京都市上京区 京都御苑 拾翠亭
撮影 2010年8月1日
●九條家の茶会のための離れ、拾翠亭 京都御苑がある場所は、江戸時代には宮家や公家の邸宅が立ち並んでいました。
百日紅(さるすべり)の花の向こうに見えている建物は拾翠亭です。
江戸後期に建てられたもので、五摂家のひとつ・九條家が所有していた茶会のための離れでした。
●五摂家飛鳥時代、中臣鎌足が天智天皇より藤原姓を賜ったことは皆様ご存じの事と思います。
奈良時代になって鎌足の息子・不比等の娘の光明子が人臣としては初めて皇后となり、光明子の兄の藤原四兄弟が政治の実権を握りました。
藤原四兄弟
藤原武智麻呂/藤原南家開祖
藤原房前/藤原北家開祖
藤原宇合/藤原式家開祖
藤原麻呂/藤原京家開祖
平安時代、藤原北家の良房が人臣初の摂政となり、その後、良房の子孫が摂政・関白につくようになりました。
といっても良房のあとつぎの基経は藤原長良(藤原良房の兄)の子で、良房の養子なんですけどね。
さらに道長の嫡流子孫である御堂流が摂政関白を務めるようになりました。
鎌倉時代には藤原氏嫡流の近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家が摂政・関白、太政大臣を務めました。
豊臣秀吉は近衛前久の猶子となって藤原朝臣秀吉(近衛秀吉)として関白に就任しています。
江戸時代になると摂政・関白の任命権は幕府がもつようになりましたが、五摂家は様々な特権が与えられ、朝廷は五摂家にによって運営されていました。
明治維新後、五摂家の当主は公爵に叙せられ、摂家から摂政関白に任じられることはなくなりました。
●五摂家の今九条家の現当主は九条道弘氏で、平安神宮宮司や藤裔会(藤原氏の末裔の人々の会)会長をしておられます。
近衛家の現当主、近衛忠煇氏は日本赤十字社の現社長で、国際赤十字・赤新月社連盟会長もしておられます。
近衛忠煇氏は旧肥後熊本藩主細川家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の二女)の次男で、実兄は第79代内閣総理大臣の細川護熙氏です。
外祖父近衞文麿(第34・38・39代内閣総理大臣)の長男で伯父にあたる文隆がシベリア抑留中に死去したため、近衛忠煇氏は1965年(昭和40年)に母の実家である近衞家の養子となられたそうです。
余談となりますが、連ドラ「花子とアン」に登場した葉山蓮子のモデル、柳原白蓮は藤原北家の日野家の分流だそうです。
それにしても柳原白蓮って美人だなあ~♡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E7%99%BD%E8%93%AE
↑ 2016年7月28日撮影の拾翠亭。
百日紅の木に葉や花がつかない枝がめだちます・・・。
植物も年を取ると衰えてくるということなのかな~?
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[2016/08/14 00:00]
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