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観音寺 菜の花 桜 『息長氏と大海人皇子』 

京都府京田辺市 観音寺
撮影 2014年4月6日


 観音寺 菜の花 桜2

●義淵を育てたのは天智天皇?それとも天武天皇?


観音寺は白鳳年間に義淵僧正が創建したと伝えられています。
義淵についてはこちらの記事にも書きました。→ 飛鳥 光の回廊 岡寺 『龍を池に閉じ込める呪法』 

ウィキペディアによれば、義淵僧正は天武天皇により皇子とともに岡本宮で養育されたとの旨が記されてます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B7%B5

しかし岡寺のhpには、義淵僧正は天智天皇により草壁皇子とともに育てられたとあって
http://www.okadera3307.com/rekishi.html からページ左上部にある開祖義淵僧正とあるところをクリックしてください)
喰い違っています。
いったいどちらが本当なんでしょうか?


岡寺 義淵僧正 

龍と闘う義淵(岡寺のレリーフより)


●息長氏と大海人皇子

それはさておき、観音寺は山号を息長山といいますが、息長氏という氏族がいました。

息長氏は琵琶湖東岸・京都南部・奈良北部・大阪東部などに勢力をふるっていた豪族です。
神功皇后の父親は、息長宿禰王といい、第9代開化天皇玄孫で、迦邇米雷王の王子でした。

息長は「息が長い」の意で海人だったとか、ふいごで風を送る製鉄の民の意味ではないかとする説があります。
海人といえば、大海人皇子を思い出しますね!
大海人皇子とはそう、天武天皇のことです。

もしかして「息長山」という山号は天武天皇にちなむもので、観音寺は天武天皇と関係のあるお寺なのかも?
すると、義淵を育てたのは天武天皇なのではないかと思えます。
岡寺の由緒によれば、義淵は草壁皇子とともに養育されたとしていますが、草壁皇子は天武天皇の皇子ですし~。
そうだとすると、なんで岡寺は「義淵僧正は天智天皇により草壁皇子とともに育てられた」と伝えているのか気になりますね。

斎藤忠さんによれば、戦国時代、織田信長は多くの神社を破壊したそうですが
スサノオをまつっていると偽って破壊を免れたという伝承が伝わっているそうです。

これと同じように、天武天皇の名をかたることが憚られるような状況があり、それで天智天皇によって育てられたといい伝わっているのかもしれませんね。

観音寺 菜の花 桜4

 

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[2016/04/17 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)