石川県輪島市 奥津比咩 (おくつひめ)神社
夏祭・・・8月22日~23日●輪島大祭8月22日から8月25日までの4日間、石川県輪島市にある奥津比咩神社・重蔵神社・住吉神社・輪島前神社で夏祭りが行われ、輪島大祭(キリコ祭)と呼ばれています。
22日、23日は奥津比咩神社、23日・24日は重蔵神社、24日・25日は住吉神社、25日・26日は輪島前神社の祭礼です。
●奥津比咩神社の夏祭
8月22日、輪島市内のホテルに到着したのは午後4時。
奥津比咩神社の神輿渡御は午後4時からの予定。
たいへん、間に合わないよ~、と慌てて神社に向かいました。
神社に到着するとちょうど神輿が神社の階段を降りてくるところでした。 よかった、よかった。
行列を先導する猿田彦(天狗)。
輪島の民家は写真のように板を横に貼ったログハウス風のものが多いです。何か理由があるのでしょうか?
猿田彦のあとを、提灯を担いだ氏子さんたちが続きます。
神輿渡御の途中で何度も綱引きが行われ、そのたびに神輿は後方へ戻ってしまうので、なかなか行列が前に進みません(笑)
氏子さんたちはなぜかお化粧をし、エプロンを身に着けています。
袖ヶ浜に夕日が沈んでいきます。
日没後、砂浜で入水神事が行われました。
●キリコ祭は七夕の行事?輪島ナビには『キリコ祭りのいわれ/昔、舳倉島に鎮座した女神と輪島市内の男神が、松明を目印に年に一度お会いするロマンあふれるお祭りです。お供する人々は、この日にすべての厄を払い落とし、新しい神様が誕生する生命力を授かります。』
と記されています。
1年に1度の逢瀬を楽しむといえば七夕です。
旧暦ではお盆は旧暦の7月15日を中心に行われていました。
7月7日の七夕はお盆の行事だったのです。
現在ではお盆は新暦の8月15日を中心として行われることが多いです。
8月22日から8月25日まで行われている輪島大祭はお盆の行事で、舳倉島の女神と輪島の男神が1年に1度の逢瀬を楽しむという伝説は七夕の説話からくるものだと考えられるのではないでしょうか。
舳倉島は輪島市から約50kmの沖にある島で1日1便の船しかないので行けなかったのですが、この島には奥津比咩神社(輪島市舳倉島高見2)があります。
伝説に登場する舳倉島の女神とは奥津比咩の神様のことでしょう。
●夏、舳倉島に移住していた海士町の人々玄松子の記憶 奥津比咩神社 ← こちらのサイトで舳倉島について詳しく紹介されています。
永禄年間(1558-69)、筑前国(現在の福岡県西部)から海士又兵衛という人物が男女12人を率いて能登国羽喰郡に漂着したという伝承があります。
又兵衛らは赤崎、千の裏に住み着き、珠洲郡沿岸島で鮑を採るなどして生計をたてていましたが、その後鳳至郡北浦北橋に移住しました。
天正年中(1573-92)藩祖・前田利家に熨斗鮑を献上し、舳倉島・七ツ島で鮑をとる権利を得ました。
寛永年間(1624-44)輪島町鳳至町の一部が彼らに与えられました。
これが輪島の海士町です。
その後、輪島の海士町の人々は夏に数か月舳倉島に移り住んで鮑やエゴをとり、秋ごろ海士町に戻るようになりました。
海士町の人々は海士町と舳倉島の両方に家を持っていたのです。
1970年ごろより、舳倉島に定住する人が現れました。
海士町の奥津比咩神社は、近年になって舳倉島の奥津比咩神社より御分霊を奉斎したものだそうです。
海士町に奥津比咩神社がつくられたのは、最近では夏になっても舳倉島に渡らない人々が増えたということなのかも?
そうだとしても海士町の人々は舳倉島の女神・奥津比咩を、今でも厚く信仰しているのでしょう。
いや、海士町の人々だけでなく舳倉島の女神・奥津比咩は輪島の人々に厚く信仰されているのだと思います。
というのは奥津比咩神社・重蔵神社・住吉神社・輪島前神社の四神社で行われるキリコ祭は舳倉島の女神と輪島の男神が年に1度出会う祭とされているからです。
●氏子さんがエプロン姿なのはなぜ?
海士町の奥津比咩神社の氏子さんたちは髪を染め、化粧をし、スカートにエプロンを見につけた女装姿でお神輿を担ぎます。
地元の方に「なぜエプロン姿なのか」と伺ったところ、「女の神様だから」と教えていただきました。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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