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日光杉並木街道 追分地蔵 『二十三夜尊と地蔵菩薩と閻魔大王』 

 
栃木県日光市 日光杉並木街道
撮影・・・2016年5月下旬

日光杉並木街道

●日光杉並木街道

初めて見たとき、防風林なのかなと思いました。
調べてみたところ、どうやら上の写真は日光杉並木街道と呼ばれるもののようです。

松平正綱(1576-1648)が日光東照宮の参道となる3つの街道に杉を植樹したものが、長い年月を経てこんな立派な並木道になったんですね~。

大沢ー日光間16.52km、小倉―今市13.17km、大桑 - 今市間5.72kmの杉並木で世界最長の並木道としてギネスブックに登録されているのだとか。

●追分地蔵

二本の杉並木が合流するところに追分地蔵がありました。
追分とは道がふたつに分かれる場所のことですね。
境内には大きな地蔵菩薩さまがおられました。像高は約2mとのこと。

一般的なお地蔵さまは錫杖と宝珠を持っていますが、胎蔵界大日如来の法界定印を結んでいます。
大日如来の徳を持つお地蔵さまということなんでしょう。

このお地蔵さまは日光含満ヶ淵の親地蔵で、洪水で流されてこの地にきたとも言われています。

追分地蔵 2

●二十三夜尊

境内には二十三夜尊と記された祠がありました。

二十三夜尊?
関西でそのような神仏の名前は聞いたことがありません。(私が知らないだけかも・・・)
見るものすべてが珍しく、ついテンションがあがってしまいます。
 
追分地蔵 二十三夜尊  


女性は堺祭の行列に登場された方です。(合成)


月待行事というものがあるそうですね。

ウィキペディアには次のように記されています。
十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BE%85%E5%A1%94 より引用

月齢と月の形については、こちらのサイトがわかりやすいと思います。↓
https://www.lib.pref.yamanashi.jp/kosyu/kyozai/geturei/geturei.html

二十三夜尊とは、二十三夜の月を神格化した神なのでしょう。

●二十三夜は地蔵菩薩縁日のイブ?

十五、十六、十九、二十二、二十三という数字には何か意味があると思いますが、よくわかりません。
ただ、二十三夜はお地蔵さまの縁日が二十四日で、その前日にあたることに意味があるのではないかとする説があるようです。

二十三夜尊の祠は追分地蔵の境内にありますから、二十三夜尊の信仰が地蔵菩薩の縁日の前日に関係しているという可能性はありそうです。

追分地蔵


●月待信仰は閻魔大王と関係ある?


地蔵菩薩は地獄にあって亡者の身代わりとなり、地獄の責め苦を受けてくださるという菩薩さまです。
一方、閻魔大王は亡者の生前の行いをジャッジして裁く神様とされています。

地蔵菩薩と閻魔大王は正反対の性格を持っていますが、同体だとされています。

陰陽道ではすべてのものには陰と陽の両面があるとしています。
つまり地蔵菩薩は陽、閻魔大王は陰ということでしょう。

さきほども述べたように、追分地蔵は胎蔵界大日如来の法界定印を結んでおり、大日如来の徳を持つお地蔵さまだと考えられます。

大日如来は天照大神と習合されています。
つまり、追分地蔵は太陽の神なのでしょう。
地蔵菩薩が陽、閻魔大王が陰であるとするのが正しければ、
地蔵菩薩は太陽=陽なので閻魔大王は月=陰だということになると思います。
もしかして、月待信仰って閻魔大王と関係があるのかも?

千本閻魔堂 狂言 鬼の念仏 
千本閻魔堂狂言 中央が閻魔大王

●地獄=黄泉は夜空にあった?

死後の国のことを黄泉の国といいますが、黄泉とは漢語で「地下の泉」を意味する言葉です。
なので、黄泉の国は地下にあるのかなと思っていましたが
そうではなく、黄泉とは月読命(月を神格化した神)の「読」であり、夜空にあると考えられていたのかもしれないですね。

黄泉の国からこの世に戻ったイザナギが禊をしたところ、三柱の神々が生まれました。
天照大神、月読命、スサノオです。

月読命は月を神格化した神だと考えられています。
閻魔大王が月の神だとすれば、月読命と閻魔大王は同一神だということになります。

また月読命という神名の中に「読」とあるのは「黄泉」の意味であるのかも?
とすれば、月読命は黄泉の王ということになり
閻魔大王は地獄=黄泉の大王なので、やはり月読命と閻魔大王は同一神だということになると思うんですが、どうかな?

日光杉並木街道2 
黄色と白の花が咲いていましたが、花の名前がわかりません~(すいません)

●地獄の釜の蓋が開くとは、ペルセウス座流星群のことだった?

以前の記事、花背 松上げ 『お盆とペルセウス座流星群』 にこんなことを書きました。

①ペルセウス座流星群は7月20日頃から8月20日頃にかけて観測され、8月13日がピーク。
②旧暦ではお盆は7月15日を中心とした行事だった。新暦になってからは8月15日を中心として行われることが多い。
旧暦は新暦の約1か月遅れなので、今も昔もペルセウス座流星群が観測される次期にお盆は行われている。
③お盆には地獄の釜が開いて先祖の霊がこの世に戻ってくると考えられていた。
④昔の人々は死んだ人の魂は星になると考え、ペルセウス座流星群を見て、死んだ人の魂が地球に降ってくると考えられたのではないか。

旧暦7月1日は『釜蓋朔日(かまぶたついたち)』と言われ、地獄の釜が開く日だとされていました。
(旧暦は月齢をカレンダーがわりにした暦で、新月の日を1日としていました。)

地獄の釜とは地球から半球の形に見える夜空のことであり
地獄の釜の蓋とは月のことではないでしょうか。
昔の人は新月の日から月がどんどん膨らんでいく様子を、夜空に穴があく、と考え、それを「地獄の釜の蓋が開く」と表現したのではないかと思うのです。

一青窈さんが「月天心」で「満月の穴~♪」と歌っておられたことを思い出します。

そしてペルセウス座流星群は空に空いた穴(月)から、こぼれおちた死んだ人の霊であると考えたのではないでしょうか。

大谷川 

大谷川 夕暮れ


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/06/05 00:00] 栃木県 | トラックバック(-) | コメント(-)