奈良県橿原市 橿原神宮
紀元祭・・・2月11日勅使の行列
●ミサンザイの語源はミソサザイだった?橿原神宮は1890年(明治23年)に明治天皇によって創建された神社で、初代神武天皇をお祭りしています。
橿原神宮は神武天皇の畝傍橿原宮があった場所だと考えられています。
また神社の北側には四条ミサンザイ古墳があって神武天皇陵に比定されています。
「ミサンザイ古墳」または「ニサンザイ古墳」と呼ばれる古墳は大阪府堺市・藤井寺市・岬町などにもあり「ミササギ」が訛ったものだと考えられています。
でも私は「ミソサザイ」という鳥の名前からくる言葉ではないかと考えています。
「ミソサザイ」は古くは「ササキ」といっていました。
「ササキ」に「御(ミ)」をつけると「ミササキ」となります。
この「キ」が濁音に変化したのが、そもそも「ミササギ(陵)」という言葉の由来ではないでしょうか。
そして「ミソサザイ」が訛って陵を「ミサンザイ」「ニサンザイ」と言ったのではないかと思います。
●鳥たちが行ったアメノワカヒコの葬儀なんで鳥の名前が墓や古墳を意味する言葉になったのかって?
記紀神話にアメノワカヒコという神様の葬儀のようすが記されています。
それによると、カワカリが食べ物を運び、サギはほうきを持ち、カワセミは神饌を用意し、スズメは米をつき、キジは泣き女をつとめたとあるのです。
●ほうきは祓い浄めるための道具だった?サギがほうきを持っていたので、サギを掃除係だとしているサイトもありましたが、
ほうきは祓い浄めるための神具であって、掃除をするために持っているのではないと思います。
京都では早く帰ってほしい客人があるときは、ほうきを逆さにして立てておくそうです。
これなども、帰ってほしい客人を穢れとみなし、ほうきで祓い浄めるという意味があるのではないかと思ったりします。
追記/同様の習慣は関東にもあるとcarrotさんに教えてもらいました。
carrotさん、ありがとう~。
●巨大古墳は鳥の視線を意識してつくられた?それはさておき、鳥は人の死と関係が深いものであったように思われます。
世界一の敷地面積を誇る仁徳天皇陵は、あまりに大きすぎて地上から見たとき、その形を認識することはできません。
↑ 堺市役所21階展望ロビーから見た仁徳天皇陵です。(木が茂っているところ)
全然形がわかりませんね。
地上から見るともっとわかりません。
↑ 空高く飛ぶ鳥にはこんな風に見えるのではないでしょうか。
仁徳天皇陵が前方後円墳であることも容易に確認できるでしょう。
昔の人は死者の魂は鳥になって天に昇ると考えたのではないでしょうか。
死んだヤマトタケルが白鳥になって飛び去ったという伝説もありますね。
そして鳥の視点を意識して、巨大な前方後円墳は築かれたのではないかと思います。
ナスカの地上絵なども同様でしょう。
銃剣 かっこよかったです。
●ミソサザイはスクナヒコナ神
鳥の種類はたくさんありますが、ミソサザイはスクナヒコナ神と関係が深い鳥です。
というのは日本書紀によると、スクナヒコナ神はミソサザイの皮をきていた、と記されているからです。
昔の人は死んだ人の魂は鳥になると考えていたのではないかと私は考えています。
スクナヒコナ神は死んだ貴人の魂が神になったものではないでしょうか。
そういうことで、鳥の中でもミソサザイは特別な鳥であったため、陵の名前にも用いられたのではないかと思ったりします。
これは剣舞かな?とてもすばらしい舞でした♪
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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