崩御し、舒明天皇の皇后・寶女王が即位して皇極天皇となりました。
皇極天皇は蘇我蝦夷に命じて新宮殿を作らせ、643年に新宮殿に遷りました。
これが飛鳥板葺宮です。
643年、蘇我蝦夷は子の蘇我入鹿に大臣を譲り、蘇我入鹿が政権のトップとなります。
645年、皇極天皇の皇子である大海人皇子が中臣鎌足と謀って飛鳥板葺宮で蘇我入鹿を殺害します。(乙巳の変)
飛鳥板葺宮は乙巳の変の舞台、入鹿が殺害されたのはここだったのですね~。
入鹿の死後、蘇我蝦夷は自宅に火をつけて焼身自殺しました。
こうして蘇我宗本家は滅びました。
●仏師・鞍作鳥が刻んだ飛鳥大仏飛鳥板葺宮からてくてく歩いていくと飛鳥寺があります。
飛鳥寺は蘇我蝦夷の父・蘇我馬子が創建した寺です。
↓ 飛鳥寺の本尊、飛鳥大仏(釈迦如来)です。
日本書紀によれば、この飛鳥大仏を刻んだ仏師は鞍作鳥(鞍作止利)となっています。
法隆寺金堂の釈迦三尊像を作ったのも鞍作鳥とされます。
●鞍作鳥と鞍作太郎私はこの鞍作と言う名前が気になっています。
というのは蘇我入鹿の別名が鞍作太郎というんですよ!
飛鳥寺の背後にある蘇我入鹿の首塚●鳥は死んだ人の魂を表す?記紀には鳥たちがアメノワカヒコの葬儀を行ったという記述があります。
またササキという鳥がいますが、ササキに御をつければミササギ(陵)となります。
どうやら鳥は死と関係が深い動物だと古の人々は考えていたようです。
古代の巨大前方後円墳は地上から見てもその形を認識することはできません。
上の写真は大阪府堺市の反正天皇陵です。
堺市役所21階展望ロビーから撮影したのですが、よく形がわかりません。
でも空高く飛ぶ鳥が真上からみるとこんな風に見えて、前方後円墳の形がはっきりわかるでしょう。↓
古の人は死んだ人の魂は鳥になって天に昇ると考え、空の上からはっきり形がわかるようにと巨大古墳を作ったのではないでしょうか。
もしかして鞍作鳥とは「死んだ鞍作太郎(蘇我入鹿)の魂」という意味だったりして?
もちろん実際に仏像を刻んだのは熟練した仏師で、入鹿ではないでしょうが
古代には著作権という考え方はありませんでした。
入鹿の魂が乗り移った仏像だという意味で、飛鳥大仏の作者は鞍作鳥(=鞍作太郎の霊=蘇我入鹿の霊)とされているのだったりして?
私が蘇我入鹿の墓ではないかと考えている高松塚古墳の広場に描かれていた光の地上絵
(高松塚古墳壁画に描かれた飛鳥美人をモチーフとしたもの)
参照/高松塚古墳 光の地上絵 飛鳥光の回廊 『高松塚古墳の被葬者は蘇我入鹿だった?』
この光の地上絵も展望台から見下ろさないと何が描いてあるのかわからないんですよ~。
蘇我入鹿は空の上からこの飛鳥美人を見たでしょうか?
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村
[2016/09/07 00:00]
奈良県 |
トラックバック(-) |
コメント(-)