京都市東山区 即成院
2009年11月15日撮影
即成院には中央の阿弥陀如来を取り囲むように二十五菩薩が安置されているのですが、数を数えてみると菩薩が26体あります。
阿弥陀如来を入れると27体です。
あれっ?1体多い?
実は、二十五菩薩とは、観世音菩薩・薬王菩薩・大勢至菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・陀羅尼菩薩・法自在王菩薩・白象王菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・光明王菩薩・山海恵菩薩・金剛蔵菩薩・華厳菩薩・日照王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・三昧菩薩・獅子吼菩薩・大威徳菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・無辺身菩薩のことをいうのですが、即成院ではこのほかに如意輪観音を祀っているのです。
http://www.gokurakujyoudo.org/amidanyorai.html (即成院hp)
即成院の二十五菩薩は即成院を創建した橘俊綱(1028-1094)が作ったものと考えられています。
(実際には仏師に依頼して造らせたということではないかと思うのですが。
またもともと即成院にあった二十五菩薩のうち、現存するのは11体で、ほかは江戸時代の補作と考えられています。)
橘俊綱(1028-1094)は藤原頼通(992-1074)の次男として生まれました。
藤原頼道は藤原道長の子で、後一条天皇の摂政だった人です。
橘俊綱が橘姓なのは、讃岐守・橘俊遠の養子になったからです。
『今鏡』には次のような内容が記されているそうです。
橘俊綱の母親の祇子(- ?−1053)は頼通の子を妊娠したのち、橘俊遠の妻となったので俊綱を俊遠の子にしたと。
だけど不思議ですね?祇子はその後も藤原頼通の子をもうけているのです。
藤原頼通は隆姫女王(995-1087)を大変愛していたようです。
そのため隆姫女王に憚って形式的に祇子と俊遠を夫婦にしたのではないかとも考えられています。
橘俊綱は摂関家の生まれであるにもかかわらず、地方官を歴任しています。
当時は実力ではなく、生まれ育ちが出世に影響する世の中でした。
橘俊綱が出世できなかったのは橘俊遠の養子となったためでしょう。
藤原頼道は隆姫女王との間に子供ができなかったので、後継者として対の君(源憲定の娘)との間に生まれた長子・藤原通房を考えていました。
ところが藤原通房(1025-1044)は19歳の若さで亡くなってしまいました。
そこで通房に代わって頼通の後継者となったのは頼通の六男・藤原師実(1042-1101)でした。
師実の母親は藤原祇子で、橘俊綱の同母弟にあたりますが、彼は橘俊遠の養子とはされませんでした。
橘俊綱は同じ父と母を持つにもかかわらず、師実との運命の違いを呪ったのではないでしょうか。
即成院に二十五菩薩とともに安置されている如意輪観音は、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間のご利益を与えて下さる観音さまなのだそうです。
六道とは生きとし生けるものが輪廻する六つの世界、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のことを言います。
世間とは移り変り、いつかは壊れてしまう迷いの世界のことです。
ここから転じて世間とは社会を意味する言葉にもなりました。
出世間とは世間を超越した迷いのない世界というような意味をなのだそうです。
出世と言う言葉はこの出世間からくる言葉とされますが、少々本来の意味とは違って用いらるようになったようです。
出世の意味について、ウィキペディアには次のように説明があります
1.諸仏が衆生を済度するために世界に出現すること
2.世俗を捨てて仏道に入ること。
3.昔、天台宗の比叡山では、公卿の子息が受戒し剃髪して僧侶となったものをいった。現在、世間一般で「出世が早い」、「立身出世」などと言われるのは、この公卿出身の僧侶の昇進が早かったところから言われるようになった。
4.禅宗で、寺院の住持となること。高位の寺に転住することや、黄衣・紫衣を賜ること、また和尚の位階を受けることなどをいう。
5.この世に生れること
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E4%B8%96%E9%96%93より引用
橘俊綱は橘氏の養子になった自分の身の上を嘆き、出世(昇進)を願って二十五菩薩のほかに如意輪観音を作ったのだったりして?
毎度、とんでも説にお付き合い下さりありがとうございました!
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