大阪市淀川区 神津神社
十三戎(とみえびす)祭・・・
http://kamitsujinja.ec-net.jp/tomiebisu.html
大阪のえべっさんといえば今宮戎ですね。
昭和31年、神津神社はこの今宮戎神社の神を勧請し、十三戎(とみえびす)祭を行うようになったそうです。
十三戎というのは、神津神社が十三(じゅうそう)の地に鎮座しているところから命名したのでしょう。
残り福の1月11日に行ってきました。
今宮戎のように大勢の参拝者があるというわけではありませんが、獅子舞の奉納などがあり、とても楽しかったです。
えべっさんの穴場的スポットだと思います~♪
さてさて十三(じゅうそう)とは変わった地名ですが、神津神社のhp
http://kamitsujinja.ec-net.jp/jusonoyurai.html に「十三の由来」について6つの説が紹介されています。
①十三の渡しが淀川の上流から数えて十三番目だった。
②重蔵(じゅうぞう)という長者が加島へ遊びに行くとき十三の渡し付近に舟をつないでいたため、「重蔵の舟つなぎ場」から「十三」に転じた。③十三塚があった。
④条里制の十三条だった。
⑤十は「つつ」三は「み」で「つつみ(堤)」の意味である。
⑥淀川の南浜にかつて富島の庄があり、今も富島神社がある。富島の富(とみ)が十三(とみ)に転じたのではないか。この中で私が注目しているのが②重蔵説と⑥富島説です。
読み方は違いますが十三と記す地名にに十三湖(じゅうさんこ/青森県津軽半島西岸)という湖があります。
中世、十三湖のほとりには十三湊(とさみなと)があり、安部氏・安藤氏の拠点として栄えました。
安部氏はナガスネヒコの兄・アビヒコを祖とする氏族です。
ナガスネヒコとは古事記や日本書紀に登場する人物で、現在の大阪あたりに住んでいました。
ナガスネヒコはニギハヤヒを神として奉じていました。
ニギハヤヒは物部氏の祖神であり、初代神武天皇より早く畿内に天下っていました。
ここから機内には神武天皇以前に物部王朝があったとする説があります。
ナガスネヒコもまた物部氏だった可能性が高いと思います。
神武天皇は九州から東征して機内入りし、ニギハヤヒは神武に服してしまいます。
一方ナガスネヒコは神武に抵抗を続けるのですが、なんと自分が神とあがめていたニギハヤヒによって殺されてしまうのです。
安倍氏の祖・アビヒコはそのナガスネヒコの兄だとされています。
安倍氏とともに十三湊を拠点としていた安藤氏は、安倍氏の安倍貞任の子孫を称しています。
なので遡れば安藤氏もアビヒコにまで繋がります。
アビヒコは神武が東征して機内を征服した際、ナガスネヒコとともに津軽に逃れたとか、単独で津軽に流罪になったなどと言い伝えられています。
ナガスネヒコが物部氏だったとすると兄のアビヒコも物部氏でしょう。
そしてナガスネヒコは別名をトミヒコともいいました。
トミヒコのトミは十三戎の十三(トミ)と同音です。
大阪の十三(じゅうそう)や十三湊(とさみなと)という地名はアビヒコの弟・トミヒコ(ナガスネヒコ)のトミが語源なのかもしれませんね。
つまり、トミヒコのトミに十三という漢字をあて、さらに十三を「じゅうそう」とか「とさ」と読み替えたのではないかということです。
また淀川の南浜にあった富島という地名もまた、トミヒコからくる地名なのではないでしょうか。
そして石川県には重蔵神社があります。
十三(じゅうそう)の地の由来に②重蔵説があったのを思い出してください。
石川のあたりもナガスネヒコ(トミヒコ)と関係する土地であり、神社名が語呂合わせでトミ→十三→重蔵となったのではないでしょうか。
トミヒコ→トミ→十三→じゅうそう(十三)/とさ(十三)→じゅうぞう(重蔵)さらに水死体のことを土左衛門といいます。
その語源は享保年間の力士「成瀬川土左衛門」が、大変な肥満体で体の膨れ上がった水死体ににていたためであるなどと言われています。
しかし、この説が絶対正しいとはいいきれません。
語源由来辞典(
http://gogen-allguide.com/to/dozaemon.html)にも、「正確な語源は未詳」と記されています。
私は水死体のことを土左衛門というのは、やはりトミヒコからくるのではないかと思います。
トミヒコ→トミ→十三→じゅうそう/とさ→どざえもん(水死体)つまりトミヒコとは土左衛門(水死体)ではないか、ということです。
と、ここまでは過去記事にすでに書きました。
詳しくは下記記事をお読みいただけると嬉しいです。
能登の旅③ 輪島大祭(重蔵神社) 『トミヒコ→十三(とみ)→十三(じゅうそう)→重蔵(じゅうぞう)』 )
能登の旅④ 御陣乗太鼓 『水死体→土左衛門(どざえもん)→どざ→十三→じゅうぞう→重蔵』 さて、続きにいきましょう~!
