京都府山科区 随心院
撮影 2016年4月19日小野小町の邸宅跡と伝わる髄心院。

ライトペインティングのジミー西村さんと織物会社が共同制作したタペストリーが展示されていました。
小野小町を描いたものですね。
●六歌仙は怨霊だった。小野小町は六歌仙の一です。
六歌仙とは古今和歌集仮名序において名前があげられた六人の歌人(遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大友黒主)のことを言います。
ただし、古今和歌集仮名序には六歌仙という言葉は使われておらず、後世になってこの六人の歌人のことを六歌仙と言うようになったと考えられています。
抽象的でわかりにくいのですが、私にはこんな風に読めます。
遍照は真実が少ない。
在原業平は言葉足らず。
文屋康秀は商人がいい衣を着ているようなものだ。
喜撰法師は始めと終わりがはっきりしていない。
小野小町は強くない。
大友黒主はその様子が賎しい。原文を読んでみたい方は、こちらをクリックしてください。→
http://bluewind.oops.jp/kokin/kana1.htmほめているというよりは、けなしているように思えます。
それなのになぜ彼らは後世、六歌仙と呼ばれるようになったのでしょうか。
高田祟史さんは六歌仙とは歌のうまい六人の歌人という意味ではなく、六人の怨霊になった歌人という意味ではないかとおっしゃっています。
かつて神と怨霊は同義語であったといいます。
それと同じく歌仙(歌の仙人)と怨霊も同義語ではないかというのですね~。
●六歌仙は藤原氏の他氏排斥の犠牲者だった。そこで六歌仙ひとりひとりについて調べてみると、全員藤原氏と確執があることがわかります。
喜撰法師は
紀名虎または
紀有常だという説があります。
紀名虎の娘で紀有常の妹の紀静子は文徳天皇に入内して惟喬親王を産みました。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えて源信に相談しましたが、源信は藤原良房を憚ってこれを諌めたそうです。
藤原良房の娘の藤原明子もまた文徳天皇に入内して惟仁親王(のちの清和天皇)を産んでいました。
この惟仁親王が皇太子になりました。
世継ぎ争いに敗れた惟喬親王は頻繁に歌会を開いていますが、その中に
遍照・
在原業平・
紀有常らの名前があります。
彼らは歌会と称し、惟喬親王をまつりあげてクーデターを計画していたのではないかという説もあります。
文屋は分室とも記され、
文屋康秀は分室宮田麻呂と血のつながりがあると思われます。
分室宮田麻呂は謀反を企てたとして流罪となりましたが、死後冤罪であったことがわかりました。
分室宮田麻呂は藤原北家に暗殺されたのではないかとする説もあります。
大友黒主は大伴黒主とも記され、大伴家持とほとんど同じ内容の歌が残されています。
大友黒主とは大伴家持のことだと思います。
大伴家持は藤原種継暗殺事件に関与したとしてすでに死亡していたのですが、死体が掘り起こされて流罪とされました。
詳しいことはこちらの記事に書きました。→
祇園祭 後祭 山鉾巡行 『大友黒主の正体は大伴家持だった?』 残る小野小町について、井沢元彦さんは惟喬親王が「小野宮」と呼ばれていたことから、惟喬親王の乳母ではないかと説かれました。
↑ これは菊桃かな?間違っていたら教えてください!
●小野小町は男だった?私は小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王自身のことだと考えています。
古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌がたくさんあります。
また古今和歌集仮名序を書いたとされる紀貫之は「土佐日記」で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と自らを女と偽って日記を書いています。
●町は紀氏の女性を意味する?また『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいます。
『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としています。
紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことです。
また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことです。
「町」とは紀氏の女性をさしているようにも思えます。
惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなります。
そういうことで小町というのではないでしょうか。
詳しくはこちらの記事をお読みいただけると嬉しいです。→
渡月橋 法輪寺 ライトアップ 『小野小町は男だった?』
●化粧井戸伝説のベースは天岩戸伝説?さて、髄心院には小町化粧井戸と呼ばれる井戸があるはずで、案内板もあったのですが見当たりませんでした~。
今度行ったときにもっとじっくり探してみます・・・。
小町化粧井戸とは小町がその姿を井戸の水に映して化粧をした井戸ということなのでしょうが
奈良県曽爾高原のお亀ヶ池にも同じような伝説がありました。
曽爾高原 すすき 夕景 『お亀ヶ池伝説』
お亀は曽爾村の男の嫁になり、毎日、太郎路池の水を溜めた井戸の水を鏡替わりにして化粧をしていました。
あるとき井戸の水に美しい男性の顔が映り「今夜、太郎路池のほとりに来て欲しい」といいました。
それ以来、お亀は夜になると出かけるようになりました。
お亀は男児を出産し、姿を消してしまいました。
夫はお亀を探して太郎路池のほとりへやってくるとお亀が現れて子供に乳を飲ませました。
そして「二度と私を探さないでください」と言って姿を消しました。
夫は懲りずにまた太郎路池に行きました。
するお亀が蛇となってあらわれ「二度とくるなと言ったのに、なぜ来た?」と言って夫に襲い掛かりました。
夫はなんとか逃げ帰りましたが、すぐに亡くなってしまいました。
井戸の水に写っているのはお亀の顔のはずなのに、男性の顔が映ったというのです。
この話は天岩戸伝説をベースに作られたものだと思います。
天の岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味を持って外をのぞいたところ
外には八咫鏡がかけてあって自分の姿が鏡に映りました。
もっとよく見ようと身を乗り出したところ、アメノタヂカラオが天照大神を引っ張り出しました。天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味を持ったというのですから、男神でしょう。
ところが記紀神話では天照大神は女神として誕生したということになっています。
本来の天岩戸伝説は次のようなものであったのではないかと思ったりします。
①天照大神、男神として誕生
②天照大神、天岩戸に籠る
③アメノウズメのストリップダンスに興味を持って外をのぞく。
④八咫鏡に反転した自分の姿が移り、性別も反転して女神となった。
天岩戸神話はこれを時系列を並べ替えて作られた物語なのではないでしょうか。
●鏡は神の性別を変える神具だった?そして鏡は神の性別を変えるための神具ではないかと思えます。
神はその現れ方で御霊(神の本質)・荒霊(神の荒々しい側面)・和霊(神の和やかな側面)に分けられ、荒霊は男神で和霊は女神とする説があります。
とすれば御霊は男女双体となります。
御霊・・・神の本質・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神
つまり鏡は男神(荒魂)を女神(和魂)に転じさせたり、
逆に女神(和魂)を男神(荒魂)に転じさせたりする力があると考えられていたのではないかと思います。
小野宮と呼ばれた惟喬親王の荒魂は、井戸に姿を移すことによって小野小町という和魂に転じたと
古の人々は考えたのではないでしょうか。
お亀の場合はこれと逆ですね。
お亀(和魂)は、井戸に姿を映すことによって、男神(荒魂)に転じたという話だと思います。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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