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石光寺 百日紅 『中将湯とバスクリン』  

奈良県葛城市 石光寺
2011年8月13日 撮影

石光寺 百日紅
 
この時期、石光寺の百日紅が満開となります。 

石光寺 百日紅3

●中将湯

ツムラの中将湯ってご存知ですか?

1893年に販売されて以来、ロングセラーとなっている漢方薬で、婦人病に効能があるとされています。
中将湯のパッケージには中将姫のイラストが描かれています。
石光寺はこの中将姫ゆかりの寺なのです。 

中将姫には次のような伝説があります。

奈良時代、藤原鎌足の曾孫・藤原豊成と妻・紫の前の間に娘が誕生し、中将姫と名付けられました。
紫の前は中将姫が5歳のときになくなり、豊成は照夜の前を後妻としました。
照夜の前は中将姫を嫌い、事あるごとに中将姫をいじめました。
中将姫が14歳のとき、父の豊成は諸国巡視の旅に出かけました。
継母の照夜の前は従者に中将姫の殺害を命じました。
しかし従者はかわいそうに思って中将姫を殺すことができず、雲雀山に置き去りにしました。
中将姫は雲雀山で念仏三昧の生活をおくっていましたが、1年後、遊猟にやってきた父・豊成と再会して都へ戻りました。
その後、出家して當麻寺に入りました。


當麻寺 蓮華草 

↑ 當麻寺は石光寺を南に10分ほど行ったところにあります。


26歳のとき、中将姫は蓮の茎から糸をつむぎ、石光寺の庭に井戸を掘って糸を浸したところ五色に染まりました。
中将姫はその蓮糸をつかい、一夜のうちに當麻曼茶羅を織りあげました。
29歳のとき、阿弥陀如来をはじめとする二十五菩薩が来迎して中将姫は生きながらにして西方浄土に向かいました。


中将姫が雲雀山に置き去りにされた際、藤村家の人々が中将姫をかくまいました。。
そのお礼にと中将姫は藤村家の人々に婦人薬の製法を教えました。
これが中将湯です。

ツムラの創業者・津村重舎の母親が藤村家の女性であったことから、津村重舎は中将湯の製法を受け継いだそうです。

中将湯って歴史の古い薬だったのですね~。

石光寺 百日紅2

●バスクリンは中将姫ゆかりの入浴剤だった。

1900年、ツムラは「くすり湯中将湯」を発売しました。
これを改良したものがバスクリンなのだそうです。

バスクリンは中将姫ゆかりの入浴剤だったのですね!

石光寺 百日紅4




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[2016/08/19 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)