石川県輪島市 『
道の駅輪島ふらっと訪夢』
●もののけの夜襲と見紛う御陣乗太鼓御陣乗太鼓は石川県輪島市名舟町の人々によって継承されてきた伝統芸能です。
『
道の駅輪島ふらっと訪夢』前の広場で公演されていました。
戦国時代、越後(現在の新潟県)の上杉謙信は、能登の七尾城(七尾城跡/石川県七尾市古城町)を落とし(七尾城の戦い)、さらに名舟村にまで攻め込んできました。
名舟の村人は武器を持っていませんでしたが、村の古老があるアイデアを思いつきました。
そのアイデアとは、樹の皮で作った仮面を被り、海藻をかつらのように頭にかぶり、太鼓を打ち鳴らしながら上杉軍に夜襲をかけるというものでした。
上杉軍はこれをもののけの夜襲だと思い込み、あわてて逃げましたということです。
向かって右が翁、中央が夜叉、向かって左が女幽霊かな?
向かって左、オレンジ色の着物を着ているのは達磨太子です。
達磨の横、写真中央は翁、写真向かって右は男幽霊だと思います。
男幽霊は別名を土左衛門(どざえもん)といいます。
男幽霊の別名が「土左衛門(どざえもん)」だと聞いて、またまたテンションがあがってしまった~。
というのは、次のようなことがひらめいたからです!
●重蔵・お小夜悲恋伝説前回、輪島の重蔵神社の祭礼についてお話ししました。
(前回の記事はこちら→
重蔵神社 夏祭 『重蔵神社はトミヒコ神社?』 )
重蔵神社の8月23日の祭礼は「舳倉島の女神が松明の明かりを目指してやってきて、輪島の男神が結ばれ、産屋に見立てたお仮屋で新しい神様が産まれる祭」とされています。
輪島の男神とは重蔵神社の神のことだと考えられます。
舳倉島には奥津比咩(おくつひめ)神社があり、奥津姫神を祀っています。
舳倉島の女神とは奥津姫神のことでしょう。
さて、重蔵神社の西十数キロほどのところに琴ヶ浜があります。
琴ヶ浜は『鳴き砂の浜』と呼ばれ、『重蔵・お小夜悲恋伝説』が伝わっています。
猟師の重蔵が水死し、恋人のお小夜は悲しむあまり、海に入って死んでしまいました。
琴が浜を歩くときゅっきゅっと音がするのはお小夜の泣き声だといわれています。ここにも重蔵が登場します。どうやら重蔵はこの地方で広く信仰されていた神様のようですね。
●お小夜とは奥津姫だった?重蔵神社の祭礼は「舳倉島の女神が松明の明かりを目指してやってきて、輪島の男神が結ばれ、産屋に見立てたお仮屋で新しい神様が産まれる祭」というこでした。
ということは、お小夜とは奥津比咩神社の御祭神・奥津姫なのではないでしょうか?
重蔵神社の近くにも奥津比咩神社がありますが、輪島の奥津比咩神社は近年になって舳倉島の奥津比咩神社より分霊をお迎えして創建された神社です。
その輪島の奥津比咩神社の8月22日の祭礼では女装した氏子さんたちが神輿を担いで海にはいる入水神事が行われています。
奥津比咩神社の入水神事についての記事はこちら→
奥津比咩神社 夏祭 『キリコ祭は七夕行事だった?』 入水とは海に飛び込んで自殺することを言います。
奥津比咩神社の入水神事は、奥津姫神が自殺したことをあらわす神事だと考えられます。
重蔵の恋人、お小夜も奥津姫神と同じように自殺しています。
このように、奥津姫神とお小夜には共通点があるのです。
さらに名舟の村では上杉軍を撃退することができたのは舳倉島の奥津姫神の御神徳のおかげであるとして、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)の神輿渡御では、御陣乗太鼓が先導するとのことです。
舳倉島の奥津姫神は重蔵神社だけでなく、名舟の人々にも厚く信仰されていたようです。
●重蔵は御陣乗太鼓に登場する男幽霊(土左衛門)だった?猟師の重蔵は水死したということですが、水死体のことを俗語で土左衛門といいます。
どうやら重蔵と御陣乗太鼓に登場する男幽霊(土左衛門)には共通点がありそうです。
輪島には猟師が多く、水難で亡くなる人々が多かったことでしょう。
そのような水難で亡くなった人々を慰霊する神社が重蔵神社であり、重蔵神社という社名は、水死体を意味する土左衛門から来るものではないでしょうか?
水死体→土左衛門(どざえもん)→どざ→十三→じゅうぞう→重蔵
●土左衛門(水死体)の語源ちょっとまて~!
重蔵は水死体を意味する土左衛門からくるというが、
重蔵神社 夏祭 『重蔵神社はトミヒコ神社?』 ↑
こちらの記事では重蔵はトミヒコ(ナガスネヒコの別名)からくると言ってるじゃないかって?
はい。つまり重蔵は水死体=土左衛門であり、水死体のことを土左衛門というのはトミヒコからくるのではないかと私は考えているわけです。
水死体のことを土左衛門というのは、享保年間の力士「成瀬川土左衛門」が、大変な肥満体で体の膨れ上がった水死体ににていたためであるなどと言われています。
しかし、この説が絶対正しいとはいいきれません。
語源由来辞典(
http://gogen-allguide.com/to/dozaemon.html)にも、「正確な語源は未詳」と記されています。
トミヒコは初代神武天皇が日向より東征して機内入りする以前より畿内に住み、物部氏の祖神とされるニギハヤヒを神として奉じていました。
ここから機内には神武天皇以前に物部王朝があったとされます。
トミヒコは日向からやってきた神武に抵抗しますが、神武に服したニギハヤヒによって殺されたと記紀には記されています。
一方、イザナギ・イザナミの長子であるエビスは3歳になっても腰のたたない身体障害児であったため葦舟に乗せて流されたと記紀は記します。
わずか3歳で、しかも身体障害児だったエビスは海に沈んで市に、水死体になったことでしょう。
水死体のことをエビスという地方もありますね。
このエビスとは滅ぼされた前政権の王・トミヒコのことではないでしょうか。
つまり、次のように転訛して水死体のことを土左衛門というようになったのではないかと思うのです。
トミヒコ→トミ→十三→じゅうそう→重蔵
トミヒコ→トミ→十三→どざえもん(水死体)
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村