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毘沙門堂 紅葉 『333年に1度開帳される毘沙門天 と 巣伏の戦い』 

京都府山科区 毘沙門堂
2015年12月3日 撮影

毘沙門堂 散紅葉

毘沙門堂は文武天皇の勅願によって703年に行基が開いたお寺で、創建当初は護法山出雲寺といいました。
ご本尊の毘沙門天は、最澄が789年に刻んだものです。
333年に1度だけ開帳されるそうで、たしか10数年前に御開帳されたそうなので、残念ながら私たちはお姿を見ることができませんね~。

毘沙門堂 どうだんつつじ 紅葉

http://bishamon.or.jp/newpage1.html
↑ こちらに御本尊の御前立の写真が掲載されています。
右手に三叉戟(さんさげき)を持っていますね。
けれど実際の御本尊はこのような姿ではないそうです。

毘沙門堂で求めた「毘沙門天王功徳経」には、次のような内容が記されていました。

金甲を身にまとい、左の手には宝塔、右の手には如意宝珠を持ち、左右の足で 羅刹毘闍邪鬼 (らせつびしゃじゃき)を踏む。
 左に吉祥天女、右に禅尼子童子(ぜんにしどうじ)を配置する。
※「毘沙門天王功徳経」より引用

吉祥天女は毘沙門天の后または妹、禅尼子童子は毘沙門天の息子だとされています。

如意宝珠とは玉ねぎのような形をした玉のことで、「意のままに様々な願いをかなえる宝」という意味です。

「毘沙門天王功徳経」には毘沙門堂の毘沙門天・吉祥天女・禅尼子童子の絵も描かれていました。
この絵から、次のようなことがわかります。

①三尊とも座像(禅尼子童子は右ひざを立てている。)
②毘沙門天は左手に宝塔、右手に細長い棒を持っている。
③吉祥天女は左手に如意宝珠を持っている。
④禅尼子童子は髪を角髪(みずら)に結い、右ひざをたてている。

とても味のある絵ですが、写実的に描いた絵ではないので、どのようなお姿をしておられるのか、詳しいことはわかりません。

http://senjyuin.or.jp/index.php/43-top/3-design-ideas
↑ 上は奈良県の千手院の毘沙門三尊の像ですが、毘沙門天は手に如意宝珠のついた棒を持っておられます。
毘沙門堂の毘沙門天もこのように如意宝珠のついた棒を持っておられるのかもしれません。

 毘沙門堂 どうだんつつじ 紅葉2

この毘沙門天が刻まれた789年、征夷大使・紀古佐美らが蝦夷征伐を行い(巣伏の戦い)ましたが撃退されました。
その後、802年に蝦夷の阿弖流為(あてるい)と母礼(モレ)は降参し平安京に連れてこられ、河内国で処刑されました。

毘沙門堂の毘沙門天は「巣伏の戦い」における戦勝を祈願して刻まれたものではないかと思ったりします。




毎度、とんでも説におつきあいくださりありがとうございました!


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[2015/12/06 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)