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枚方宿 菊 淀川 夕景 『9月9日はなぜ菊の節句とされたのか』 

枚方宿
撮影 2015年11月5日

枚方宿 菊 


枚方駅を下車し、西へ向かって歩いていくとビオルネがあります。
ビオルネからさらに西へ向かうと突然江戸時代にタイムスリップ!


ここは江戸時代に枚方宿という宿場町だったところです。
街道沿いの家々には菊の花が飾られていました。

菊は枚方市の市花とされています。
2005年まで枚方パークで菊人形展が行われていたことに由来するのでしょうか。

枚方宿 菊2 
 

菊人形は江戸時代松から明治にかけ、東京本郷の団子坂で園芸業者によって行われるようになったとされます。
その後、団子坂では廃れますが、福島県・山形県などで菊人形展が行われるようになりました。
大阪では京阪電気鉄道が枚方パークで毎年秋に菊人形展を開くようになりました。
2005年で終了となりましたが~。

枚方宿 鍵屋 菊


菊人形はかつて9月9日の重陽の節句を盛大に祝っていたことの名残だとされます。

奇数は陽の数字、偶数は陰の数字とされ、同じ奇数が月と日で重なる日(3月3日、5月5日、7月7日。1月1日は元旦と重なるので1月7日とされたようです。)は節句として祝う行事が行われていました。
(もともとは避邪の行事であったとされていますが)

9はひとけたの陽の数字としては最大の数字なので「重陽の節句」といわれました。

五節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)はそれぞれ植物と結び付けられて行事が行われました。

1月7日・・・七草の節句
3月3日・・・桃の節句
5月5日・・・菖蒲の節句
7月7日・・・笹の節句
9月9日・・・菊の節句

枚方宿 鍵屋 菊2


旧暦の節句のころに見頃になる植物ということなのでしょうが、それだけでなく、謎かけになっているのかもしれません。
例えば9月9日は九九(クク)なのでキクの節句になったのではないかなあ、と思ったりするのです。

白山神社の御祭神とされている菊理媛は「キクリヒメ」のほか「ククリヒメ」とも読まれています
菊は「くく」とも読まれていたのですね。

じゃあ、ほかのはどうなんだ、と言われれば、うーん?わからないです・・・(汗)。

枚方宿は淀川の堤の上に作られており、陸運だけでなく水運も盛んでした。
三十石船に「くらわんか舟」が近寄って飲食物を売っていたとか。

くらわんか舟と言われるのは「飯食らわんか、飯食う金もないのか」と高飛車な態度で飲食物を売っていたことに由来します。
私だったら、こんなこと言われたら絶対買わないです・・・。

淀川 夕景 

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[2015/11/10 00:00] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)

即成院 紅葉 『世間・出世間のご利益を与えて下さる観音さま』 

京都市東山区 即成院
2009年11月15日撮影

即成院 紅葉

即成院には中央の阿弥陀如来を取り囲むように二十五菩薩が安置されているのですが、数を数えてみると菩薩が26体あります。
阿弥陀如来を入れると27体です。
あれっ?1体多い?

実は、二十五菩薩とは、観世音菩薩・薬王菩薩・大勢至菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・陀羅尼菩薩・法自在王菩薩・白象王菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・光明王菩薩・山海恵菩薩・金剛蔵菩薩・華厳菩薩・日照王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・三昧菩薩・獅子吼菩薩・大威徳菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・無辺身菩薩のことをいうのですが、即成院ではこのほかに如意輪観音を祀っているのです。

http://www.gokurakujyoudo.org/amidanyorai.html (即成院hp)

即成院の二十五菩薩は即成院を創建した橘俊綱(1028-1094)が作ったものと考えられています。
(実際には仏師に依頼して造らせたということではないかと思うのですが。
またもともと即成院にあった二十五菩薩のうち、現存するのは11体で、ほかは江戸時代の補作と考えられています。)
橘俊綱(1028-1094)は藤原頼通(992-1074)の次男として生まれました。
藤原頼道は藤原道長の子で、後一条天皇の摂政だった人です。
橘俊綱が橘姓なのは、讃岐守・橘俊遠の養子になったからです。

『今鏡』には次のような内容が記されているそうです。
橘俊綱の母親の祇子(- ?−1053)は頼通の子を妊娠したのち、橘俊遠の妻となったので俊綱を俊遠の子にしたと。

だけど不思議ですね?祇子はその後も藤原頼通の子をもうけているのです。

藤原頼通は隆姫女王(995-1087)を大変愛していたようです。
そのため隆姫女王に憚って形式的に祇子と俊遠を夫婦にしたのではないかとも考えられています。

橘俊綱は摂関家の生まれであるにもかかわらず、地方官を歴任しています。
当時は実力ではなく、生まれ育ちが出世に影響する世の中でした。
橘俊綱が出世できなかったのは橘俊遠の養子となったためでしょう。

即成院 紅葉2


藤原頼道は隆姫女王との間に子供ができなかったので、後継者として対の君(源憲定の娘)との間に生まれた長子・藤原通房を考えていました。
ところが藤原通房(1025-1044)は19歳の若さで亡くなってしまいました。
そこで通房に代わって頼通の後継者となったのは頼通の六男・藤原師実(1042-1101)でした。
師実の母親は藤原祇子で、橘俊綱の同母弟にあたりますが、彼は橘俊遠の養子とはされませんでした。

