前回、化生寺の殺生石の石碑について書きましたが、化生寺の隣に玉雲宮(たまもりぐう)があります。

化生寺は殺生石を破壊した玄翁が、殺生石を玉雲大権現として創建した寺です。
玉雲宮はその化生寺の鎮守社です。
おそらく玉雲大権現とは殺生石=九尾の狐のことなのだと思います。
↑ 大きな未生御流の花態絵馬が掛けられていました。
こんな絵馬は初めて見ました~~!
前回の記事の中で九尾の狐について書きましたが、九尾の狐のしっぽはなぜ九尾あるのでしょうか?
以前の記事、
祇園祭 山鉾巡行 菊水鉾 『菊慈童と不老長寿』 に書いたように、
9月9日は重陽の節句で、法輪寺では菊の葉についた雫を飲んで700歳の長寿を得たとされる菊滋童の舞が舞われます。
9という数字には不老不死という意味があるのではないでしょうか。
そして九尾の狐は753年に遣唐使船に乗って日本にやってきてから平安時代に討伐されるまでの長い間生きていました。
討伐されたのが鳥羽院が院政を開いた1129年としても、376年生きていたということになります。
さらに討伐されてからは殺生石となり、今も毒気を吐き続けているのですから、九尾の狐はまさに不老不死であるといえます。
その殺生石は玄翁に破壊され、全国3か所の高田という地名の場所に飛散したとされます。
3か所の高田の地は、越後國高田(新潟県上越市)、安芸国高田(広島県安芸高田市)または豊後国高田(大分県豊後高田市)、美作国高田(岡山県真庭市勝山)とされます。
化生寺のある勝山の地はかつては高田という地名だったのです。
殺生石はなぜ高田という土地に落ちたなどと言う伝説が作られたのでしょうか?
殺生石の本体は栃木県那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩だとされています。
私はこの那須という地名が気になります。
初夢で見ると縁起がいいとされるものとして、一富士・二鷹・三茄子といいますね。
徳川家ゆかりの駿河国での高いものの順(富士山、愛鷹山、初物のなすの値段)など様々な説がありますが
私は、一富士・二鷹・三茄子とは鉱山または鉱物の隠語ではないかと考えています。
殺生石のある栃木県那須町の近くには足尾銅山があります。
愛媛県新居浜市のなすび平の近くには銅山川が流れ、別子銅山があります。
銅は茄子色をしています。
そして茄子が鈴なりになっている状態を坑道に見立てたのではないでしょうか。
つまり、茄子は銅を表す隠語ではないかと思うわけです。
鷹は鷹の爪のことでしょう。
鷹の爪の赤い色は水銀を、また鷹の爪の実が鈴なりになるようすをやはり坑道に見立てたのではないでしょうか。
藤は不死の意味で、輝きを失わない金を意味しているのだと思います。
藤の花が房になって咲くようすもやはり坑道に喩えられたのだと思います。
大阪府枚方市には藤田川(とうだがわ)・高田(こうだ)・茄子作という地名があり、一富士・二鷹・三茄子が揃っています。
そして茄子作という地名は「惟喬親王の愛鷹につける鈴を作ったところから名鈴となり茄子作になった」と言われています。
鈴は金属のスズを表しているのかもしれませんし、愛鷹は鷹の爪=水銀を表しているようにも思えます。
すると高田の高は同音であるということで、鷹、水銀を表しているのではないかと思えます。
高野山には水銀の鉱脈があるそうで、それで高野山という地名がつけられたとする説もあります。
水銀はかつて不老不死の妙薬と考えられていました。
実際には水銀を体内に大量に摂取すると水俣病になったりして不老不死どころか体に悪いのですが~。
九尾の狐のしっぽが九尾なのは、九と言う数字が不老不死を示しているのではないかと私は考えました。
そして高田と言う地名は水銀に関係する地名であり、水銀は不老不死の妙薬とされていたところから、九尾の狐が化生した殺生石のかけらが高田という地名の場所に飛散したなどといわれているのではないかと思ったりします。
城下町・勝山はほんとうに美しい町でした。また行きたいです。
勝山のスーパーでソフトクリームを注文したら、サンプルより2~3巻も多く巻いてくださってすごくうれしかった~。
ありがとうございました~♪(食い意地はってる・・・)
玉雲宮・・・岡山県真庭市勝山748 いつも応援ありがとうございます♪
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