京都府京都市西京区 松尾大社
八朔祭・・・9月の第一日曜日

松尾大社の土俵で八朔相撲が行われていました。
↑ 赤ちゃん土俵入り。
大声で泣く子もいれば、きょとんとして全然泣かない子もいます。
赤ちゃんのときからみんな個性があるんですね~。
このごろ女神輿が増えましたが、華やかでいいですね♪
境内に御霊太鼓の音が響き渡ります。
●八朔ってなあに?朔は朔日(1日)の略で、八朔とは旧暦の8月1日のことをいいます。
旧暦は新暦の約1か月遅れなので、旧暦ではちょうど今ごろが八朔になります。
今、田んぼでは稲が実って頭を垂れつつありますね。
そういう時期なので『田の実の節句』ともいい、農民の間でお世話になった人々へ初穂を贈る風習がありました。
『田の実』は語呂合わせで『頼み』に通じることから、武家や公家の間でも、八朔に贈り物をする習慣が生じたと言われています。
旧暦は新暦の約1か月遅れとなるので、現在では八朔祭は9月の初旬に行っている神社が多いです。
八朔祭は全国各地で行われていますが、相撲が行われることが多いです。
東京都府中市宮町にある大國魂神社では、天正十八年(1590)8月1日に徳川家康が江戸城に入ったことを記念して八朔相撲が始められたとしています。
●六斎念仏と八朔
夕刻より、嵯峨野六斎念仏保存会の皆様によって六斎念仏が奉納されました。
仏教では8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日を六斎日(ろくさいにち)とし、この日は悪鬼がでる縁起の悪い日なので念仏を唱えて精進潔斎するべき日とされていました。
六斎念仏はかつてはこの六斎日に行われていました。
祇園囃子という演目に登場する棒振り。
祇園祭の綾傘鉾の巡行の際にも同じような棒振りが登場して京都の町を練り歩きますよ。
うーん、でも六斎念仏って今ではお盆の行事になってるんですけどね。
その六斎念仏がなぜ八朔祭で行われるのでしょうか?
四つ太鼓
●お盆と八朔は一連の行事だった?お盆とは旧暦の7月15日を中心に行われる先祖供養の習慣のことをいいます。
現在では新暦8月15日を中心に行われることが多いですね。
そして八朔とは旧暦8月1日のことです。
もしかして、お盆と八朔は一連の行事だったのではないかと私は考えました。
そう思って調べてみたところ次のようなことがわかりました。
① 近世の京都・大阪・江戸では、盆灯籠を盆月が終わったのち8月3日まで灯し続ける風習があった。
② 八朔(8月1日)をお盆の行事の最後とする地域がある。
③ 大阪府三島郡では、月遅れの九月一日を『八朔盆』とし、盆の終わりとしている。
④ 新潟県蒲原郡では八朔を『盆朔日(ぼんついたち)』と呼び、お供米といって米一升を寺に持っていく。
⑤ 富山県の『風の盆』は8月1日~3日(現在は9月1日~3日)に行われている。」
やはりお盆と八朔は一連の行事だったのですね~。
獅子
●8は復活を意味する数字?梅原猛氏は8は復活を意味する数字ではないかとおっしゃっています。
八角堂や八角墳は死者の復活を願って作られたものではないかというのです。
旧暦7月のお盆で供養された先祖の霊は、旧暦8月に復活して神となり、農作物などの実りをもたらすと考えられていたのではないでしょうか。
それで八朔は『田の実の節句』となり、さらに語呂合わせで『頼みの節句』になったのではないかと思います。
徳川家康が八朔に江戸城に入城したのは、八朔が復活を意味する大変おめでたい日とされていたためだと思います。
獅子と土蜘蛛
画質の悪かったり、背景がぶれたりしているのがありますね~。すいません~。
こういう風にやったらいいよー、とかアドバイスあったらお願いします。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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