長くなってしまいますが、ご容赦を!
水死体のことをエビスという地域があります。
エビスとはイザナギ・イザナミ夫婦が最初に産んだ子供のことです。
ところがエビスは3歳になっても立つことができない身体障害児であったので、イザナギとイザナミはエビスを海に流してしまうのです。
西宮神社の社伝では海に流されたエビスは海神のいる竜宮へ流れ着いたとしていますが、3歳で身体障害児のエビスがたどり着いた竜宮とは死の世界のことでしょう。
エビスは水死体だったのです。
それで水死体のことをエビスという地域があるのでしょう。
そしてえべっさん(エビス)は足が悪いだけでなく、耳も悪いとされ、よく聞こえるように神殿の後ろを叩いてお参りするという習慣があります。
また奈良の春日大社にある榎本明神も耳が悪いので、柱をたたいて参拝する習慣があります。
えべっさんと榎本明神は同一神なのではないでしょうか。
堀川戎神社境内には榎本神社とは一字違いの榎木神社があります。
榎木神社は榎木の大木の下に住む吉兵衛という狸を祀る神社です。
私は吉兵衛とは物部守屋のことではないかと考えています。
というのは物部守屋は蘇我馬子や聖徳太子と戦って、榎木の上で戦の指揮をとっていたところを弓で射落とされて死んだからです。
エビス=物部守屋(参照/
堀川戎神社 福娘 しころ 『えべっさんの正体』 )
えびすは海で溺れて死んだんやろ、物部守屋は榎木にいるところを弓で射られて死んでるやん。
死に方が違うやん、えびすと物部守屋は同一神とは言えないやん、と言われるかもしれませんね。
私は昔の人は根の国(黄泉の国と同じ死の世界だと考えられています)と竜宮はどちらも死の国だと考えていたのではないかと思います。
記紀には根の国にスサノオが住んでいたという記述がありますが、イザナギがスサノオに「大海原をおさめよ」と命じているところから竜宮に住む海神とスサノオは同一神だと考えられているからです。
根の国(黄泉の国)には暗いイメージがあるのに対し、竜宮には明るいイメージがありますが。
竜宮とは天国のようなところであると考えられていたのだと思います。
つまり、水死体とは死後、竜宮(天国)に行った人のことを、比喩的に言ったものではないでしょうか。
ここで、トミヒコが物部氏だった可能性が高いことを思い出してください。
トミヒコと物部守屋はどちらも物部氏であり、どちらも天皇家と闘って負けているところから、両者のイメージは重ねられているのではないでしょうか。
エビス=物部守屋=トミヒコ=土左衛門=水死体=エビス
神津神社が昭和31年に今宮戎を勧請して十三戎祭を行うようになった背景には
十三がトミヒコにちなむ地名であり、トミヒコとエビスが同一神であるという認識があったのかも?
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました~!
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