塔百景48奈良西の京の大池から、薬師寺の金堂・西塔(向かって左)・東塔(向かって右)が見えています。
(現在、西塔は修理中で写真のような景観ではありません。)
よく見ると、向かって左手には小さく東大寺大仏殿が、西塔と東塔の間には興福寺の五重塔が見えています。
薬師寺の金堂にはブロンズの薬師三尊像が安置されています。
写真はこちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Triad_of_Yakushi_Nyorai.JPG 中央に鎮座しておられるのが中尊の薬師如来で、中尊の左手側(向かって右)が日光菩薩、右手側(向かって左)が月光菩薩です。
私は、この配置は陰陽道の宇宙観を表したものではないかと考えています。
陰陽道では、東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星とするそうです。
すると中尊の薬師如来は星を神格化したみほとけだということになります。
さらに記紀神話に次のような話があります。
イザナギが禊ぎをしたところ、左目を洗ったときに天照大神が、右目を洗ったときに月読命が、鼻を洗ったときにスサノオが生まれた。
この話も陰陽道の宇宙観をふまえたもだと考えられます。
左・・・・太陽の定位置・・・天照大神
右・・・・月の定位置・・・・・月読命
すると、イザナギの顔の中心、鼻から生まれたスサノオは星の神だということになります。
日本神話には星の神はたった一柱、天津甕星しか登場しません。
夜空には数えきれないほどの星があるのに、星の神がたった一柱しかいないというのは不自然です。
星の神は抹殺されたのではないかとも言われています。
船場俊昭さんは次のようにおっしゃています。
スサノオを漢字で書くと素戔鳴尊となりますが、これは輝ける(素)ものを失って(戔)ああ(鳴)と嘆き悲しむ神(尊)という意味ではないかと。
それでは抹殺された星の神を祀っていたのは誰なのでしょうか。
「雲陽誌」という書物によれば、物部氏の祖神のニギハヤヒは星の神だと記述があります。
記紀(古事記と日本書紀)にはニギハヤヒが星の神であるという記述はありませんが、私は「雲陽誌」の記述は正しいと思います。
というのは、ニギハヤヒは大阪府交野市の磐船神社(交野市私市9丁目19-1)があるあたりに天下ったというのですが、その付近には星田・星ヶ丘など星のつく地名が多く、流れる川の名前も天の川といい日本の七夕伝説発祥の地だといわれているからです。
上の写真は磐船神社の御神体の「天の磐船」です。
記紀には次のように記されています。
初代神武天皇は日向に住んでいましたが、あまりに国の端であるということで東征して機内にやってきました。
そして神武は、地元の豪族でニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコと戦いました。
ニギハヤヒはナガスネヒコを殺して神武に帰順しました。
神武以前、機内には物部王朝があったとする説もあります。
抹殺された星の神を祀っていたのは物部氏ではないでしょうか。
塔百景49ひめじおんだと思うのですが、違うかな?
薬師寺・・奈良県奈良市西ノ京町457いつも応援ありがとうございます♪
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