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八相宮 大野木豊年太鼓踊 『菅原道真が行った雨乞いの踊り』 

10月11日 八相宮 大野木豊年太鼓踊

八相宮 大野木豊年太鼓踊3

雨乞いのお祭りです。

八相宮 大野木豊年太鼓踊2


年配の方も、若い人も、子供たちも、みんなお揃いの衣装を身にまとって太鼓を打ち鳴らしながら踊り続けます。
長時間踊りっぱなしなので相当シェイプアップ効果ありそうです。
特に年配の方がすごくお元気に踊っておられるのにびっくり!

髄心院 出雲風流花踊 
↑ 京都の髄心院で奉納された出雲風流花踊です。こちらも雨乞いの踊りです。
 大野木豊年太鼓踊と同じように手に太鼓を持っていますね。
太鼓を打ち鳴らして雨乞いをするのは、太鼓の音を雷鳴に喩えたものだと考えられています。

空也堂 空也忌 踊躍念仏

↑ 太鼓や鉦を打ち鳴らしながら踊るといえば、空也堂で行われている踊念仏を思い出します。
平安時代の僧・空也は太鼓や鉦を打ち鳴らして踊りながら南無阿弥陀仏と唱える念仏踊の創始者だとされています。

雨乞いの踊りである大野木豊年太鼓踊や出雲風流花踊はこの念仏踊に似ています。

念仏踊には大きく分けて二つのパターンがあるそうです。
①踊り手と歌い手が分かれているもの
②自ら念仏を唱えながら踊るもの

空也が始めた念仏踊りは②です。
①は菅原道真が讃岐で行った雨乞いの踊りがルーツとされます。
のちに流罪となって讃岐に屋って来た法然上人がこの踊りを見て、念仏を唱えさせたと伝わります。
香川県の『滝宮の念仏踊』として今もその伝統が引き継がれているそうです。
一度見に行ってみたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=n8H1m8Nt65U


大野木豊年太鼓踊や出雲風流花踊は①の歌い手と踊り手が別の念仏踊だったと思います。
(ちょっと記憶があいまいですいません~)

でも、たぶん菅原道真が雨乞いの踊りを行ったというのは事実ではないと私は考えています。

菅原道真は藤原時平の讒言によって太宰府に流罪となり、その地で失意のうちに亡くなりました。
その後、都では疫病が流行り、天災が相次ぎました。
また干ばつが続き、清涼殿で干ばつ対策会議を開いていたところ、にわかに暗雲がたちこめ、清涼殿に落雷が落ち炎上するという事件が発生しました。
この事件は菅原道真の怨霊の仕業だと考えられた結果、菅原道真は雷神であるという信仰が生じます。

雷神は雨を降らせる神でもあります。
そのため讃岐の人々は菅原道真に祈願して雨乞いを行ったということなのではないかと思います。

八相宮 大野木豊年太鼓踊
 

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[2015/10/16 00:00] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)