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真如堂 紫陽花 菩提樹  沙羅双樹 『詮子、遵子を呪う?』 

京都市左京区 真如堂
撮影 2016年6月13日


真如堂 紫陽花 

●女人救済の阿弥陀如来

真如堂には次のような創建説話が残されています。

円仁は夜ごとに根元が光る霊木を見つけました。
霊木を割ると、中から座像と立像の阿弥陀如来の形が現れました。
円仁は座像の形のほうを用いて阿弥陀如来座像を造立し、如法堂に安置しました。これは後に日吉大社念仏堂の本尊となりました。

その後、円仁は遣唐使として唐へ赴きました。
円仁が日本への帰る際、荒れ狂う波間の虚空から阿弥陀如来が現れ、円仁に引声念仏を授けました。
円仁はこの阿弥陀如来を持ち帰り、光る霊木より現れた阿弥陀如来を完成させ、その胎内に波間から現れた阿弥陀如来をおさめました。

円仁は阿弥陀如来に「比叡山の修行僧の本尊となってください」と言うと、阿弥陀如来は首を振りました。
そこで円仁は「それでは都のすべての人をお救いください。特に女性をお救いください。」というと阿弥陀如来はうなづかれました。
ここから「うなづきの阿弥陀」と呼ばれています。

984年、比叡山の僧・戒算の夢枕に、阿弥陀仏の化身の老僧が現れ、次のように告げました。

「私は叡山の常行堂よりやってきた。京ですべての者にご利益を施すつもりである。特に女人を救い隊と思っているので、京に下山させてほしい。」
「神楽岡のあたりに、小さな桧千本が一晩のうちに生えた場所がある。そこが衆生済度の場である。」と。

老僧が霊地であると言ったのは東三條女院(藤原詮子/ふじわらのせんし)の離宮でした。
詮子もまた戒山と同じ夢を見たので、自分の離宮に「うなづきの阿弥陀」を遷座しました。


真如堂 紫陽花2 

●引きこもりから、国母専朝へ。


創建説話を読んで、「ふーん」で終わらせずに、お寺の縁起に登場する人物や年を調べてみるとおもしろいです。

真如堂の創建説話に登場する藤原詮子〈962-1002)は摂政関白・太政大臣藤原兼家と摂津守藤原中正の娘の時姫の間に生まれました。
978年円融天皇に入内し、980年には円融天皇の第一皇子・懐仁親王(のちの一条天皇)を生みました。
ところが、藤原頼忠の娘・遵子(じゅんし)が后となってしまいました。
藤原遵子の兄・藤原公任には「こちらの女御はいつ后になられるんですか」と皮肉を言われるしまつ。(『大鏡』)
よほど悔しかったのでしょう、父親の藤原兼家とともに東三条邸にひきこもってしまいました。
そして天皇が何度「戻っておいで」と言っても戻らなかったのです。

しかし遵子は円融天皇の皇子を産むことはありませんでした。
そのため986年、詮子が生んだ一条天皇が即位し、詮子は皇太后となったのです。
皇太后となった詮子は、遵子の兄・藤原公任に「姉君の素腹の后はどちらにおいでですか?」とやり返しています。(『大鏡』)
そして、ひきこもっていたことが信じられないほど、政治にも口出しするようになったのです
藤原実資は日記『小右記』に「国母専朝」と書いています。
「国母」とは「皇太后」を意味する言葉です。ここでは詮子のことですね。
皇太后が牛耳る朝廷、というような意味でしょうか。

真如堂 沙羅双樹 
沙羅双樹

●遵子が円融天皇の皇子を産みませんように!

詮子の離宮に「うなづきの阿弥陀」が安置されたのは984年でした。
一条天皇が即位し、詮子が皇太后となったのはその2年後の986年です。
詮子の離宮に「うなづきの阿弥陀」が安置されたのは、詮子が東三条邸に引きこもっていたころだと考えられます。

「うなづきの阿弥陀」は「女人を救済する」と言ったとありますが、「うなづきの阿弥陀」が救済する女人とは詮子のことなのではないでしょうか。

おそらく、詮子または詮子の父・兼家は、この「うなづきの阿弥陀」を拝んでこんな風に祈願していたのではないかと思います。

「どうか、憎き遵子が円融天皇の皇子を産みませんように。
私(詮子)が生んだ懐仁親王(のちの一条天皇)が即位しますように。
そして遵子ではなく私が皇太后になれますように!」

あるお寺にいったとき、お寺の大黒さん(住職の奥様のこと)がこんなことをおっしゃっていたのを思い出します。
「愛染明王の何も持っていない手には秘密の呪符を握らせたそうです。そして、その呪符には『○○、死ね』などのように書いて呪詛したそうです。」と。

昔の仏教はこのように呪術的意味合いの濃いものであったようです。

真如堂 菩提樹 

菩提樹



毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/06/15 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)