信楽の火祭 『アメノヒボコが陶器の神様になったワケ』 



日が沈み、空が夕焼けで染まるころ、新宮神社の篝火が点火されました。

新宮神社 夕景

さあ、火祭の始まりです!
大小さまざまな松明を担ぎ、愛宕山の山頂をめざします。
愛宕山山頂には新宮神社の境外摂社、愛宕神社・秋葉神社、陶器神社があり、これらの神社に松明を奉納するのです。

信楽 火祭6

新宮神社のhpによると愛宕神社・陶器神社・秋葉神社の御祭神 は加具土の神 カグツチノカミ (火の神)・埴山姫の命 ハニヤマヒメノミコト (土の神)・天日槍命 アメノヒボコノミコト (陶祖神)とのことです。
信楽は信楽焼で有名ですが、火の神・土の神・陶祖神は、焼き物の町の神様にぴったりですね。

信楽 火祭3

火祭は、江戸時代以前に起源があるとされ、もともとは7月23日に行われていたそうです。
(現在は7月第4土曜日)
旧暦ではどうだったのか、hpには説明がないのですが、旧暦7月23日は地蔵盆の宵縁日なのでもともとは地蔵盆の行事だったのかもしれません。

愛宕の神と地蔵菩薩の縁日はどちらも24日です。
縁日が同じ日なのは、愛宕の神と将軍地蔵(修験道で信仰されていました。勝軍地蔵とも)が同体であると考えられていたためではないかと思います。

一般の人も松明を担いで愛宕山をめざします。

信楽 火祭 

アメノヒボコは、新羅の王子で垂仁天皇3年に日本にやってきたとされます。
新羅とは古代の朝鮮半島にあった国です。

アメノヒボコは播磨国宍粟邑から(宇治川)を遡って近江国吾名邑にやってきました。
このとき、近江国鏡村の谷の陶人(すえびと)が天日槍の従者となったとされます。
そののち、近江から若狭国を経て但馬国に住んだとされます。(日本書紀)

近江国鏡村は滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡と考えられています。
滋賀県蒲生郡竜王町鏡128に鏡山神社があり、アメノヒボコを祀っています。
鏡山神社の由緒に「新羅より天日槍来朝し、捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し、その山裾に於て従者に陶器を造らしめる」とあるそうです。

新宮神社がアメノヒボコを陶祖神としているのは、このためでしょう。

信楽 火祭

火祭のフィナーレは花火です。

コサさんがやっておられたピントずらしをやってみました。
露光中にピントリングをインからアウトへ、アウトからインへと動かすというテクニック。

万華鏡のように美しいコサさんの写真はこちら 

http://asok.blog118.fc2.com/blog-entry-3034.html
http://asok.blog118.fc2.com/blog-entry-5786.html
http://asok.blog118.fc2.com/blog-entry-4914.html

むむむむつかしい~。
ほとんど失敗でしたーー。
なんとか見れるのはこれ(↓)だけ。

信楽 火祭 花火

また挑戦しよう。
淀川花火大会は単発であがらないから無理だけどー。

新宮神社・・・滋賀県甲賀市信楽町長野1151-1 
信楽の火祭・・・7月第4土曜日





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[2015/07/31 00:00] 滋賀 | トラックバック(-) | コメント(-)

玉出のだいがく 『だいがくは玉出の天神祭?』 



7月24日、25日は天神祭ですが、同じ日、大阪市西成区玉出の生根神社では「玉出のだいがく」が行われます。

gifアニメを作ってみました。

玉出のだいがく

http://www.bannerkoubou.com/anime/  ← こちらのサイトですごく簡単に作れました!
ちょっと建物動いたり、後ろの木が突然明るくなったりしていますが~(汗)
自動で位置あわせができるともっといいけど、タダでこんなのが作れるってちょっと嬉しい♪

天神祭は菅原道真を祀る大阪天満宮の祭礼です。
道真の命日は旧暦2月25日なので、天満宮の縁日は25日とされています。
天神祭の本宮が7月25日なのはそのためです。

生根神社では明治初年に筑前天満宮を合祀しており、主祭神は少彦名命・蛭児命・菅原道真です。
玉出のだいがくが天神祭と同じ日なのは、玉出のだいがくが道真を慰霊するお祭りだからなのかもしれませんね。

玉出のだいがく

たくさんの提灯をつるした大きな立て物がだいがくです。
だいがくは台楽または台額と記されますが、語源は不明です。

旧暦が用いられていた時代には天神祭は6月25日に行われていました。
生根神社の祭礼はどうだったんでしょうか。
kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstre...
↑ こちらのサイトによると、現在7月に行われている祭は旧暦6月に行われていた夏祭りであるとし、生根神社の玉出のだいがくにも触れられています。
どうやら玉出のだいがくも旧暦では6月25日に行われていたっぽいですね。

玉出のだいがく2

旧暦7月は新暦換算すると8月です。
旧暦7月1日は釜蓋朔日といいお盆のシーズンの始まりでした。
7月7日の七夕はお盆の入りの行事だったのです。
さきほど天神祭についてお話しましたが、古くは7月7日に船渡御が行われていたそうです。
天神祭はお盆の行事であったのかも。
すると天神さん(菅原道真)の縁日に行われている玉出のだいがくもお盆の行事だったのかもしれませんね。
たくさんの提灯の灯りは迎え火の意味合いがあるのだったりして。



