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海住山寺 紅葉 『天然痘と大仏建立』 

京都府木津川市 海住山寺
2015年11月22日 撮影

海住山寺 本堂 紅葉


海住山寺にはこんな伝説が伝わっています。

聖武天皇は夢の中で次のような声を聴きました。
「平城京の鬼門にあたる土地に寺を建立すれば東大寺大仏が無事完成するだろう。」と。
そこで聖武天皇は735年に東大寺別当の良弁に命じて藤尾山観音寺を創建しました。

観音寺は1137年に焼失し、その後1208年、貞慶が中興して海住山寺と寺名を改めたそうです。

上の伝説にはおかしな点があります。
観音寺の創建は735年で大仏の完成祈願を目的としたものとされますが
日本続紀によれば、聖武天皇が大仏をつくろうと決意したのは740年、河内国大県郡(大阪府柏原市)の知識寺で盧舎那仏像を拝して自分も作りたいと思ったためだとあるのですね~。

海住山寺 五重塔 紅葉

たぶん海住山寺の伝説はのちに創作されたものでしょう。

けれど、観音寺が創建された735年と、大仏建立には関係があると思います。

735年から737年にかけて天然痘が大流行していました。
737年、藤原四兄弟(藤原不比等の子。武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が相次いで天然痘にかかって亡くなり
長屋王の怨霊の仕業であると噂されました。

729年、長屋王が呪詛して国家を傾けようとしているという密告があり、舎人親王と新田部親王が厳しい取り調べを行った結果、長屋王は自殺してしまったのです。(長屋王の変)

当時、長屋王は政界トップの左大臣という地位にあり、また長屋王の子の膳夫王は次期天皇候補ナンバーワンでした。
「長屋王の変」は、これを妬んだ藤原四兄弟が長屋王を排斥するために仕組んだ陰謀だったと考えられています。
長屋王の没後、藤原四兄弟は妹の光明子を聖武天皇の皇后に立て、藤原四子政権を樹立しました。

735年には新田部親王と舎人親王が亡くなっています。
死因はわかりませんが、やはり天然痘にかかって亡くなったのではないでしょうか。
すると新田部親王と舎人親王の死も長屋王の怨霊の仕業だと畏れられたことでしょう。

そして聖武天皇が大仏をつくったのは長屋王の怨霊を鎮めるためだという説があります。
聖武天皇の皇后は藤原四兄弟の姉妹の光明子ですし、母親もの藤原四兄弟の姉妹の藤原宮子です。
(つまり聖武天皇の皇后・光明子は聖武天皇の叔母にあたる。)
聖武天皇は藤原の血の濃い天皇ですし、聖武天皇自身が長屋王の変に関与していた可能性もあります。
聖武天皇は長屋王の怨霊をそれはおそれたことでしょう。

観音寺の創建年の735年は長屋王の怨霊の祟りで天然痘が流行した年、大仏は長屋王の怨霊の祟りを鎮めるために作られた仏像、ということから観音寺の創建説話は作られたのではないでしょうか。

海住山寺 紅葉 
塔百景63



 毎度、とんでも説におつきあいくださりありがとうございました!



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[2015/11/24 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)