橘俊綱は同じ父と母を持つにもかかわらず、師実との運命の違いを呪ったのではないでしょうか。

即成院に二十五菩薩とともに安置されている如意輪観音は、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間のご利益を与えて下さる観音さまなのだそうです。

六道とは生きとし生けるものが輪廻する六つの世界、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のことを言います。
世間とは移り変り、いつかは壊れてしまう迷いの世界のことです。
ここから転じて世間とは社会を意味する言葉にもなりました。

出世間とは世間を超越した迷いのない世界というような意味をなのだそうです。
出世と言う言葉はこの出世間からくる言葉とされますが、少々本来の意味とは違って用いらるようになったようです。

出世の意味について、ウィキペディアには次のように説明があります

1.諸仏が衆生を済度するために世界に出現すること
2.世俗を捨てて仏道に入ること。
3.昔、天台宗の比叡山では、公卿の子息が受戒し剃髪して僧侶となったものをいった。現在、世間一般で「出世が早い」、「立身出世」などと言われるのは、この公卿出身の僧侶の昇進が早かったところから言われるようになった。
4.禅宗で、寺院の住持となること。高位の寺に転住することや、黄衣・紫衣を賜ること、また和尚の位階を受けることなどをいう。
5.この世に生れること
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E4%B8%96%E9%96%93より引用

橘俊綱は橘氏の養子になった自分の身の上を嘆き、出世(昇進)を願って二十五菩薩のほかに如意輪観音を作ったのだったりして?

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[2015/11/08 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

播州清水寺 紅葉 『千手観音の千の手は坑道を表している?』 

 兵庫県加東市 播州清水寺 
2013年11月9日撮影

播州清水寺 本堂 紅葉2  
大講堂

清水寺と称する寺は日本中にたくさんあります。
もっともその多くが「きよみずてら」と読むのではなく、「せいすいじ」と読むようですが。

佐渡市新穂大野の新穂銀山の前に清水寺(せいすいじ)があります。
行ったことはないんですが、桓武天皇の勅願によって京都清水寺を模して造られた寺で、御本尊は千手観音です。

地元では『観音の合掌した手の先に大盛りの間歩(坑道のある山)がある』という伝承が伝わっているそうです。
坑道が伸びる様子が百足を思わせることから、坑道のことを百足穴といいます。
また千手観音は千手千眼観音ともいい、千の手にひとつづつ、千の目を持つとされます。

千手観音の千の手は坑道を、千の目は坑道の先にある鉱物をあらわしているのかも?

播州清水寺の播州清水寺には本堂がふたつあります。
ひとつは大講堂で御本尊は千手観音、ふたつめは根本中堂でご本尊は十一面観音です。

播州清水寺 本堂 紅葉 大講堂

かつて播州清水寺の近くにも鉱山があったのでしょうか?

現在、播州清水寺の近くには平木蝋石を採掘する平木鉱山があります。
しかしこの鉱山は1961年に開山された新しい鉱山なので、播州清水寺の創建とは関係なさそうです。

でも清水寺の境内にちょっと気になるものがあったんですよ~。

播州清水寺

不動明王の石像の後ろに洞窟のようなものが。
もしかしてこれは坑道の入り口?なんて考えてしまいました。
今度播州清水寺にいく機会があったら、お寺の人に聞いてみます。

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播州清水寺 紅葉



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[2015/11/06 00:00] 兵庫県 | トラックバック(-) | コメント(-)

高源寺 紅葉 『天目カエデと天目一箇神』 

兵庫県丹波市 高源寺 
2014年11月9日 撮影

高源寺 紅葉2


小雨の降る日でした。

高源寺は1325年に遠谿祖雄が創建したとされます。
遠谿祖雄は中国杭州の天目山で禅の修行を積んで日本に帰国しました。
そして高源寺の境内に天目山より持ち帰った天目カエデを境内に植えたと伝わっています。
そのため、高源寺の楓は天目楓が多いそうです。

でもどれが天目楓なのか、天目楓とよく見かけるいろば紅葉のどこかどう違うのか、私には全然わかりませんでした~。

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)または天目一命という日本の神がいるのですが、この神は鍛冶の神で、天照大神が岩戸に隠れた際、刀斧・鉄鐸を造っています。

天目一箇神という神名は隻眼をイメージさせますが、鍛冶をする際、片目をつぶって火を見るため、片目を失明することが多かったといわれます。

鉄釉を用いた茶碗のことを天目茶碗といいます。
写真はこちら↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9B%AE%E8%8C%B6%E7%A2%97#/media/File:Hares_fur_IMGP3594.jpg

天目茶碗と言われるのは、中国の天目山に留学した僧が日本に持ち帰ったことに由来すると一般にはいわれています。
(※天目山に留学した僧が、高源寺の開山・遠谿祖雄のことなのかどうかわかりませんが。)

でも本当は鉄釉を用いて焼かれているところから、鍛冶の神・天目一箇神にちなんで天目茶碗と言うのではないか、と思ったりします。

天目もみじもその赤い色が鉄を思わせるところから名付けられたんだったりして。

高源寺 紅葉
塔百景62

 
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[2015/11/04 00:00] 兵庫県 | トラックバック(-) | コメント(-)