生根神社・・・大阪市西成区玉出西二丁目1 
玉出のだいがく・・・7月24日・25日


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[2015/07/30 00:00] 大阪 | トラックバック(-) | コメント(-)

大阪国際空港 夕景 『空港敷地内に多数の飛び地がある理由』 

モリタさんに撮影地などいろいろ教えてもらって(まねっこして・・・汗)大阪国際空港に飛行機を撮りにいきました。
モリタさあーん、ありがとう~。
モリタさんの情感あふれる飛行機の写真はこちらです。 → しょうもないブログ(おもしろいブログです♡)

大阪国際空港 夕陽5

ジェット機 ↓
大阪国際空港 夕陽

大阪国際空港という名称ですが、騒音問題などがあって現在は国内便のみで、敷地は大阪府池田市・大阪府豊中市・兵庫県伊丹市にまたがっています。

プロペラ機 ↓
大阪国際空港 夕陽4

大阪国際空港内には豊中市・伊丹市・池田市それぞれの飛び地が6カ所あります。

さらにこの池田市の飛び地の中に豊中市の飛び地があり二重飛び地となっているところも。
そしてこれらの飛び地の境界は直線で構成される多角形になっています。
http://ratio.sakura.ne.jp/uploads/2011/11/20111113nikkei.jpg

2011年11月13日の日本経済新聞に『大阪・伊丹空港、飛び地また飛び地の謎。(大阪社会部 舩越純一)』という記事が掲載されました。
その記事には次のような内容が記されていました。

①飛び地の境界が直線になっているのは奈良期の条里制の名残ではないか。(伊丹市立博物館館長・小長谷正治氏談)

https://www.google.co.jp/maps/@34.7841092,135.440327,5409m/data=!3m1!1e3
上は大阪国際空港の航空図ですが、土地が升目状に区切られているのがわかりますね。

②「享保16年小坂田村絵図」の伊丹市ゆかりの貴人の墓所が、現在の伊丹市の飛び地になっている。
享保16年は1731年なのでら、280年前から飛び地が存在していた。
http://ratio.sakura.ne.jp/uploads/2011/11/20111113nikkei.jpg

③明治初期、ターミナルビル近辺には北今在家村や小阪田村など村が5つほどあったが、段階的に現在の3市に集約された。
空港拡張工事が進む中、1967年に3市は飛び地の境界線を画定させた。

④ 江戸期、一帯に似た名称の村が多数あり、それらが合併を重ねた。
似た名称の村が近接して存在した理由は、太閤検地の際に徴税しやすくしようと、大きな村を細かく分割したのが原因ではないか。
別の村となったところに自分の田畑があり、飛び地として代々引き継いだのではないか。(大阪大学教授・村田路人氏談)

大阪国際空港 夕陽6

↑ 東の空も夕焼けで染まりました。


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[2015/07/26 12:50] 大阪 | トラックバック(-) | コメント(-)

成田山大阪別院明王院 夕景 『成田山不動院と京阪電車』 




大阪府寝屋川市にある成田山大阪別院明王院(成田山不動院)の山門の向うに、夕日が沈んでいきました。

成田山 門 木漏れ日


平安時代、平将門は東国に独立国をつくって新皇を名乗りました。
朝廷は寛朝(将門討伐のために藤原秀郷・平貞盛らを東国へ派遣します。(平将門の乱)
また寛朝(かんちょう)大僧正が都から大阪へ向かい、さらに大阪から船で関東へと向かっています。
寛朝は空海が開眼した不動明王を持参し、護摩法を行って平将門の乱を鎮圧したとされます。
実際に乱を平定したのは藤原秀郷・平貞盛らなのですが、古には乱の平定は神仏の御加護を得たものであると考えられたのでしょう。
乱が鎮圧されたので寛朝は都へ戻ろうとしましたが不動明王は動かず、寛朝にこの地にとどまるようにとお告げしました。
こうして成田山新勝寺(千葉県成田市)が創建されました。

成田山 鐘楼 夕焼け 
↑ 鐘楼

成田山 本堂 夕焼け 
↑ 本堂

成田山 太子堂 夕焼け 
↑ 太子堂

成田山新勝寺は関西の人々からも厚く信仰されていました。
大正時代には千日前に成田山不動堂があったそうです。
昭和9年、京阪電気鉄道株式会社が香里遊園地跡地の土地を一部の寄進し、成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)が創建されました。

京阪電車の車内に成田山のお札が掛けられているのはこのためだったんですね~。


成田山 祈祷殿 
↑ 上の写真の向かって左は祈祷殿、向かって右は茶室菅相庵です。

成田山不動院は日本で初めて自動車の祈祷殿を設けました。
現在では自動車の交通安全祈願に訪れる人が多いです。

成田山 山門 夕焼け

↑ 山門

大阪府寝屋川市成田西町10-1


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[2015/07/05 00:00] 大阪 | トラックバック(-) | コメント(-)