京都府上京区 立本寺 妙顕寺
撮影 立本寺/2016年3月29日 妙顕寺/2016年4月5日
立本寺 本堂 3月29日立本寺って「りゅうほんじ」と読むんですね。
勝手に「りっぽんじ」だと思いこんでて(アホ)、フィギュアスケートのアダム・リッポンと同じ名前だあ~、思ってました(バカ)。
世界選手権のアダム・リッポン、素晴らしかったですね!
四回転ルッツ着氷! 両手を上げてのジャンプ、高いバレーシャンプ、すごい角度のイーグル!美しいーー!
動画はここ→
https://www.youtube.com/watch?v=oYMR4x75azU4月5日にも立本寺に行きました。↑ 写真のしだれ桜は終わっていましたが、ソメイヨシノが満開でした。
が!
すっかり日が暮れて境内は真っ暗。とても撮影できる状態ではなく、泣く泣く撮らずに帰ってきました・・・(大バカ)。
妙顕寺 4月5日●立本寺と妙顕寺さてさて、この立本寺は妙顕寺というお寺と深ーい関係があります。
1321年、日蓮の弟子・日像が妙顕寺を創建したのですが、2度に渡り延暦寺の襲撃を受けて壊されてしまいました。
その後、日実と月明がそれぞれ寺を再興し、日実が再興した本応寺と、月明が再興した妙本寺は対立するようになります。
この本応寺が寺号を改めて立本寺となりました。
そして妙本寺は寺号をもとの妙顕寺に戻したのです。
妙顕寺 4月5日●立本寺の幽霊子育飴立本寺では幽霊子育飴を授与しています。
幽霊子育て飴って、どこかで聞いた名前ですね?
そうそう、以前の記事
幽霊子育飴 『四十九日に人間界に生まれ変わった話』 にも幽霊子育飴の話を書きました。
京都市東山区には六道の辻と呼ばれる辻があり、かつての鳥辺野の風葬地の入り口に位置していました。
このあたりは六原と呼ばれていますが、髑髏がごろごろと転がっていたため、髑髏原が転じて六原になったともいわれています。

↑ 上の写真は六道の辻にある『みなとや』さんで買った幽霊子育飴です。
添加物は使っておらず、すごく優しい味!
おみやげにおススメですよっ。
幽霊子育飴の由来は次のようなものです。
慶長4年(1600年)、江村氏の妻が亡くなって土葬にしましたが、土の中から鳴き声が聞こえるので掘り返してみると、亡くなった妻が産んだ子がいました。
そういえば、夜な夜な飴を買いに来る女性がいましたが、土の中から幼児が発見されてからはやってきません。
幼児は8歳で出家して高僧となり、68歳で亡くなりました。http://honzan-ryuhonji.com/yureiame.html↑ リンク先は立本寺で授与している幽霊子育飴です。
立本寺のロゴが入っている以外は、ほとんど同じですね。
その由来も、死んだ女が幽霊になって飴を買いにきて、飴で子供を育てるというものでほとんど同じです。
ただ幽霊の子供が生んだ赤ん坊が立本寺第二十世・霊鷲院日審上人となっています。
立本寺の近くには昔、付喪神たちが百鬼夜行したと伝わる一条通がありますし、蓮台野の風葬地にも近いです。
それで幽霊子育飴伝説があるのかなあ、と思っていたんですが、
もしかしたら、それだけではないかも?
立本寺 刹堂(鬼子母神堂) 3月29日●子煩悩な神・鬼子母神立本寺は日蓮宗の寺院で、刹堂(鬼子母神堂)で鬼子母神を祀っています。
鬼子母神は、法華経の守護神とされ、日蓮宗や法華宗の寺院で祀られることが多いのです。
鬼子母神は500人の子を持つ母で、子を育てるための栄養をつけるために人間の子を食べていました。
お釈迦さまは彼女の子のピンガラを鉢に隠しました。
鬼子母神は必死になって探しましたがピンガラは見つかりませんでした。
釈迦は鬼子母神に言いました。
「500人もの子を持っているのに、一人の子を失っただけでそんなに辛いのだ。
ただ一人の子を失う親の辛さがわかっただろう。
今後は人間の子を食べないようにしなさい。」
そういって釈迦はピンガラを鉢の中から出しました。日蓮宗では鬼子母神を鬼形に表すこともあります。
また中国では鬼とは死者の霊魂のことをいいます。
つまり鬼とは幽霊だといってもいいでしょう。
そして鬼子母神はたいへん子煩悩な神なので、幽霊子育飴伝説と結び付けられたのではないでしょうか。
日審上人は鬼子母神の子、というわけです。
妙顕寺 たぶん鬼子母神堂 4月5日
妙顕寺には子育飴伝説は伝わっていないんですかね?
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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