滋賀県大津市 石山寺
2014年2月上旬 撮影
石山寺 多宝塔 塔百景73
↑ この写真はいまいちだなあ~。撮り直しに行きたいです。
月曜日は寒かったですね~。
各地で雪が降ったようです。
雪景色の写真を撮りに行こうと思っていたのですが、
あまりの寒さで風呂の給湯器が壊れ、ガス屋さんに来てもらうことになったので行けませんでした(涙)。
給湯器を点火して水栓をひねると、あれれ?水が出ない?
その後、大きな音がして給湯器の配管が破裂しましたーーーー。
http://www.eco-kyoto.net/blog/?p=143
石山寺 仁王門そんなわけで雪景色の写真を撮りに行けなかったので、昔撮った石山寺の写真を引っ張り出してきました。
●親指を隠すおまじない石山寺の仁王門の近くに大黒天堂があります。
石山寺 大黒天堂御本尊の大黒天は1024年に3人の僧に夢のお告げがあり、湖水より出現したと言われています。
丈六の立像で秘仏とされており、子年の10月1日から7日の間のみ開扉されます。
大黒天は右手に打出の小槌を、左手に袋を持ち肩にかけているのが一般的なお姿です。
憤怒相では宝剣とか宝棒を持っていることもあるそうです。
でもそれは比較的新しい大黒天像のお姿で、鎌倉時代から室町にかけての大黒天像は打出の小槌を持っていませんでした。
そのかわりに親指を人差し指と中指の間から覗かせた女握りの拳印を結んでいます。
松尾寺(奈良県生駒郡)、興福寺納経所(奈良県奈良市)、光明寺(滋賀県蒲生郡)、修善寺(静岡県田方郡)、三輪神社(奈良県磯城郡)などに、女握りの拳印を持つ大黒天像があるそうです。
石山寺の大黒天は女握りではなく、親指を中に入れて拳を握っておられるので、拳印開運大黒天と呼ばれています。
大黒天堂の庭に置かれていた大黒天の石像も、親指を拳の中に入れて拳を握っておられました。
●一家立三后、未曾有なり大黒天像が出現したとされる1024年は後一条天皇の御代でした。
後一条天皇の外祖父は藤原道長です。
藤原道長は長女・彰子を一条天皇(後一条天皇の父)に、次女妍子を三条天皇に、三女の威子を後一条天皇に入内させることで権力を掌握した人物でした。
藤原実資は『小右記』に、「一家立三后、未曾有なり(一家で3人の后を出すのは前代未聞)」と記しています。
999年、道長は長女彰子を一条天皇のもとへ入内させました。
たいそう派手で豪華な入内であったそうです。
1000年、彰子は一条天皇の皇后になりました。
一条天皇の皇后にはすでに定子(藤原道隆の娘)が立っていたのですが、道長が無理矢理一帝二后を強行したのです。
定子はこの年産褥で薨去してしまい、一条天皇の皇后は彰子だけとなりました。
1011年、一条天皇は病が重症化して三条天皇に譲位し、まもなく崩御されました。
三条天皇は一条天皇の従兄弟で、道長の甥にあたります。
道長は次女妍子を三条天皇に入内させていましたが、三条天皇は藤原済時の娘・娍子を皇后としていました。
道長は立后の儀式に欠席しました。
また道長の権力をおそれて多くの公卿も欠席し、大変寂しい儀式だったそうです。
妍子を皇后にしなかったのがよほど気に入らなかったのでしょう、道長は立后の儀式に欠席したばかりか、三条天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫っています。
1016年、三条天皇はやむなく娍子所生の敦明親王の立太子を条件に後一条天皇に譲位しました。
後一条天皇の父親は一条天皇、母君は道長の長女・彰子で、道長にとって後一条天皇は外孫です。
『紫式部日記』に道長が後一条天皇誕生を大喜びする様子が記されているそうです。
さらに後一条天皇は道長の三女で自身にとっては叔母にあたる威子を妃としていて、道長との繋がりが深い天皇でした。
後一条天皇が即位したのは8歳だったので、道長がその後ろ盾となって政治を撮りました。
1017年、三条上皇が崩御すると、三条上皇の皇子・敦明親王は自ら東宮辞退を申し出ています。
石山寺 本堂●なぜ三人の僧侶に夢告げがあったのか。 大黒天堂の大黒天像が造られたのは1024年ですが、道長は1019年に病を患って出家し、1027年に死亡しています。
私は拳印開運大黒天像は道長の病回復祈願のために作られたものではないかと思います。
3人の僧に夢のお告げがあったといいますが、それは道長の三人の娘、彰子・妍子・威子それぞれが信頼を寄せていた僧、という意味ではないでしょうか。
(※道長には長女彰子、次女妍子、四女威子の他にも三女寛子、五女尊子、六女嬉子などの娘があったが、天皇の后となったのはこの3人です。)
大黒天が拳の中に隠している親指は彰子・妍子・威子の父・道長を意味しているのではないかと思います。
『霊柩車を見ると親指を拳の中にかくさないと親が死ぬ』という俗信があり、
霊柩車を見て親指を拳の中に隠した経験がある方は多いのではないでしょうか。
親指を拳の中に隠すことで親を護るというおまじないは、平安時代の道長の時代からあったのかもしれませんね。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました~!
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