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伏見酒蔵通り 灯ろうライトアップ  と 寺田屋  『坂本龍馬、ポートレートの謎』 

京都市伏見区 伏見酒蔵通り
伏見酒蔵通り 灯ろうライトアップ・・・
おけいはん ネット  2016年は7月29日(金)~8月16日(火)まで


しばらく出かけます。(記事は予約投稿しておきました。)
メールのお返事は帰宅後必ずしますので、待っててくださいね~。
 
伏見酒蔵 ライトアップ


伏見はその地名どおり、良質な伏流水が豊富な土地です。
そのため昔から湧水を利用した酒作りが盛んに行われてきました。
町には情緒ある酒蔵が並んでいます。
この伏見の酒蔵通りで伏見酒蔵通り 灯ろうライトアップ が行われています。 

伏見酒蔵 ライトアップ3 
寺田屋事件で有名な寺田屋も近くにあります。 

寺田屋 

●坂本龍馬射撃事件


1862年の薩摩藩粛清の事件も寺田屋事件と呼ばれ、この寺田屋で起こった事件なのですが、今回は1866年の坂本龍馬襲撃事件について書きたいと思います。
といっても明治維新は勉強不足であまり詳しくはないのですが~。 (汗)

慶応2年(1866年)1月22日、龍馬の仲介によって薩長同盟が成立しました。
翌23日、龍馬は長府藩士・三吉慎蔵と寺田屋に宿泊していました。
午前3時ごろ、龍馬の妻・お龍は入浴中でしたが、窓の外に大勢の捕り方(伏見奉行所 役人)がいることに気づき、裸のまま2階へ駆け上って龍馬にこれを知らせました。
その後、捕り方たちは寺田屋に入り龍馬らを襲いましたが、龍馬はピストルで、三吉は槍で応戦しました。
そして寺田屋から屋根を使って逃走し、ふたりは木材屋に隠れたのです。
龍馬は三吉に薩摩藩邸へ行って救援を求めるように指示を出し、自分は木材屋に残りました。
龍馬は左手指を負傷していたのです。
三吉の知らせを聞いた薩摩藩士によって龍馬は救出されました。

坂本龍馬 避難の材木小屋跡

●寺田屋事件で龍馬は手指が不自由になった?

「寺田屋事件で負傷したことによって、龍馬は手指が不自由になったのではないか」と小説家の高田祟史さんはおっしゃっています。
この事件ののちの坂本竜馬自筆の手紙の筆圧が弱くなっているのは、そのためではないかというのですね。

また、有名な坂本竜馬の写真は、1866年または1867年に撮影されたものですが、手が写っていません。
これは坂本竜馬が手を負傷したことを悟られないように隠しているのではないか、と高田祟史さんはおっしゃっていました。

伏見酒蔵 ライトアップ2 
お龍?

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[2016/08/10 00:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)