京都市東山区 八坂神社
蛭子船巡行 1月9日
http://www.yasaka-jinja.or.jp/photo/ebisu.html
四条通を七福神を乗せた蛭子船が渡っていきます。
見に行ったのはずいぶん以前のことなので、記憶があいまいなのですが
蛭子船は四条通のお旅所(
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000429)あたりで折り返し、また四条通を八坂神社に向かって戻っていったように記憶しています。
この様子を見て私はなんだか回文みたいだなあ、と思いました。
回文とは上から読んでも下から読んでも同じになる文のことです。
八坂神社では蛭子船と呼んでいますが、一般に七福神の乗る船は宝船と言われます。
そして七福神の乗る宝船を描いた絵に「ながきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな(永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな)」という歌を記し、正月2日に枕の下に入れて寝るといい初夢を見ることができるなどと言われています。
「ながきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな」は回文になっています。
蛭子船は四条通を「ながきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな」と奏でながら渡り、
お旅所のあたりで折り返して、また「ながきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな」と奏でながら八坂神社へ戻っていくように思えたのです。
地球から見た太陽の動きも回文に似ていませんか。
冬至に太陽の南中高度は最も低くなりますが、徐々に南中高度をあげていき、夏至に最も南中高度が高くなります。
そして夏至のあとは徐々に南中高度が低くなり冬至に最も低くなります。
1年間の太陽の南中高度は、天球上を徐々に高度を変えながら行っては戻るを繰り返しているわけです。
↑ 上の図は私が作った図があまりにひどいのを見かねた友人が作ってくれました。(ありがとう~)
冬至のことを一陽来復といいますが、来復とは「 一度去ったものが再びかえってくる」という意味です。
一陽来復のもともとの意味は「南中高度が低くなり勢いの衰えた太陽が再び南中高度をあげて勢いを増していく」という意味ではないかと思います。
そして古の日本には陰が極まれば陽に転じるという考え方もありました。
冬至は陰の極まった状態であり、その先は徐々に陽である夏至に向かいます。
そして陽の極まった状態である夏至が過ぎると徐々に陰である冬至に向かいます。
ここから、一陽来復は「悪いことが続いたあと、物事がよい方に向かう」という意味でも用いられます。
※追記 冬至正月という言葉があり、かつて冬至を1年の始点とする考え方もあったようです。
新年が来ることも一陽来復と言うのは、冬至を1年の始点とする考え方からくるのではないでしょうか。
室町時代には節分の夜または大晦日に床の下に船の絵を敷いて眠り、翌日流したり埋めたりする習慣があったそうで、これが宝船信仰の原型だと考えられています。
夏越の祓では人形に息を吹き替えて自らの穢れを人形に移して川や海に流すという神事が行われています。
また雛祭の日に人形を船に乗せて流す
雛流しの行事が行われることもあります。
淡嶋神社の雛流し節分または大晦日に船の絵を敷いて眠り翌日流すという習慣も夏越の祓や雛流し同様、もともとは穢れを祓うおまじないのようなものだったのですね。
それが「いい夢を見ることができる」というふうに変化したのは、一陽来復という考え方と関係があるのではないでしょうか。
節分(立春の前日)または大晦日に流した穢れを乗せた船(陰)は、立春または正月に宝船(陽)として戻ってくると考えられ、そのため正月2日に宝船を書いた絵に回文を添えて枕の下に敷いて寝るという習慣が生じたのではないかと思ったりします。
※追記 回文は一陽来復を表現するものとして絵に書き入れられたのではないでしょうか。
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[2016/01/08 00:00]
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