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幽霊子育飴 『四十九日に人間界に生まれ変わった話』 


京都の六道の辻はかつて鳥辺野の風葬地の入り口にあたり、あの世とこの世が交わる辻として恐れられていました。
現在の六道の辻には西福寺六波羅蜜寺・六道珍皇寺の3つの寺がありますが、
西福寺の向いに幽霊子育て飴を売る店があります。

幽霊子育飴本舗 みなとやさん


ひとつ買ってみました。
添加物は入っておらず、とても優しい味です。

幽霊子育て飴


幽霊子育て飴の包みの中に、幽霊子育て飴の由来を記した紙が入っていました。

そこには次のような内容が記されていました。

慶長4年(1600年)、江村氏の妻が亡くなって土葬にしましたが、土の中から鳴き声が聞こえるので掘り返してみると、亡くなった妻が産んだ子がいました。
そういえば、夜な夜な飴を買いに来る女性がいましたが、土の中から幼児が発見されてからはやってきません。
幼児は8歳で出家して高僧となり、68歳で亡くなりました。


江村氏とは戦国時代、長宗我部氏の家臣だった江村氏のことかな、と思います。
その江村氏の妻が土葬後に子供を出産。
幽霊となって飴を買い、子供に飴をなめさせて育てていたというのですね~。

福島県掛田(伊達市霊山町)にも同様の話が伝わっています。

遠藤氏の妻が死んで土葬されたのち、土の中で子供を出産しました。
妻は幽霊となって飴を買いにやってきて、その飴で子供を育てました。
成長した子供は武士となり伊達家の家臣となりました。
伊達家の当主はこの話を知って、名字(みょうじ)を遠藤から四十九院(つるしいん)に変えさせました。


なぜ伊達家の当主は四十九院と名前を変えさせたのでしょうか?
またなぜ四十九院と書いて「つるしいん」と読ませているのでしょうか?

調べてみたところ、次のような説があるようです。
・亡くなった女性の四十九日に墓の中から赤ん坊が生まれたことに由来する。
・49=7×7で7を「つるべ(列べる)」ので「しちつるべ」から「つるし」となった。



人が死んだ際の法要は、初七日(しょなのか)・二七日(ふたなのか) -・三七日(みなのか) ・四七日(よなのか)・五七日(いつなのか) -・六七日(むなのか)のように七日毎に行われます
そして 七七日(なななのか=四十九日)目に死者は閻魔大王の裁きをうけ、六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄堂)のうちどの世界に生まれ変わるかが決まると考えられていました。

死んだ女性(幽霊)は四十九日に閻魔大王の裁きを受けて人間界に生まれ変わった、それが死んだ女性(幽霊)の生んだ子供であると考えられて、京都と福島県掛田の話は作られたのではないかと思います。

鴨川 川床


六道の辻から歩いて鴨川へ。
川沿いには夏の風物詩である川床が設けられていました。

みなとや幽霊子育飴本舗さん・・・京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80-1

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[2015/08/16 00:48] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)