京都市伏見区 伏見稲荷大社
お田植祭 6月10日
●土地と神を奪われた紀氏 藤森神社 紫陽花 『紀氏の祖神を祀る寺』 ↑ こちらの記事に次のようなことを書きました。
①もともと藤森神社は現在の伏見稲荷大社がある場所に祀られており、その地に伏見稲荷大社が創建されることとなったので現在地に移転した。
そのため、伏見稲荷大社周辺の住民は現在でも藤森神社の氏子である。
②藤森神社は紀氏の祖神を祀る神社だといわれる。
藤森神社の主祭神はスサノオですが、ホツマツタエにはソサノオは紀州の生まれとあるので、スサノオが紀氏の祖神だと考えられる。
③もともとこのあたりの土地は山城国紀伊郡といい、紀氏の土地であったのが、藤原氏や秦氏が権力を持つようになって紀氏は土地を奪われたのだと考えられている。
④伏見稲荷大社は稲荷社の総本社とされているが、紀氏の本拠地・和歌山県有田市糸我町にある稲荷大神社が最古の稲荷社(532年創建)であるという言い伝えがある。
もともと紀氏が信仰していた稲荷神を、秦氏や藤原氏が奪って自分たちの神としたのではないか。
⑤『稲荷大名神流記』に、紀州の神と空海は仲がよく、また紀州の神が東寺にきてくれたので神として鎮まっていただいた、との旨が記されている。
しかし藤森神社の氏子はいまでも祭のたびごとに伏見稲荷大社へ行き「土地返せ」とはやし立てている。
ここから空海がかなり強引なやり方で紀州(紀氏)の神を奪ったのではないかと想像される。
●伏見稲荷大社の御祭神伏見稲荷大社の御祭神は宇迦之御魂大神で、佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神を配祀しています。
宇迦之御魂大神は食物神で、伊勢神宮の外宮に鎮座する神・豊受大神と同一視されています。
佐田彦大神は猿田彦神、大宮能賣大神はアメノウズメ、田中大神は田を立ち直らせる神とのことです。
●伏見稲荷大社に紀氏の神が鎮座していた!残る四大神とはどのような神様なのでしょうか?
柴田實氏によると、四大神とは、五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋姫(おおやつひめ)、抓津姫(つまつひめ)、事八十神の四柱の神神々のことだということです。(式内社調査報告)
五十猛命(イソタケル)は、スサノオの子で、林業の神です。
記紀の記述によれば五十猛神は紀伊国に祀られている神とあります。紀伊国とは紀州のことです。
また記紀の記述によれば、大屋都姫命(大屋姫)はスサノオの娘で、五十猛命は兄、抓津姫は妹としており
大屋都姫命と抓津姫はスサノオに命じられて五十猛命と共に全国の山々に木種を撒いたあと紀伊国に戻ったとあります。
そして、和歌山市宇田森の大屋都姫神社では大屋都姫命を、和歌山市伊太祈の伊太祁曽神社では五十猛命を主祭神としています。
都麻都姫命(抓津姫/は都麻都比売神社の主祭神とされていると古い文献には記されていますが、この都麻都比売神社が現在のどの神社のことであるのかは不明です。
紀州は古より林業が盛んだったので、紀州の人々は林業の神・五十猛神や、木種をまいた大屋都姫命・抓津姫を信仰していたのでしょう。
そして紀州は紀氏の本拠地でした。
五十猛神・大屋都姫命・抓津姫は紀氏の神だと考えられるでしょう。
事八十神はスサノオの子で大国主の兄す。
古事記では八十神と書かれ、クシイナダヒメが大国主と結婚したいと言ったことを恨んで大国主をいじめています。
一柱ではなく、大勢の神の総称のように思われますが、紀州と関係があるのかどうかはわかりません。
伏見稲荷大社は紀氏の祖神を祀る藤森神社を移転させて現在地に鎮座したわけですが
現在でも紀州の神を祀り続けていたのです。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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